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長谷部千彩さま

もう残暑という季節ですが、暑さでこんなに行動が制限されるとは思ってもみなかった夏です。

『太陽がいっぱい』読みましたか?アラン・ドロンが亡くなって、映画の「太陽がいっぱい」の映像がたくさん流れてきましたね。わたしは公開当時に見た「高校教師」のアラン・ドロンが好き。リミニという街の名前もこの映画で覚えました。

とりわけ暑い日の午後、だらだらとそのへんにある本を開いて見ていると、栞のかわりに挟んであった絵はがきがハラリと落ちてきました。長谷川町子美術館で買った一枚です。太陽が照りつける縁側で磯野家のワカメちゃんとフネさんが金魚鉢に向かい合って、その中にいる一匹の金魚を眺めています。フネさんはたすき掛けの浴衣、昭和の夏そのものです。金魚は夏の季語ですが、昭和のころの夏ならともかく、ことしは灼熱の縁側に金魚鉢を置くことはできなさそうですね。それに縁側というものがもうほとんど絶滅していますし。

金魚で思い出した室生犀星の「蜜のあわれ」を青空文庫で久しぶりに読みました。映画にもなりましたが、真夏の読書にはあまりふさわしくない小説でした。金魚の赤井赤子とそれを飼っている老作家のおじさまとの会話からはじまって、全編会話で終始するのもヘンなら、赤子は金魚なのにふつうの人には少女に見えている前提というのもヘン、おじさまに恋していながら若くして死んでしまった女性のゆうれいが何度もおじさまの自宅の前にあらわれては会うのをためらって帰ってしまうのもヘン。「この物語は一体何を書こうとしたのか、(中略)私自身にも何が何だかわからないのである。ただ、このような物語の持つ美しさというものは、どの人間の心にも何時もただようている種類のものであって、それは特定の現身ではないのだけれだ、どの人間にも深く嵌り込んでいる妙な物なのである。」と作者は解説してくれます。室生犀星は魚に魅せられた人だったので、主役は金魚でなければならなかったのでしょう。初版本の表紙にはほんものの金魚の魚拓がデザインされています。全体としては幻想的というより、もっと強いホラーだなあと思いました。

金魚は人間が品種改良した観賞魚だから、生まれてから死ぬまで人間に飼育される犬や猫と同じように、繊細なお世話が必要なのですね。金魚すくいで獲ってきたからといって、ただ水のなかにいれただけで満足しては、翌日の朝には、お腹を上にして死んでいる金魚を見ることになります。
何年か前に、北海道のある町の個人医院の待合室で見た金魚のことが記憶の底からよみがえってきました。全身真っ赤なままで大人のてのひらくらいに大きくそだっていて、よく管理されている大きなガラスの水槽のなかをひとり悠然と泳いでいるのでした。こちらが水槽に近づくと、金魚もこちらに近づいてきて、しばしの間、なんとなくお互いに通じ合っている感覚が生まれてくるのが不思議でした。磯野家の金魚もまるいおなかと大きな目で、こちらに何かうったえているようにも見えます。

いつ死ぬる金魚と知らず美しき(虚子)

2024.8.22
八巻美恵

八巻美恵 YAMAKI MIE 編集者  suigyu.com