長谷部千彩さま
『欲望の鏡』をおもしろく読んでもらえて、とてもうれしいです。いつも身近に置いておいて、ときどき適当に開いて、そこを読んでみるという使いかたのできる本だと思います。深刻な問題を笑って解放できるところがいい。リーヴ・ストロームクヴィストはスウェーデンの人で、スウェーデン語で書いているわけですが、スウェーデン語で書いている作家といえば、わたしにとってはトーベ・ヤンソンです。フィンランド人でスウェーデン語を使っているのは少数派かもしれません。ムーミンは楽しいけれど、その後の小説がとても好きなので、スウェーデン語つながりでそんなことを書いてみようかな。
と考えていたのですが、前々回の『歳月がくれるもの』に登場する年下の男の子(とはいっても高齢者)からメールが届きました。「歳をとってよかったと思うことはありますか?」ではなく、「歳月がくれるものはありますか?」と訊ね直してみたいと書いたことに対する彼のこたえが送られてきたのです。こんなふうに。
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ご質問に早速答えます。
僕にとって「歳月がくれたもの」は悲しみや恥などが薄らぐという寿ぎです。「忘れる」ということはいいものです。たとえそれが楽しかったことでも。感動したことでも。勉強になったことでも。有難いと思ったことでも。
記憶の蓄積に次ぐ蓄積は耐えられません。「このご恩は一生忘れません」を百個覚えていたら、辛いと思うなぁ。忘れないと生きていけない。薄情者、恩知らずと言われても。てへへ。
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そうです、おせいさんも言っています。「忘れるということはステキなことである」と。「思い出すのもつらかったことも、いつの間にかいい思い出になってる。もう胸は痛まない、そうなったら忘れることだって出来る。悔恨までそんなふうに溶けて流れて変わっていくのだから、年をとるのも悪いことばかりじゃない」と。「人生は非常時の連続である」し、「人生は非常識の連続である」のだから、どんな経験も溶けて流れて変わっていくのがあらまほしい。
田辺聖子には『上機嫌な言葉366日』という文庫があります。小説やエッセイからの短い抜き書きの日めくりのようなもので、一月一日は「笑うこと。/毎日笑えるナニかをみつけるか、つくること。」とあり、いかにもおせいさんらしいはじまりです。これを読みながら、わたしも好きな作家の日めくりを作ろうかなと思ったりしています。ひとつひとつはランダムに選ぶ断片だけれど、それらが366も集まれば、その作家の特徴はあらわれるでしょうし、断片を選んだ人がどんなふうにその作家を読んでいるのかもわかると思います。それに、断片を切り取っておけば、元の作品に戻るのも易しいから、自分のためでもあります。田辺聖子のように作品数が多いと、単に選ぶというのも大変かなと思いますが、今このPCと同じ机の上に置いてある『メッセージ トーベ・ヤンソン自選短篇集』は500ページ弱です。加えてムーミン以後の小説のコレクションが8冊あり、分量としてはちょうどよさそう。短編が多いのでいろんなタイプの切り抜きができそうな気がします。少々時間はかかりそうですが、もしもできたら送ります。期待しないで待っててくださいね。
2024.5.27
八巻美恵
第1回『自由への手紙』長谷部千彩
第2回『センス・オブ・ワンダー』八巻美恵
第3回『ロボ・サピエンス全史』長谷部千彩
第4回『アンナ・カレーニナ』八巻美恵
第5回『食べるとはどういうことか』長谷部千彩
第6回『「知らない」からはじまる』八巻美恵
第7回『昨日』長谷部千彩
第8回『そっと 静かに』八巻美恵
第9回『少年椿』長谷部千彩
第10回『春』八巻美恵
第11回『プーチン、自らを語る』長谷部千彩
第12回『優しい地獄』八巻美恵
第13回『片づけたい』長谷部千彩
第14回『夏』八巻美恵
第15回『香港少年燃ゆ』長谷部千彩
第16回『音楽は自由にする』長谷部千彩
第17回『人生は小説』八巻美恵
第18回『男が痴漢になる理由』長谷部千彩
第19回『歳月がくれるもの』八巻美恵
第20回『八ヶ岳南麓から』長谷部千彩
第21回『欲望の鏡』八巻美恵
第22回『わたしに無害なひと』長谷部千彩