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長谷部千彩さま

疫病と戦争に加えて、地震という天変地異がおき、春分が過ぎたというのに昨日は雪がふって寒く、停電を心配しました。ひどい世界ですが、お変わりありませんか。

ショートムービーは、メールでurl * をおしえていただいて、すぐに見ましたよ。簡素な花屋さんはどこまでもフィクションらしく詩的で抽象的なたたずまい。モノクロに近い店内ではいろんな花がまるで偽物みたいにカラフルで、抽象性を高めています。目を瞑っている登場人物の鼻先に、花が差し出されると、私の脳内はその花の匂いで満ちてきました。映像には匂いはないのに、不思議なほどひとつひとつの花の香りがたちのぼってくるのです。チューリップの香りを嗅いだことがないので、そのときにはいくら映像に目をこらしても匂いはやってきませんでした。この季節のあいだに匂いを嗅いでインプットしておかなくては。
「前奏曲」というタイトルにふさわしく、ラストは強い余韻をたたえていて、この先に想像が延びていきます。いくつかの断章が集まってひとつの世界がひろがっていくといいなと思うので、長谷部さんの宣言を信じることにしました。

同じころ、タイトルに惹かれて、韓国の作家ハン・ガンの『そっと 静かに』というエッセイを読みました。彼女の小説はいくつか読んでいますが、エッセイははじめて。音楽や歌についてのエッセイだったので、そっと静かに、というタイトルからは少し意外な感じがしました。でも、歌を聴き、自分で歌をつくり、それらについて書くハン・ガンの姿勢は、そっと静かで、小説とおなじです。映像に匂いがないように、本には音はありませんが、知っている歌はやっぱりちゃんと聴こえてきます。知らない歌は知りたくなります、特に韓国の歌、たとえば「タバコ屋のお嬢さん」とか。
取り上げられている30以上の歌のなかに大好きな「人生よありがとう」という歌を見つけたのはうれしいことでした。ハン・ガンは「たくさんの人がこの曲を歌ったけれど、メルセデス・ソーサの歌がいちばん正直で深みを感じる」と書いていますが、わたしはこの曲の作者であるヴィオレッタ・パラの歌により惹かれます。メルセデス・ソーサの歌が正直で深みがあることに異論はないけれど、「人生よありがとう」に限っては、どこか堂々としすぎていると思う。ヴィオレッタ・パラが、人生よありがとう、と歌うとき、ありがとうと同じくらいの強さで悲しみや絶望が感じられて、人生は寄るべないものという真実に胸がしめつけられてしまう。これはハン・ガンを読むときにも感じることです。

『悪童日記』は出たときに読んで、その後に翻訳されたアゴタ・クリストフの小説はほとんど読みました。『文盲』が最後だったかな。アゴタ・クリストフはハンガリーで生まれて、スイスに移住してからフランス語で書きはじめたわけだけれど、『悪童日記』が出版されたのは1986年で、2011年に亡くなったので、書いていた時間は長くありませんでしたね。センテンスが短く、そっけないように続いていくスタイルは、静かで残酷さもたたえています。その魅力は彼女にとってはフランス語が敵性言語だったこととも関係があるのかなと考えたりします。戯曲も読んでみたくなりました。

2022.03.23
八巻美恵

八巻美恵 YAMAKI MIE 編集者  suigyu.com