長谷部千彩さま
この間は久しぶりに会って、あれこれおしゃべりできて楽しかったですね。
あのあと、友人に頼まれて、彼女の代わりにこれから借りる部屋の内見をすることになりました。手続き上必要なことらしいのですが、本人が東京を離れていて。代わりにいくのは何の問題もなかったけれど、問題はわたしの身分証明書のこと。代理人は写真付きの身分証明書が必要だといわれて、持っていないわたしはアウト。急遽顔写真付き身分証明書を持っている人に頼んで、いっしょに手続きに行ったのでした。
顔写真付きの身分証明書には何があるかしら。長谷部さんと違って、わたしは自動車の運転をしないので、運転免許証は持っていません。会社員ではないから社員証はありません。パスポートはとっくに期限切れ。マイナンバーカードは得体のしれない政治家たちが得体の知れない理由によって推進しているので、どうしても取得する気にはなれないままです。持っていれば友人の代役はすんなりこなせたし、各種手続きのときには便利だとはわかっていても、なんとかナシですませたいなと思っています。取得したとして、私の個人的な情報には疾しいことはないけれど、持ちたくないと思うのは、こういうものを推進してくる国のシステムや世界のありかたにギモンを感じるからです。
『欲望の鏡 つくられた「魅力」と「理想」』(リーヴ・ストロームクヴィスト よこのなな訳 花伝社 2022)はそんなときに読むのに最適の哲学書でした。コントロールできない自分の容貌や魅力、そしてそれらの理想に対する欲望はどこからくるのか。歴史家、写真家、社会学者、哲学者などの引用をふんだんに散りばめて「欲望」の歴史と行く先を語る本です。著者のリーヴ・ストロームクヴィストは1978年生まれ、スウェーデンの漫画家です。いわゆる「グラフィックノベル」に分類されているとおり、この本はすべてのページがイラストです。引用は著者が語るスタイルになっていて、そこがとてもおもしろい。たとえばスーザン・ソンタグは左手にタバコを持って写真について語り、シモーヌ・ヴェイユは分厚いメガネをかけて美について語っています。ガチのフェミニストであることは読めばすぐにわかりますが、まじめに探求し続けるテキストとユーモアに満ちたイラストの相性は抜群で、作者の風刺もはっきりと感じられます。当たり前だと思っていることも実はこれまでの歴史で作られてきたことで、ぜんぜん当たり前のことではない。ユーモアのあるイラストに笑いながら、それらの問題の根深さを知ることができて、わたしはすっかりリーヴさんのファンになりました。生きている、それは知らぬ間に歴史をつくっていることでもあるのです。
上野千鶴子さんはわたしと同世代なので、『セクシィ・ギャルの大研究―女の読み方・読まれ方・読ませ方』から折に触れて著書は読んできました。最近ではボーヴォワール『老い』についての連載がおもしろかった。
2024.4.28
八巻美恵
第1回『自由への手紙』長谷部千彩
第2回『センス・オブ・ワンダー』八巻美恵
第3回『ロボ・サピエンス全史』長谷部千彩
第4回『アンナ・カレーニナ』八巻美恵
第5回『食べるとはどういうことか』長谷部千彩
第6回『「知らない」からはじまる』八巻美恵
第7回『昨日』長谷部千彩
第8回『そっと 静かに』八巻美恵
第9回『少年椿』長谷部千彩
第10回『春』八巻美恵
第11回『プーチン、自らを語る』長谷部千彩
第12回『優しい地獄』八巻美恵
第13回『片づけたい』長谷部千彩
第14回『夏』八巻美恵
第15回『香港少年燃ゆ』長谷部千彩
第16回『音楽は自由にする』長谷部千彩
第17回『人生は小説』八巻美恵
第18回『男が痴漢になる理由』長谷部千彩
第19回『歳月がくれるもの』八巻美恵
第20回『八ヶ岳南麓から』長谷部千彩