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長谷部千彩さま

長かった暑い暑い夏にもようやく陰りが感じられるようになりましたね。
二度もお手紙もらったのに、すっかりご無沙汰、お元気ですか?

この夏のいつもと違う暑さは体が弱っている人には乗り越えられなかったようで、身内や友人を何人か見送ることになってしまいました。葬儀場に行っても、死後の手続きのために役所に行っても、私とおなじように親しい人を亡くした人たちがたくさんいるので、死というものは生きものにとっては日常のありふれた出来事なのだなとあらためて感じました。でも私というひとりの生きものにとっては、亡くなった人たちはそれぞれにたったひとりの代替がきかない人であり、その人たちを見送るというのも一度だけの経験です。

暑さも加わって、なにもする気になれないこんなとき、つい手に取るのはミステリの短編です。ミステリはアイディアだけでできているフィクションですから、短編ならアイディアそのものを端的に楽しめます。できれば読みながらフッと笑えるユーモアのあるやつがいい。ということで、『ガラスの橋 ロバート・アーサー自選傑作集』(小林晋訳 扶桑社ミステリー 2023)という新刊の文庫本を手に取りました。

目次を見てまず惹かれたのは「極悪と老嬢」という30ページほどの短編でした。ミステリ・マニアの72歳と70歳の老嬢姉妹が、小さな町からミルウォーキーまで出てきて、「何千冊もの推理小説を読んだ結果、私たちにはこの状況をどう扱うか、しっかりわかっているわ」という信念のもと、推理小説だけを頼りに、極悪な犯罪者をやっつけるという痛快なお話です。推理小説を何千冊も読んだということはそのための時間が経過しているわけで、二人は老嬢になっていて当然なのですね。

作中にいろんなミステリ作家の名前が出てくるのも読んでいて楽しかった。極悪をやっつけたあとに、二人は「私たちには一万五千ドルあるから、これから世界一周旅行に出かけようと思うの――最初の滞在地はロンドンでしょうね。……サー・ヘンリー・メリヴェイルとアルバート・キャンピオンのロンドン! スコットランド・ヤードのロンドン! 霧深いロンドンの通りで、私たちはどんな冒険に出くわすかしら? スコットランド・ヤードを手助けして、逮捕を免れそうな犯罪者に正義の裁きを受けさせることができるかも!……もしかすると、ベイカー・ストリートに家具付きの部屋を借りることだってできるかも!」と、あこがれのロンドンに旅立っていくのでした。
1960年に発表された作品なので、老嬢たちが自分の頭と身体だけで困難に対処していくところがとてもよかったです。AIなど、余計なものに取り囲まれている現在の老嬢のわたしも、ときには自分の頭と身体だけにたちかえらなければ。

それから何日かあとに片岡義男さんと夕食をともにする機会がありました。集合の時間まで少し余裕があったので、書店にはいってミステリの新刊の棚を見ていると、『人生は小説』というタイトルが目に飛び込んできました。まるで片岡さんの小説のようなタイトルだと思いませんか? あまり売れることを期待されていないのか、書棚の最上段にあった一冊を、踏み台に上がって、ようやく手に取り、買いました。ジャケ買いならぬタイトル買い、です。
夕食の注文が終わったところで、すわっている片岡さんの前に『人生は小説』(ギヨーム・ミュッソ 吉田恒雄訳 集英社文庫 2023)を置きました。タイトルをじっと見た片岡さんは「いいですねえ」と顔をほころばせてうれしそうに言いました。予想どおりの愉快な展開でした。

内容は二の次と思って買ったけれど、せっかくなので読みました。主人公の男性作家が書いているミステリの主人公が女性の作家で、なぜか二人がお互いに干渉しあって、それぞれの生活や書いている小説にまで影響を及ぼすという、実験小説のような趣もあって、それはそれで楽しく読みました。片岡さんの作風とはまったく違いますけれどね。
以前にも『義男の青春』(つげ義春)や『メインテーマは殺人』(アンソニー・ホロヴィッツ)などのタイトルを見せて、片岡さんを笑わせましたが、今回の『人生は小説』が最高だったのではないかと思っているところです。検索してみれば書影が出てくると思いますが、なぜか三冊ともタイトルの文字が大きい。長谷部さんのお手紙にもあったように、本はいろんな経路でやってくるのですよね。今回はタイトルがわたしを呼んだのでした。

2023.9.21
八巻美恵

八巻美恵 YAMAKI MIE 編集者  suigyu.com