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長谷部千彩さま

美しい五月がそろそろ終わります。温度も湿度も快適なはずが、今年は快晴の日が少なかった。でも、いろんな花が咲き、とりわけ薔薇はいまでも咲き誇っています。薔薇のなかでも小さな花のもっこう薔薇は自力で勝手に咲いている印象ですが、大きな花は人の手を借りて、美しく咲いています。自宅の近くにはいくつか、マークしている薔薇の花咲く庭があるので、花盛りには必ず見にいきます。庭の全体が見渡せるような、すきまの多い冊の家の前では、つい立ち止まって花にみとれてしまう。もちろんマスクははずして、花の香りをぞんぶんに体内に取り込みます。

越智康貴さんのことを読んで、そういえば、日常として薔薇の庭の手入れをしているのは男性が多いと気付きました。近くの古い団地には庭のような余白があり、そこに花壇のようなものを作って、かつての「花いっぱい運動」のように、いつも一年草の花々が咲いているのですが、楽しそうに世話をしているのは、おそらく退職後の男性3人くらいです。男性と花は相性がいいのかもしれませんね。

薔薇からはさらに、詩人のリルケも思い出しました。高校生のころに「薔薇の内部」や「薔薇 おお 純粋な矛盾」などの有名な詩を読み、薔薇に関心を寄せる男性というのがなによりも新鮮でした。半世紀前の日本の田舎の日常には、そういう男性はみかけなかったから。リルケは訪ねてくる女性のために庭で薔薇を摘んでいて、トゲが刺さり、そこからバイ菌が入って死んだという話も、なんてロマンチック! とうっとりしたものです。でもこれは美しい伝説であって、ほんとうの死因は白血病だったようです。

リルケを思い出したのはアリ・スミスの『春』を読んだからでもあります。イギリスのEU離脱が背景となっている「四季四部作」の三作目のこの小説は、最初のページから、これは政治的な小説であることを主張します。映像作家の男性の物語と移民収容所の女性の保護官との別々の物語が続き、そのふたりをつなぐ少女がいて、物語は政治的でありながら、予想外の展開ですすんでいきます。そのストーリーのおもしろさがあるからこそですが、映像作家が仕事との関連でとりつかれる、リルケとキャサリン・マンスフィールドとが出会ったかもしれないという推測のあれこれがもっとも楽しめました。現実にはなにも関係のなさそうなこのふたりが、1922年の夏にスイスの同じ小さな町で過ごしたのではないか、という映像作家の推測なのですが、そのために、著者のアリ・スミスはベラ・バウエル著『四月』という架空の小説の引用までしてしまう周到さです。マンスフィールドは結核が悪化して翌年のはじめに死んでしまいます。わずか34歳でした。ヴァージニア・ウルフに深い影響を与えたという小説などはすでに書いていたはず。リルケは「ドゥイノの悲歌」や「オルフェウスへのソネット」を構想し、書いていたころです。小説のなかの人たちに導かれて、二人がお互いを知らないまま町のレストランで背中合わせにすわっていたというような場面を想像して萌えました。四部作最後の『夏』の翻訳が六月に出るという予告を見たので、楽しみに待っています。

1922年はちょうど100年前です。『春』によれば、その年は大英帝国には世界の人口の約五分の一が属していた。ムッソリーニが動き出していた。アイルランド内戦のさなかにマイケル・コリンズが暗殺された。それから100年後のいま、世界はもう少しよくなっていてもいいのにと思いますが、そうはなっていませんね。むしろいろいろな問題が解決されないままわかりにくく入り組んで、そのままあるような気がします。

来月には、ハン・ガンの詩集『引き出しに夕方をしまっておいた』が出ますよ。楽しみですね。いくつかの自作詩朗読がすでに YouTube で公開されています。韓国語の朗読なので、言葉の意味はほとんどわからないけれど、ひっそりとして絶望を含んでいるような、でもあたたかいハン・ガンの声は身体に直接ひびきます。こんなふうに著者の魅力が読者に伝わっていくのもいいなと思います。

2022.5.28
八巻美恵

八巻美恵 YAMAKI MIE 編集者  suigyu.com