東京・消失・映画館 最終回 辻本マリコ

新橋駅烏森口を出て、方向に迷っても“いかがわしいほう”に向かって高架沿いを歩くと、映画館に着いた。

飲み屋や風俗店の禍々しい看板が並ぶ一帯の入口、高架下のアーチを埋めるように二軒連なる映画館。新橋ロマン劇場はポルノ映画館、新橋文化劇場は名画座。最終営業日は土曜。夜はきっと混雑するから早朝から出かけ、最前列の定位置に座った。

かつてアメリカ都市部の場末にあったB級映画が何本も一日中かかる映画館、グラインドハウス。新橋のグラインドハウスの最終番組は「デス・プルーフ in グラインドハウス」「タクシードライバー」の二本立て。踵落とし一発で鮮やかに「デス・プルーフ」が終わり、灯りのついた場内を眺める。スクリーン両脇にあるトイレ、B級アクションのポスター、壁に飾られたプラスチックの造花。昭和がまるごと保存された空間に身を浸すと否応なしに日常から切り離される。そのせいか、新橋に足が向くのは心の曇る日が多かった。暗闇で、頭上を走る電車のガタゴト音を聴きながら、スクリーンに投げたもやもやが跳ね返り、また投げ、やがて物語に身体ごと取り込まれてゆくのを期待した。幕間のスクリーンを見つめながら、そのことを思い出すと急に心細くなって、気がつけば泣いていた。

再び灯りが消え、70年代ニューヨークのネオンが視界に広がった。「タクシードライバー」は不眠症を患うベトナム帰還兵のタクシードライバーが、汚れた街を浄化すべく奇妙な行動に至る物語。デ・ニーロ演じるトラヴィスがタクシーで夜の街を走る冒頭の描写が最後にも訪れる円環構造のためか、物語が永遠に終わらないような錯覚に陥りながら、外に出ると新橋の白昼。

最後の一本にこの映画が選ばれたのは、映画の中のニューヨークと新橋がどこか似ているからだろうかと、その時は推測した。しばらくして読んだ本でグラインドハウスの歴史、70年代のニューヨーク42丁目、行き場のないトラヴィスが入り浸るポルノ映画館のある一帯こそ、かつてグラインドハウスのメッカだったと知った。「タクシードライバー」は今は亡きグラインドハウスを記録した映画だったのだ。

唯一無二の組み合わせの最終番組、謎が解けた気がしたけれど、もはや答え合わせの術はない。新橋文化劇場は饒舌な呟きのTwitterも名物だったけれど、なぜその映画をかけるのか、説明するような呟きは最後まで目にしなかった。知識なんて野暮なこと、ただ映画を観ればいい、と照れながらはぐらかされたのか。

震災を経験しオリンピックに向けた開発が始まった東京で、星の数ほどある遊び場からとっておきを見つけたなら、お互い元気なうち、存分に愛し合わなければならない。あれから新橋に行くたびに、遠回りして“いかがわしいほう”の高架下に向かった。立入禁止の幕の張られた、あっけないほど狭く小さいアーチ型の空洞を前に動けずにいる私を、白いシャツのサラリーマンが振り返り、不思議そうに通り過ぎて行った。

新橋文化劇場
1956年開館、2014年閉館

挿画:井出武尊