東京・消失・映画館 第五回辻本マリコ

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東京は広く、街と街の間に時差がある。六本木、土曜日の朝。街は起動する気配もなかった。

誰ともすれ違うことのない、人の気配のない朝の六本木は、夢の中で歩いた架空の街角みたい。夜になればきっと賑わうのだろう、表からは何の店か伺い知れない、六本木にしか存在しない種類の建物の並ぶ路地を歩き、シネマート六本木に到着した。

大小4つあるスクリーンのうち50席弱、ホームシアターのように親密な狭さの上映室に朝から夕方まで篭った。他ではお目にかかることのない韓国や香港映画の予告篇が流れるのも、アジア映画専門館ならではのこと。東京では、どの国、どのジャンルの映画であっても熱心な観客がたくさんいることに未だ驚く。

「次の朝は他人」「ハハハ」「よく知りもしないくせに」「教授とわたし、そして映画」の4本からなる「恋愛についての4つの考察」と名付けられたホン・サンス監督特集は年末に新宿で上映され、年明けに六本木に流れた。

映画はどこかしら、観客である自分の日常に対して垂直に立っている。けれどホン・サンスの映画は日常に並走し、やがて映画と自分の境界が曖昧になる。感情移入とも違うそれは初めて味わう感覚だったから、一度観た映画をすぐ観直すことは滅多にないけれど、珍しい例外となった。

高等遊民のような映画監督、映画学科の学生、偶然知り合った女たち。他愛のない、戯れのような恋。登場人物たちは同じ場所を何度も往復し、映される日常は反復しながら差異を生む。4つの映画はどれも似ているようにも全く違うようにも見え、際立った特徴があるのに、説明する言葉が見つからない。それこそがホン・サンスの特徴のようにも思える。起承転結も時系列も曖昧な物語は余白の多いスケッチのようで、観るたびに違う表情を見せた。好きな理由はわからないけれど、ただ惹かれる自分を発見する、恋に似た感覚が映画との間にあった。

1本観終わるたびに外に出て、あたりを散歩した。違うルートで戻りながら、角度を変えて眺めたシネマート六本木の建物は、眺めるたびに違う表情を見せた。映画館の内と外を往復したその日は、ホン・サンスの映画に流れる時間のように、反復しながら差異を生み、映画と自分の境界は混じりあって、記憶の中に溶けている。

シネマート六本木
2006年開館、2015年閉館