『超訳 古事記』鎌田東二

『超訳 古事記』鎌田東二
(ミシマ社 2009年)

 訳あって少し前から、日本の神話を調べている。その流れで当然『古事記』にも興味をもった。断片的に知っている神々の名前を『古事記』という書物は体系化してくれる。自分がその体系の末端を生きていることを知ると同時に、一見すると荒唐無稽な神々の逸話は実に面白い。

 『古事記』には日本の国土の誕生から天皇の登場にいたるまでの神々の逸話が伝記のように書かれている。いわば日本建国の歴史書のようなものだ。もちろん史実ではないとする研究があることには一応触れておく必要がある。しかしながら、一人の神の耳やら鼻やらから別の神が誕生したり、誕生したばかりの神を産み落とした神が殺害したり、西洋よろしく神様というのは、どうにも傍若無人である。

 いくつものクライマックス級の出来事が、速射砲のように次々に展開していく。その展開の速さに身を任せ神話の世界にどっぷりと浸かりたいのだが、いかんせん読みづらい。1300年も前の書物を予備知識もなしに読み解くのは不可能に近いだろう。かくいう僕も現代語に訳されたものを読んだわけであり、それが本書『超訳 古事記』である。

 筆者の鎌田東二さんは宗教学者であり、大学の先生であり、神道ソングライターという異色の肩書きの持ち主だ。この本はいわゆる解説本でも、原文にそった逐語訳でもない。あとがきには、こう記してある。

おおきな流れや大意は『古事記』に沿っているけれども、一文一文の訳は自分なりの訳であり、自由訳、といえるでしょう。それを、ここでは「超訳」と呼ぶことにしました。

 考えてみれば、現代を生きる僕たちにとって『古事記』がこんなにもテンポよく受け入れられるはずはない。この「超訳」こそが、本書の醍醐味であり、面白さの所以でもある。

 そもそも『古事記』は稗田阿礼が「誦習」し、太安万侶が書き記したとされている。本書はその両者を現代に転生したかのように、鎌田さんが部屋に仰向けに寝転び、記憶とイメージだけを頼りに語り、編集者の三島邦弘さんが記録するという形で誕生した本だ。

 なるほど。面白いものをつくるには、面白い作り方をつくればいいのだ。現代語になった日本最古の歴史書はそんなことにも気づかせてくれる。