スティーヴン・キング『ダーク・タワー』柿澤龍介

『ダーク・タワー』 スティーヴン・キング(新潮文庫 2005年)

 およそ二十年前に従兄弟から借りて、そのまま積読状態だったスティーヴン・キング『ダーク・タワー』(風間賢二訳)を読んでいる。ついに積読に消化に取り組み始めた自分のことを偉いと思いながら。
 全7巻16冊のうち5巻12冊まで読んだ。借りた当時、キングファンの従兄弟に強力に勧められた記憶があるが、つい先日その従兄弟も途中までしか読んでいないことが判明し、虚を突かれた。
 二十年の間に加筆・修正された新版がKADOKAWAから出版されていることを昨日知ったものの、このまま新潮文庫版を読み進めるほかない。
 西部劇の意匠を纏ったファンタシー世界を舞台に、アーサー王伝説、指輪物語、キングの他作品を横断するユニバース構想、ホラー、SF、ミステリー等々、大量の要素を詰め込んだゴッタ煮小説だ。特にトールキン『指輪物語』の影響は強く、プロットの基礎構造は同じと言えるだろう。とはいえ『ダーク・タワー』の主人公が行きて帰れるかどうかはまだ分からないが。
 1巻は他のキング作品と比べてはるかにモノトーンで抽象的な印象を受ける。砂漠を舞台に現実と幻想が混じり合う辺り、いわゆるマジック・リアリズム小説にも通じる感触がある。「酒場の床の吐瀉物に鼻を突っ込んで食べる犬」に最もキングを感じた。
 2巻に入ると、カラフルに散らかった具体的描写が散りばめられ、パラノイアが現実を侵犯する、キングお得意のダーク・ファンタシーが展開される。
 ふと見たデジタル時計の数字がゾロ目だったり、一日の間に別の場所で同じ単語を何度も耳にしたり、「この偶然には意味があるのかもしれない」と頭を過ぎる小さな気の迷いを、掴んで捏ねて広げて切り刻んでぶち撒けて娯楽小説に仕立て上げる剛腕の持ち主がキングだ。
 素朴なフェミニズム思想が見て取れるのも興味深い。考えてみれば西部劇の主人公などというものはマスキュリニズムの塊のような存在なのだから、反作用的にフェミニスティックな視点が生まれてもおかしくない。これは男性作家がその視点を誤魔化さず取り込んだ物語でもある。