『百味菜々』小梶由香

『百味菜々』 拵え 横山夫紀子、撮り 秋元茂(リブロポート 1990年)

 大学進学を機にひとり暮らしとなり、そこで初めてわかったことは、自分は料理を作ることが好きだということでした。
 高校時代は遠距離通学だったので、お弁当は母まかせ。家庭科の調理実習も熱心にやった記憶はなく、進路を決める時も栄養系家政系は全く眼中にありませんでした。ところが家事を自分の差配で始めたら、料理が一番好きになりました。常に献立で考えて、実家にいた頃と同じように、何品も食卓に並べていました(ひとりなのに)。
 そこから、必然的に料理本を買い集めるようになりました。当時は今のようなネットでのレシピ検索がないので、あくまで美味しい料理を作るための本。あれこれと読み比べているうちに、この人のレシピが好きとか、このレシピは作りにくいなぁとか、自分のものさしができてきたように思います。そしていつしか、料理を作るためだけではなく、小説を読むように料理本を読むようになっていました。 一昨年の引っ越しを機にかなりの量を手放しましたが、それでも300冊を超える料理まわりの本が今も手元にあります。
 そんな私が大切にしている一冊が、「百味菜々」です。
 東京・青山にかつてあった「百味存」の店主、横山夫紀子さんの手による料理が秋元茂さんのうつくしい写真とともに田中一光さんの手により纏められています。また、三宅一生さんや高橋睦郎さんなど、百味存ゆかりのある著名人のエッセイが写真の間に綴られており、百味存という稀有な店を理解する、よすがとなっています。
 奥付けを見ると1990年11月8日とあり、今から約35年前に発刊されたこの本ですが、表紙まわりをはじめ、どのページを繰っても、古さは微塵も感じられません。そこにある野菜料理の数々は私たちが普段見る姿とは、全く違う顔をしています。冒頭では下拵えを施した野菜たちがページ全体から勢いよく立ち昇ってきます。野菜への包丁の入れ方。切り出し整えたその形。野菜の持つ色。野菜そのものの姿より、生命力を感じます。次の章では、その下拵えを施した野菜たちが、器に盛られ、料理として昇華していきます。どこか緊張感漂う潔い皿の数々は目においしく、その香りまでただよってきそうです。そして、白眉はルゥーシー・リィーと北大路魯山人の器に、横山さんが料理を盛り込んだ章。器の本質的な魅力は、料理を盛ってこそ発揮できると感じられる写真の数々は、新しい美しさの発見です。
 1992年の12月に入籍を控えた夫とふたりで初めて伺った時も、身近な野菜たちが、横山さんの手にかかると途端に饒舌になり、全く知らない魅力を放つ様を、静かな空間の中で、噛み締めていたのをおぼえています。今も手元にあるその時書いたメモからも、丁寧な仕事が感じられます。
 料理好きが高じ、今、茶懐石をライフワークにしている私は、茶事の料理を考えるたびに、横山さんの仕事を思い出しているのです。

*1999年5月12日 コエランスより再版