ラフカディオ・ハーン『怪談 不思議なことの物語と研究』イナガキ ナオコ クレール

『怪談 不思議なことの物語と研究』
ラフカディオ・ハーン(岩波文庫 1965年)

先日、古書店の棚の中からラフカディオ・ハーン著『怪談』を見つけ、購入した。
「耳なし芳一」や「雪女」を、懐かしい気持ちから再読してみたくなったのだ。

ハーンは出版社の通信員として1890年に渡来した後、英文学の講師などをする傍ら、日本の作家や文学を研究していた。近代化にともない、日本の風土が生んだ因習や信仰が切り捨てられていった明治時代。さまざまな国の怪談を愛好していたハーンは、夫人の節子が探してきた江戸の古本や、日本各地で採話した民話に夢中になっていた。超自然は時代遅れとされた文学の流れのなか、独自の《怪談》を創作していたのだ。彼は異国人だったからこそ、その重要性や美しさを理解していたのではないだろうか。元々は短い話だった「耳なし芳一」を、ハーンはその想像力で豊かなストーリーへと生まれ変わらせている。
最後におさめられた物語「蓬萊」は、“あるところに老いを知らない心を持つ人々が睦まじく暮らしていた。その国を覆っていた霊妙なる大気が、西から吹く邪悪な陰風によってまぼろしのように消えつつある”というお話。これはハーンからの忠告に感じたが、その頃には蓬莱の島は、すでに失われていたのではと思う。

コロナ禍後、ミニマリストの流行があった。効率的で無駄がないことがよしとされている現代に、どこか息苦しさを感じている私にとって『怪談』との再会は、合理的でないことも必要だという思いを後押ししてくれた。
先日、友人が小舟ちゃんという名前の6歳の娘さんを連れて遊びにきた。私たちが話している間、小舟ちゃんは絵を描いていたが、ふと見ると鉛筆を自分の鼻に当てている。天狗の真似だという。友人が子供たちを注意するとき、「悪いことをすると天狗が来るよ」と教えているそうで、今もそんな話が伝えられていることに驚いた。根底に続いてきたものは、簡単には消えないと思えた出来事だった。
言い伝えは私たちの中で生き続け、これからも伝承されていくのだと思う。