『地球にちりばめられて』
多和田葉子(講談社 2018年)
読み始めてすぐに、あー多和田さんのこと本当に好きなんだ!と思ったくらい。
何がそんなに好きなんだろうか。
日本がすでに沈んでしまった世界。ヨーロッパが舞台で、主人公hirukoが母語(日本語)を話せる人を探す物語。
すでに「日本」が土地としても文化としても現存しないので(いろんな人の手によって謎の複製を何度か経て…)、いつの間にかスシはフィンランド料理、マッチャはMachoからスペイン原産ということに。違うんだけど〜!でも一人では証明できない〜!というもどかしさと共に一緒に冒険へ。
この辺りから、ああナショナリズム。この感情はなんだ。国ってなんだ、となる。
”母語”というもの、”母国”というもの。冒険そのもの。
そこに、スパイシーなセンスが加わります。
まず言葉。
hirukoは、この辺全域でなんとなく伝わる言語(パンスカ)というのを発明し、文中では不思議な日本語に変換されている。
でも、パンスカを話すhirukoが一番hirukoらしい。曖昧なままの表現。でもとても的確。
例えば「恋人」という言葉に対して、”恋人は古いコンセプト。わたしたちは並んで歩く人たち。”と言ったりする。cool !! yabai !!
そして、仲間たちもとてもカラフル。母国がなくなったというテレビ番組に出ていたhirukoにたまたま惹かれた言語研究者のクヌート。クヌートに惹かれたインドルーツのクィア・アカッシュ。エスキモールーツのテンゾと、テンゾを助けて恋仲になるノラ。
引っかかることを織り込んで、平面から立体へ編み込んでいくと、なにかが俯瞰して見えてくる気がする。
言語(音のつながり)と歴史とフィクションとを行き来して、世界が無限になっていく。無作為に地球にちりばめられた私たち。あるかもしれない未来。
いろんなことが出汁のようにじんわり、ゆっくり。
続編が2つあるのですが、読み終わりたくなくて読み始めてないです。これを機会に読みます!