斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』宇佐美華

『韓国文学の中心にあるもの』
斎藤真理子(イースト・プレス 2022年)

知らない空白、
知らされなかった空白、
知ることが許されなかった空白、
知らずに忘れ去られた空白、
を知りたいと思うこと。

私はなんで知らなきゃいけないと思ったの?
一体何に駆り立てられて色々調べたりしてるの?
ってずーーーっと考えていて。
踏み込もうと思ったのは、シンプルに「恥」なんだとわかった。
無知が恥ずかしい。無知でいられたことも恥ずかしい。

あまりにも近い国と、あまりにも複雑な物事があって、今でもそこから根を張って広がった枝葉がある。
その土地で、いろんな思惑によって、今日と明日が常に変わり続けたこと。
その中で起こり得て、今も残っていること。

何事も、起こり得る時は、様々な要因が結集して初めて形になるのだと思う。
一つ一つは小さいかもしれないけど、良くも悪くも、巨大な塊になって現れるまで、人間は多分それを認めることができないのかもしれない。

脅威のスピードでたくさんのことを成し遂げた人達は、その副作用も受けながら懸命にならざるを得なかった。
そして、今も、血と汗と涙が染み込んでいる場所(地上戦という意味では沖縄も、今もどこかしこ)で生きている。
その中にいなかった / いない人が、そんなに一生懸命に…というのは簡単だろう。
そこじゃなくて、何がそうさせたのか、に目を向けること。

本を読んで映画を見て音楽を聴いて、共感!エンパワーメント!って思うのはその通りだけど、なぜそれがエンパワーメントなのか、その力はどこから来たのか、何がそうさせたのか、にも及んでいたいと思う。

文中で斎藤さんがいう≪言葉にならない「あっ」っという思い≫を、私はいつだって忘れることができない。どうしても「あっ」って感じてしまうし、抱え続けてモヤモヤしてしまう。

でも、時間が経ったとしても、その分レイヤーが重なって、見えたり、想像できることが増えたりすることもある。
新たに話を聞かせてもらうこと、隠されていた事実を踏まえたことがたくさんあって、それはまさに、≪受け取り損ねたなにかを掬い取ることにつながる≫と私も信じている。

丁寧に掬い取ることをしている人が心から好きだ。尊敬している。
事件を追ってルポルタージュを書く人、土地に寄り添って映像を作る人、忘れないように歌にのせる人、ずっとSNSで発信をし続ける人。

30歳になって、自分はどういたいのかを考えた時に、社会を考えることにつながって。
わかりやすくBTSが目の前に現れて(そして大体の人がそうであるように沼にハマって)。
幸いにも、これからだってどんどん知らないことが増えていって、その度に何かがそこで待っていてくれる気がする!
恥ずかしがってる暇はないんだった!と、と決意させてくれた本です。