『ある家族の会話《新装版》』ナタリア・ギンズブルグ
(白水社 1992年)
子どものころから「一家団らん」「家族水入らず」という物言いに違和感を持って生きてきた。べつだん親、兄弟から冷たくされたり、仲が悪かったりするわけではない。ただ、そこから透けて見える「家族だから許せる」「家族なら仲良くするのが当たり前」という、じつに無自覚な“常識”の押し付けに辟易させられるのだ。
しかし同時に、家族や一族を主題とした物語に惹かれる。北杜夫『楡家の人びと』、トーマス・マン『ブッデンブローク家の人々』、ジョン・スタインベック『エデンの東』……。これらの小説が映し出す家族の葛藤や愛憎、それを取りまく人びとの様相は、人間の強さや弱さ、可笑しさや嫌らしさを見事なまでに描き、そのリアルさに身震いする。学生時代、「一家団らん」「家族水入らず」という言葉から感じる居心地の悪さを埋めるかのように、こうした物語をむさぼり読んだことを覚えている。
なかでも、はじめて手にしたときから心奪われ、くりかえし読んできたのは、イタリアの女性作家ナタリア・ギンズブルグが1963年に発表した『ある家族の会話』だ。ムッソリーニが台頭し、ファシズムが蔓延した時代に、自由を求めて抗い生きた家族の姿が描かれている。
あくまでも小説のスタイルをとっているが、まえがきに〈この本に出てくる場所、出来事、人物はすべて現実に存在したものである。架空のものはまったくない〉とあるように、登場人物はすべて実名。第二次大戦前後のイタリア現代史ノンフィクションともいえる作品だ。
ナタリア・ギンズブルグの父は社会主義を信奉するユダヤ系イタリア人、夫は反ファシスト・グループのリーダーという環境のなか、家族や友人たちから逮捕者や流刑者、亡命者、獄中で亡くなる者まで出る……。そう聞けば、暗い時代の重い話に思えるが、登場人物がじつに生き生きと個性的に描かれていること、事実を冷静に淡々綴っていることもあって、ステレオタイプにイメージする「戦時下の悲惨な話」とは一線を画す。シニカルでユーモラスでやさしく繊細なこの物語から見えてくるのは、過酷な環境におかれていても人は生活を営みつづけ、より良い現実を生きようとする、という当たり前の姿である。ステレオタイプでないぶん、「イタリア現代史の最も悲惨で最も魅力的な時期」というこの作品のキャッチフレーズがむしろ真実味をおびて伝わってくる。
ともすれば日本人の読者からはそっぽをむかれてしまいそうな、遠いイタリアの一家族の物語を魅力的なものにしているのは、翻訳者である須賀敦子との出合いが大きかったのではないだろうか。『ある家族の会話』が須賀の手ではじめて紹介されたのは79年、日本オリヴェッティ社の広報誌『SPAZIO』で、85年に白水社から単行本化された。その後90年に自著デビューした須賀の『ミラノ 霧の風景』『コルシア書店の仲間たち』『ヴェネツィアの宿』とつぎつぎと発表される作品を読むにつれ、ギンズブルグと須賀の文体の親和性について考えた。
須賀は自著デビュー後の92年に出た『ある家族の会話《新装版》』の訳者あとがきで〈この本を訳したときと今日のあいだに、私は翻訳だけでなく、思いがけなく、自分で文章を書くようになった。(……)ナタリアから私が書くことをならったのは、疑う余地がない〉と述べている。ギンズブルグが名エッセイスト須賀敦子の誕生に大きく影響したのだろうか?
しかし、もともとの須賀の文体がギンズブルグの小説に息吹を与えたとも考えられる。原文を超える訳文というのは例がないわけではない。たとえばアンデルセンの『即興詩人』は森鷗外により翻訳され、「原作以上」と評価されている話は有名だ。
私は30歳からしばらくイタリア語の学習をした。語学留学の経験もある。しかし、残念ながら文体を味わえるほどイタリア語をものにしてはいない。ギンズブルグと須賀の文体の“親和性の謎”については、もうすこし先──いつになるかな──の楽しみとしてとっておきたい。