俄羅斯咖啡,俄羅斯軟糖。台北のロシア料理屋の窓際で、それが何かわからないままオーダーした。ロシアン・コーヒー、ロシアン・マシュマロ。
私は甘いものを食べる能力が低い。マシュマロ、一口だけ欲しいのですが、とマダムに言うと、一口だけは難しく注文は一皿単位でとのこと。わかりました、では一皿で。窓から向かいの、中華の色彩にまみれた装飾過剰な寺院が見える。ここはいったい何処なのだろう。
店は老舗で、壁に長い歴史が書かれている。創業者はロシア革命から逃れるべく上海に渡った後、国民党一派とともに台湾に来たらしい。ロシアを出るとき、台湾に辿りつく未来なんてきっと想像していなかっただろう。祖国を離れる決断には、どんな勇気が要るのだろう。おそらくこの先、味わうことのない決断について、深淵なる問いが生まれた。
映画「ニノチカ」を一例として。革命で貴族から没収した宝石を売りさばくため、ロシアからパリに派遣された男3人組は、華やかな街の虜になり、あっという間に資本主義に懐柔される。働きの鈍い彼らの監視役として派遣されたニノチカはガチガチの共産主義者。そんなニノチカがパリでプレイボーイ、ミシェルに出会い、生まれ育ちの違いゆえに信じるものが違うふたりが、次第に甘く雪解けてゆく。
物語の最後はロシアでもパリでもない第三国。ミシェルは、ニノチカに罪悪感を抱かせず亡命させる妙案を思いつき実行する。祖国と愛情を天秤にかけさせ、どちらかひとつを選ぶことを迫らなかったミシェルは夢の紳士である。この時に使われたのが、異国にロシア料理屋を開くという方策だったため、以来どの街を歩いてもロシア料理屋を見かけるたび、その奥に「ニノチカ」のような、違うものを愛するあなたを愛する、そんな愛の物語が潜んでいるのでは、と妄想することとなった。
アメリカへ亡命したふたりのロシア人による料理エッセイ「亡命ロシア料理」は、「ニノチカ」の事後譚のように読んだ。ロシアを出て初めて知った各国の食の新奇さを堪能しながらも、ロシアの誇りにかけて罵倒する理屈っぽい語り口は、愛に陥落する前のお堅いニノチカそっくりである。
ロマンティックな理由であろうと逼迫した事情があろうと、亡命先では新しい生活が待ったなしで始まる。祖国の味を再現しようにも異国で材料が都合よく手に入るはずもなく、代替品の発見や工夫が求められ、その嘆きと格闘の日々の記録は「亡命ロシア料理」という謎めいたタイトルそのもの。曰く「亡命者が失って取り戻せぬものを、悲嘆にくれながら挙げ連ねたら、亡命してよかったことのリストと同じくらい、際限がない」。これほど真剣にロシアとは、料理とは、を考察するのは、彼らが食事のたびに、もはやロシアにいないことを実感するからだろう。
カチャリ、とテーブルに陶器が触れる音で我に返ると、ロシアン・マシュマロが目の前にあった。ロシアの味を台湾の材料で再現したであろう、亡命ロシア料理。ふかふかした弾力の白い生地に胡桃の欠片が点在するそれを、ロシアの味の忠実な再現なのか、異国ゆえの工夫が含まれているのか、試すようにおそるおそる口に運ぶ。けれど考えてみれば私は、ロシア料理についても台湾料理についても、何ひとつ知らない。和食だって語るほどではない。ただ、ロシアン・マシュマロは美味しく、あっという間に一皿食べ終えた。
目が合ったので「全都吃光了」全部食べちゃった、と空になった皿を指さすと、マダムはパッと顔を輝かせ、「可以了吧?可以了吧! 」でしょう?美味しかったでしょう!と繰り返した後に続けた。「さっき、あなたが不安そうに一皿オーダーした時、食べ切れなかった分は包んであげるって言い忘れたって思っていたの。新しい食べ物でも、興味があるなら試してみればいいのよ。食べてみないと、口に合うかどうかもわからないんだから」。
食べてみないと、口に合うかどうかもわからない。ニノチカも、「亡命ロシア料理」のふたりも、この店の創業者も。事情は単純ではないにせよ、僅かでもそんな勇気を抱えて国境を越えたのかもしれない。深淵なる問いへの答えめいたものが、不意にシンプルな顔をしてやってきたことに呆然として、軽く背筋を伸ばし、唇の端に残った最後の甘みを舐めた。