旅の記憶、映画の鍵
維倉みづき

第八回 未来世紀ブラジル

米国オレゴン州、ポートランド。夏の6〜8月、毎月最後の木曜夕方、街の北東にあるアルベルタ通り約1kmを会場に、地元の人たちがプロ、アマ問わず芸術作品を発表しあう「ラスト・サーズデイ・オン・アルベルタ」が開催される。2017年に20周年を迎えたこの草の根イベントで披露される作品は、絵画、舞踏、音楽、彫像、手芸、何でもあり。夕日に向けて次々と巨大なしゃぼん玉を放つ女性は、ピンク色の髪に天使の衣装。白髪の老爺は、お腹につくほど長く伸ばした髭をなでながら自作の木製楽器を並べ、一つ一つ演奏してみせる。人だかりの中心には、DJが回す音楽に合わせ、静かに踊り続ける3歳ほどの男の子。一人歩道で穏やかにギターを奏でる女性の前を、思い思いの衣装に身を包んだ楽隊が行進してゆく。そこは、感性のおもむくまま、唯一無二の表現をしている人たちが集まった、「普通」「変わっている」という表現が無意味な空間。夏の夕暮れ、私は、アルベルタ通りを一歩一歩進むごとに自分の中の美と笑いの許容量がぐんぐん拡がるのを感じ、その心地よさだけでほろ酔いの気分になった。

映画『未来世紀ブラジル』の舞台は架空の近代都市。空気は淀み、政府が全ての情報を管理し、人々はコンクリートとダクトが剥き出しの狭く暗い高層アパートで生活している。主人公のサムは、痩せ型の体に大きすぎるスーツを着た小役人。昇進は望まず、母親や同僚からの人生へのアドバイスを鬱陶しく感じている中年男性だ。そんなサムが活き活きするのは、毎晩見る夢の中。サムはドン・キホーテのような甲冑を纏い、怪物達から美女を助けようとしている。物語は、サムが現実世界で、彼女とそっくりの女性に出会うことで大きく動き始める。

映画の中では、サムが勤務する官庁での書類・手続・権限至上主義が滑稽に描かれる。会社員として働く私は、自分の日常を重ねながら笑い、同時に、自分の生活が笑いの対象になる仕組みで支えられていることに困惑する。一方、サムの夢の世界は変幻自在・神出鬼没・支離滅裂。私は、アルベルタ通りで出会ったブリキの楽隊にそっくりなサムの甲冑姿を追いながら、ポートランドの夏の宵に感じた心の許容量が広がってゆく感覚も思い出す。自分は無機質な組織人間ではないと自分自身に言い聞かせながら、サムの夢を堪能する。