旅の記憶、映画の鍵
維倉みづき

第二回 ストレイト・アウタ・コンプトン

キューバに着いて24時間も経つと、私はインターネットから暫く離れる事実に落ち着かなくなった。Wi-Fiもなく、数少ないインターネット・カフェの外には数時間待ちの行列。自分のスマートフォンには何の通知も表示されず、私から遠くの人へ言葉や写真を送ることもできない。自分が人々から忘れられる不安を抱いた。

キューバ入りして数日経った昼下がり、ハバナ旧市街を散歩した。12月のハバナは、東京の梅雨入り前に似た気候。Tシャツ1枚で丁度よく、日差しと湿度が肌に心地よい。青空の下、色褪せたパステルカラーの壁に沿って歩き、街角の公園で木陰のベンチに座り、日差しの暖かさと眩しさを感じながら周囲の老若男女を眺めた。ふと、スマートフォンの通知を待つことを体が忘れ、共に不安も消えていることに気付いた。心身がその場の光・温度・湿度・匂い・音などに埋没することを思い出したようで、自分が一皮むけたような開放感だった。

キューバを離れる日の朝、宿のご主人が、私の滞在中に米国とキューバの国交正常化に向けた交渉再開が発表されたことを教えてくれた。会話は、医師でもあるご主人が民宿を経営する理由や、米国に亡命したご家族のこと、そしてキューバの歴史や政治に及んだ。

米国ロサンゼルスの南、コンプトンで結成されたヒップホップ・グループ「N.W.A.」の誕生からメンバー脱退そして再結成までを辿る映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』。ドクター・ドレーやアイス・キューブら元メンバーが制作に名を連ねる伝記的作品。

物語の冒頭、カリフォルニアの太陽が、狭い部屋に所狭しと並ぶレコードやDJ機材に降り注ぐ。レコードは床にも散らばり、その上に寝転んだコーリー・ホーキンス演じるドクター・ドレーが、ヘッドフォンから流れてくる音に合わせて幸せそうに体を揺らしている。銀幕を眺める私の中にも、約1年前にハバナで気付いた、その場に埋もれる心地よさが、日光の暖かさと共に蘇ってきた。ただ、穏やかなシーンは長くは続かず、まもなく私は変化の予兆がもたらす緊張感も思い出し、心身丸ごと物語に入り込む準備が整った。