旅の記憶、映画の鍵
維倉みづき

第一回 天使の涙

5月の香港、朝6:30。うっすら白む空の下、私は中環からスター・フェリーの始発に乗った。船が埠頭の影を出た瞬間、右手から真っ赤な朝日が差し込んできた。朝日と夕日は、空気中に不純物が多いほど、太陽光が多く反射されて赤く染まるという。乗船前、濃厚な空気の中に隠れ、その気配すら感じさせなかった太陽。朝日が水面でゆれる姿に見とれているうち、対岸の尖沙咀へ到着。ランニング姿の白人男性、汗と煙草とお酒の香りを纏ったアジア系の若い男性4人組、朝から始まる人、朝で終わる人、それぞれ静かに下船し、街へと散ってゆく。

ウォン・カーウァイ監督による映画『天使の涙』は、雨に濡れる夜の香港を舞台に、殺しや盗み、空想に生きる人々の物語。街中のネオンや、室内の蛍光灯など、人口の光が瞳、ドレス、ガラス、ビニール・カーテン、水たまり…至る所に反射する様子が美しい。ラストシーン、バイクでトンネルを走る孤独な2人の視線の先に、夜明け直前の曇り空が映った時、私は更にその先に水上の朝日を思い浮かべた。夜に生きる登場人物たちも、自然の光に包まれることがあるはず。そんな続きを描きながら、私はエンドクレジットを追った。