
ランジェリーショップの扉。あれは別に必要に迫られて押しているわけじゃないの。
何かいいのあるかなあ、って、それぐらいの軽い気持ち。
それであれこれ眺めていると、大抵素敵なものがそこにあるってわけ。
レースと刺繍とシルクとリボン。うっとりしないわけがないよね。
これだ!と思うものを見つけたら、手にとって、サイズのタグを確かめたり、
カップに触れてみたり、一応他のものもチェックして。
おかしいよね、心はもう決まっているのに。
彼も気に入るかしら、なんて考えるふり、そんなの完全に後づけよ。
だって、好きになるのに理由なんていらないもの。
欲しいと思ったらもう終わり。
だから、私は思うの。
ねえ、そういうところがブラジャーって恋に似ていない?
フィッティングルームに入ったら、さらに入念に確かめる。
自分の胸にフィットするかどうか。
合わないとわかったら、容赦なくサヨウナラ。
だって、合わないブラジャーをつけているときほどつらいものはないから。
好きになるのに理由がないように我慢することにも理由はないのよ。
その代わり、フィットしたときは完璧。
私のために作られたみたい、ってうぬぼれちゃう。
サイドもトップもぴったり合うの。
その快感と不快感の差と言ったら――そう、大げさだけど、天国と地獄ね!
だけど、天国を手に入れてからが難しい。面倒なことばかり。
レースやシルクは全て手洗い。
リボンや刺繍に爪をかけないように気をつけて。
洗濯機に放り込むなんてもっての外。
なにしろ気遣いが必要なの。
そして、時々、くたびれたりもする。たかが下着に何やってるんだろう、って。
ね?そういうところもブラジャーって恋に似てるでしょ?
大体、あれ?と思うとカップがきつかったり、あれ?と思うとカップが緩かったり、
ブラジャーと胸の関係はとても気まぐれ。
おかしいな、あの店のフィッティングルームではもっとぴったり合っていたのに――。
そんなこともしょっちゅうよ。
だって、毎日胸のサイズは変化するから。
心みたいに定まらないものだから。
ブラジャーのほうだって勝手なの。
どんなに大事に扱っても、悲しいことに寿命がある。
少しずつ少しずつ緩んでいって、必ず最後は肌との間に隙間ができる。
そんなに長くはつきあえない。どんなに気に入ったブラジャーであっても。
そして、その頃、ランジェリーショップには新しいデザインが並んでいるの。
あんなに小さな布なのに、それでも毎年改良されてショウウィンドウから私を手招く。
ねえ、ちょっと見ていかない?
新しいレースと新しい刺繍と新しいシルクと新しいリボン。
そして頭の隅に浮かび上がる。クローゼットの中の少しくたびれたブラジャーが。
あのブラジャー、可愛かったな、好きだったな、そんな風に思い出すこともある。
そういうところも恋に似て。取り戻せないところも恋に似て。
ねえ、ブラジャーって似ているよね?
楽しいけど少し残酷。別れが約束された恋みたい。
(2015.12.17)