第11回 グッチのピルケース(1990年代)

文・写真 小梶嗣

第11回 グッチのピルケース(1990年代)


 身近にいた人が忽然と死んでしまう。
 そんなことは“村上春樹の小説のなかでしか起こらない”と思っていた。

 2014年6月、幼稚園からの友人S君が亡くなった。
 死因は急性骨随性白血病。
 49歳の若さだった。
 「早すぎる…」、と思った。

 S君の死に直面して、ぼくは【死】を“日常の延長線上”で考えるようになった。
 死は決して「対岸の火事」ではなかった。

 2011年3月11日、東日本大震災で多くの人びとが亡くなった。
 残された人びとも、同じように考えるようになったのではないか。
 “彼ら”は3月のごくふつうの金曜日の午後をすごしていただけ、なのだから。

 それにしても、ぼくは50歳を目前にして亡くなったS君をなぜ「早すぎる死」と思ったのだろうか。
 日本人男性の平均寿命である81.25歳よりもずっと若いからか(ちなみに女性は87.32歳)。

 今年はじめ、ある医師とゆっくりお話しする機会に恵まれた。
 先生は数年前まで某大学病院で教授をしていた人物である。
 彼はぼくたちに話した。
 「あと数年もすれば、肥満も薬で治ってしまうようになります」
 「もうすぐアルツハイマー病の治療薬が完成します」
 「白血病も早期に発見すれば、HIVと同じように、症状を止めることができるようになりました」
 「つまり、治らない病気はほとんどなくなるという訳です」
 話を聞きながら、ぼくはどんどんと“憂うつな気持ち”になっていった。
 先生は喜ばしいトピックスを提供してくれているというのに。

 【人生百年時代】というキーワードをごぞんじだろうか。

 厚生労働省のホームページにはこう書かれている。
 ・ある海外の研究では、2007年に日本で生まれた子供の半数が107歳よりも長く生きると推計されており、日本は健康寿命が世界一の長寿社会を迎えています。
 ・100年という長い期間をより充実したものにするためには、幼児教育から小・中・高等学校教育、大学教育、更には社会人の学び直しに至るまで、生涯にわたる学習が重要です。
 ・人生100年時代に、高齢者から若者まで、全ての国民に活躍の場があり、全ての人が元気に活躍し続けられる社会、安心して暮らすことのできる社会をつくることが重要な課題となっています。

 厚労省は冒頭文を「人生100年時代構想会議中間報告より引用」したそうだが、“ある海外の研究”とは、英国ロンドン・ビジネス・スクールのリンダ・グラットン教授とアンドリュー・スコット教授の研究のことだろう。
 グラットン教授ら曰く。
 世界でこれから長寿化が急激に進む。
 特に先進国では2007年生まれの2人に1人が100歳を超えて生きる「人生100年時代」が到来する。
 そのため、これまでとは異なる人生設計が必要となる、というのだ。
 なぜ日本人は100歳ではなく107歳なのか不明だが、この際、それはどうでもいい。
 いずれにせよ、ぼくは100歳まで生きたくないと思うのだ。

 みなさんは何歳まで生きたいですか。
 ぼくはいま54歳。
 「明日までの命です」と医師から宣告されたら、ちょっと残念だが、“70代後半くらい”まで生きられたなら充分なような気がする。
 だが、“70代後半くらい”と思う根拠はなんなのだろうか。
 自分に問い質してみたい。

 15年ほど前。
 定年退職まえの大先輩は、こう言った。
 「ぼくはね、65歳まで働こうと思っている。それはOBを見ていてわかるのだが、みんなは定年後に夢を見すぎだよ。大抵のひとは“定年後にやりたいこと”は数年で終わってしまう。だいたい5年で終わるよ。お金も続かないし」。
 「まずは夫婦で海外旅行をする。北米、ハワイ、中国、ヨーロッパ、北欧。珍しいところで、南米、アフリカ、地中海クルーズ。そして、次は国内の温泉めぐりをする。すると途中でカミさんから“これからは別々に自由に行動しましょう”と提案される。イヤになるのだ。それで、仕方なく、男友だちとゴルフや麻雀をする」
 「わかりますよ」とぼく。
 「だがな、だんだんと体力も衰えてくるし、仲間が死んでいく。4人が3人となり、2人になる。それで…」
 「それで?」
 「仕舞いには本人の記憶もなくなっていく。ぼくの観察では男の場合、平均70代後半だな。記憶が曖昧になる。つまり、こういうことさ。人生は長いように思うかもしれないが意外と短い。65歳で仕事をやめたとして、実はたった十数年しか老後なんかないのだ」
 「本人にとっては記憶がなくなったときが、“事実上の死”ですものね」

 たぶんそうなのだろう、と思う。
 ぼくはこの話を聞いてから、“死ぬなら70代後半くらいがいい”と確信したのだ。
 でも、先日、医者の先生はアルツハイマーの治療薬がもうすぐ完成すると言っていた。
 おいおい、ボケさせてもくれないのか。

 もうひとつ。
 “生物”という視点から、自分の寿命を考えてみたい。
 21世紀のいま、ひとは異性とつきあい、結婚をし、子どもをもうけるということはひとつの選択肢に過ぎない。
 だが、結果としてぼくは27歳のとき、北海道出身の二つ年上の女性と結婚し、ふたりの子どもを授かった。

 でも。いまでも自分は本質的には「子ども」であることを告白しておきたい。

 「大人」というものは成人年齢である20歳になったら、自動的になれるものではないと思う。
 もちろん、法律的にはもれなく義務と権利が発生するけれど。
 そして、経験的に言うと、別に結婚をしたからといって「大人」になれる訳でもなかった。
 ぼくの場合、子どもができて、はじめて「大人」をはじめた気がする。
 赤ん坊が言葉を話し出し、彼らから「パパ!」と求められたとき、自分ははじめて「大人」という役柄を演じはじめた。
 会社でもそうだろう。
 部員のいない部長はいないのだ。
 社員のいない社長はいるけれど…。

 つまり、ぼくは「大人」という存在は“関係性のなかで存在している”と思うのだ。
 特に男性にとっての「父親」はそういうものではないか。

 先ほど言ったように、ぼくにはふたりの子どもがいる。
 上の男の子は就職し、立派にひとり暮らしをはじめている。
 下の女の子は彼より4歳下の大学4年生で、一生懸命勉強している。
 まだまだいろいろ心配なことはあるけれど、“ひとの痛みを理解できる”ちゃんとした人間に育ってくれたと思う。
 つまり、ぼくは自分の選択として、幸運にも子どもを持った。
 そして、子どもを一人前の人間として育てるという“使命”はほぼ終了しようとしているのだ。

 余談になるが、ぼくは彼らに“伝えたい言葉”はほぼない。
 ひとはこう生きるべきだとか、たいした人生ではなかったが、自分の生き様だとか。
 ぼくは2014年末からInstagramをやっている。
 ふたりの子どもは、それを時々読んでくれているようだ。
 少し恥ずかしいが、とてもありがたい。
 ぼくは山口瞳でも伊丹十三でもないのだから。

 だから、伝えたいことはだいたい伝えたのだ。
 振り返ってみると、ぼくは親が書いた文章をちゃんと読んだ記憶がない。
 これもネット時代の効用というべきか、不幸というべきか。

 でも、ついでだから、“最後のお願い”もここで言い残しておく。

 最後の食事(晩餐)は「生卵かけごはん」をお願いしたい。
 ごはんはいつものように硬めに炊いてほしい。
 生卵は新鮮なものなら何でもいいが、醤油は「玄蕃蔵(げんばぐら)」がうれしい。
 「まつのはこんぶ」も添えてほしい。花錦戸のだったらいいな。

 で、死んだら、「戒名無用、葬儀無用」、かなうことならば「散骨」してほしい。
 昨年読んだ手塚治虫の漫画『ブッダ』の影響だ。
 数年前に行ったタイ・チェンマイの元僧侶の運転手Nさんも同じようなことを言っていた。
 「自分は死んだら灰にしてもらって、3分の1を菩提樹の下に埋めてもらい、3分の1を河に流してもらう。そして、奥さんが生きていたら、残りはしばらく持っていてもらいたい」と。
 かの地では王族と高僧以外はお墓というものはないそうだ。

 でもね、実は死んだあとの処理はどうでもいい。
 いちばん大切なことは「君たちのママを大切にしてほしい」ということだ。
 ぼくのような不完全な人間が、ちゃんと生きてこられたのは彼女のおかげだから。

 という訳で。僕的買い物を紹介し忘れた。
 今回は少し古い【グッチのピルケース】である。
 江戸時代でいうと、水戸黄門の印籠みたいなものだ。
 十数年前、雑誌『Pen』の“有名人の愛用品特集”で、ファッションデザイナーのポール・スミスがこれを紹介していた。
 そこには「5、6年前にミラノのショップで購入。オフィス用、自宅用など計3個を所有する。使いこなした銀色が年輪を刻む」との添え書きがあった。

 それから数年後、ぼくはそれを入手した。
 だいぶ銀色にも味わいが出てきた。

 あらためて。
 ぼくは100歳まで生きたくない。
 だから、ぼくは70歳になる前に、これを子どもたちにプレゼントしたいと思う。
 70代になったら人間ドックにも行かないし、薬も飲まないのだから。

 そのためには、もうひとつ手に入れなければならない。
 あと15年もある。
 気長に探したい。

文・写真 小梶嗣