第7回 誰かが作ったポスト(昭和時代(戦後))

文・写真 小梶嗣

第7回 誰かが作ったポスト(昭和時代(戦後))


 ひとは二種類いると思う。
 “石を拾うひと”と“拾わないひと”だ。

 ぼくは記憶のある子どものころから、石を拾ってきた。
 しかし、そのほとんどは手許にはない。

 この連載はタイトルに「買い物のいい訳」とつけたので、“お金をはらってモノを買う意味”を考えねばならない。
 だが、買い物以前にある、“モノを拾い、集める”という行為について少し考えてみたい。
 その最たるものは、「石を拾う」ということだと思う。

 ほとんどの子どもは道ばたで石を拾う。
 “石を拾うこと”を子どもに教える親はめったにいないのに。
 大人よりも地面に近いところに視界がある子どもは、外出すると、すれ違う犬や猫、そして葉っぱについている虫と出会う。が、“動いている”のでこわい。だから、石を拾うのだろうか。
 実際、わが家のふたりの子どもも拾っていた。近くの遊歩道で、大きな公園で。
 でも、彼らはいつしか石拾いをやめてしまう。
 それは、親が「そんな汚いものを集めてどうするの?」などと、拾った石を道に返すよう促すことばが契機だったり、子ども自身の興味が石から他のモノに移ってしまうことによる。

 とはいえ、石ころはすばらしい。
 形も、色の混ざり方も、重さも、ひとつとして同じものはないから。それはまるで人間の個性のようであり、ひとつひとつが尊く思える。

 ぼくはこの“モノを拾ったり、あるいは買ったりして、集める”という行為は、“モノを創造すること”にどこかでつながっていると思っている。
 世界で活躍するクリエイターの多くは、なんらかの蒐集癖があるひとが多いからだ。特に20世紀以降は。
 連載第1回のアンディ・ウォーホルも、第2回の植草甚一も、第4回のアンディ・スペードも蒐集癖があるのだ。

 さて、今回の“僕的買い物”は、ちょっと「道ばたに落ちている石ころ」に近いかもしれない。

 ご紹介するのは、【誰かが作ったポスト】である。

 でも、道で拾った訳ではない。
 2014年、ぼくは当時“数軒の古道具屋のブログ”をブックマークしていて、休日になると自宅のPCでチェックしていた。そこで買ったのだ。

 古く、うすい杉板で組まれた“ミニチュアハウスのような木箱”。
 扉には「POST」と味わい深い文字が描かれている。
 目を凝らすと、その下にはローマ字で名前らしき綴りもみえる。
 そして、一番魅かれたのは、ポストの扉が“手延素麺 揖保乃糸の木箱の蓋”で作られていることだった。
 物資があまりないときに作られたのだろうか。
 店からのメールには“富山からの発掘品”と書かれていた。

 「美しい」と思った。

 この木箱はもう“郵便ポストとしての実用”からは切り離されている。
 また、“誰かの個人的な記憶”からも寸断されている。
 木箱は純粋に美しい箱であり、著名な美術家がつくったものではない、無名の素人による日曜大工仕事なのだ。

 これは程度の差はあるにせよ、柳宗悦らにより1925年(大正14年)に提唱された「民藝」の一種と考えていいのだろうか。
 「無名作家の美」を考えるとき、ぼくたちはまず民芸運動から考えなければならない。
 柳らは“日本各地の無名の職人たちの日用雑器・雑貨”、“李朝の民画などの朝鮮美術”などにおける美を発掘し、紹介していった。

 令和2年のいま、同様の美を考えるとき、ぼくたちは平成時代の雑誌『太陽』と『芸術新潮』を思い出すべきだ。
 この二誌は“眼の天才”として、「白洲正子」と「坂田和實」を発見し、存在を知らしめた。

 坂田和實は1945年に福岡県で生まれた。商社に勤めたあと、1973年に東京目白に『古道具 坂田』を開いた。1999年から2003年まで、『芸術新潮』で連載したエッセイ「ひとりよがりのものさし」は好評を博し、2003年に同名の単行本を上梓した。さらに、2012年10月には渋谷区立松濤美術館で『古道具、その行き先 坂田和實の40年』展が開催された。かつての顧客に白洲正子がいたことは有名な話だ。

 2012年の松濤美術館の展示は、「17世紀のオランダ・マジョリカ皿破片」と「室町時代のこま犬」と「平成の使い古されたコーヒー用ネル布」と「AIR FRANCEの機内用フォーク、スプーン、ナイフ」がまったく等価に並べられていた。しかも、通常あるべき“展示物の表示”が一切ないというユニークなものだった。
 全115点。そこには確実に「坂田和實の審美眼と思想」があったと思う。

 一方、随筆家の白洲正子(1910-1998)は、以前から一部の人たちには知られた存在だったが、『芸術新潮』1995年2月号、『太陽』1996年2月号が引き金となり、ブームとなったと記憶する。年齢は80歳をとうに超えていた。彼女は自著に『いまなぜ青山二郎なのか』(1991年)を持つことでもわかるように、骨董においては青山二郎の弟子である。もとを辿れば、青山も一時所属していた“民芸運動の流れをくむ人物”とも言えるだろう。ふたりは否定するだろうが。

 ぼくは、この“大正末期の柳宗悦”と“平成初期の白洲正子と坂田和實”の出現はけっして偶然ではないと思っている。
 なぜなら、このふたつの時期は第二次世界大戦(1939-1945)をはさんで、それぞれ急激な経済発展と社会的歪みを生んだ後にあたるからである。
 前者は“殖産興業政策による工業化と対外債務による不況”、後者は“高度経済成長とバブル経済崩壊”である。
 ひとは“大きな時代のうねり”に直面すると、哲学や宗教や金(きん)や美といった「確固たる価値」を求めるのかもしれない。

 ただ、このふたつのムーブメントに大きな違いがある。
 大正時代の民芸運動は“上流階級のもの”であったということだ。
 対して、60年後の平成初期は“モノが完全に行きわたった時代”である。
 1960年代に“三種の神器”と呼ばれた「テレビ、洗濯機、冷蔵庫」は豊かさや憧れの象徴だった。平成に入る頃にはそれらを保有しない家庭を見つけることが難しいくらいの状況になっていた。
 いわゆる「一億総中流」時代である。
 それどころか、その後、人びとはルイ・ヴィトンやエルメスなど、海外の高級ブランド品を買いあさった。そして、バブル経済は崩壊したのだ。

 あれから30年。
 ぼくたちはいま、大正末期とも平成初期とも違う場所に立っている。
 「モノの過剰化」という“人類がかつて経験したことのない未曾有の時代”を生きているのだ。
 それだけではない、ネットの急速な普及により「情報過多の状況」に生きている。
 スマホでamazonを開くと、「おすすめ商品」がでてくる。
 自分がいままで買った商品の購入履歴をAIが勝手に分析して教えてくれているのだ。

 あらためて平成の30年間(1989-2019)を振り返ってみる。
 それは非常に厳しい時代であった。
 バブル崩壊(1991-1993)以降も、1995年の阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、2008年のリーマン・ショック、2011年の東日本大震災、福島第一原発事故、2016年の熊本大地震、2017年の九州北部豪雨。
 多くの天災・人災が、世界経済の余波が、日本列島を襲った。

 また、この国が小さな島国にも関わらず、20世紀後半には国内消費が異様に大きな国になっていたことは、世界史的な“グローバル化と情報化”という二つの大きな波に乗り遅れる原因となった。普通、小さな国は自国マーケット以外に活路を見出すからだ。

 結果、気づくと、日本は「世界第二位の経済大国」、「アジア第一位の経済国」ではなくなっていた。中国に抜かれたのだ(国内総生産(GDP/名目GDP)/2010年~)。

 いま、「ミニマリスト」と呼ばれる、“持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人”が若者を中心に増えている。
 これは社会不安が背景にあると睨んでいる。またスマホの普及も関係していると思う。

 結局、モノが行きわたっても、“本当の豊かさ”には繋がらなかったのかもしれない。

 世界第三位の経済大国にもかかわらず、なぜか貧困率は高く、非正規雇用者が4割弱もいる「未来が見えない国」になってしまった。
 個人的には国の政策に問題があると思うのだが、もちろんぼくにも責任がある。平成時代は自分の社会人生活そのものであったし、社会をつくってきた一員だからだ。

 そんなぼくが言っていいのかわからないが、【ミニマリストの登場】は、一方で“あたらしい時代”を予感させる。
 “モノにひとより多く触れ、蒐集することは、あたらしいモノの創造につながっていく”と、ぼくはこれまで信じてきた。
 しかし、それを覆す“モノへの固執から脱した「あたらしい豊かさ」の啓示”を感じるのだ。
 はたしてミニマリストからどんなクリエイターが登場するのだろうか。

 最後に、もう一度この木箱を見る。

 これは郵便ポストとしての機能はすで終わった木箱。
 子どもが道ばたで拾ってきた石ころと同じだ。
 だからこそ、木箱には“自分のむき出しの眼で選んだ美がある”と思う。

 オリンピックを控えたいま、東京の街は空前の建設ラッシュだ。
 けれど、ぼくの眼には1945年の敗戦直後のような“荒涼とした風景”が見えてしまう。
 もう一度出直さなければならない、と思う。

 必要なのは、玉石混交の状況の中から“美をすくいとる眼”なのではないか。
 どんな世の中でも、美という価値は不変なものだからだ。

 ぼくたちは石を拾う子どもから学ばなくてはならない。

 (参考文献: 山口周『ニュータイプの時代 新時代に生き抜く24の思考・行動様式』(2019年)/吉見俊哉『平成時代』(2019年))

文・写真 小梶嗣