森村泰昌 華氏451の芸術・再考
モリムラ@ミュージアム 2022/5/3~8/21
学生時代、バイト先のビデオショップで目に止まり、思わず手にしたのがフランソワ・トリュフォー監督の「華氏451」。まさに「ジャケ借り」でした。
この映画は、本が禁止された世界を描いたSF作品。本の所持者は逮捕され、本は有害な知識を与えるものとして焼却されてしまいます。映画化されて半世紀以上経ち、「華氏451」と聞いてもピンと来る人は少なくなっていることでしょう。
大阪市北加賀屋にあるモリムラ@ミュージアムで行われている「華氏451の芸術・再考」 は、2014年に森村泰昌が芸術監督を務めた展覧会「ヨコハマトリエンナーレ2014 華氏451の芸術〜世界の中心には忘却の海がある」のコンセプトを元に、森村の過去作品のみで展示再構成したものです。緊迫するロシア・ウクライナ情勢を受けて急遽計画されました。
第二次大戦中の1941年、レニングラードがナチス・ドイツ軍に包囲された際、エルミタージュ美術館の約150万点もの作品たちは疎開を余儀無くされました。荒廃した美術館には、「空っぽ」の額縁だけが残された。《Hermitage 1941-2014》は、当時エルミタージュ美術館でスタッフとして勤務していたマリーナの物語(『エルミタージュの聖母』デブラ・ディーン著)をインスピレーションに制作された写真作品です。
2014年のエルミタージュ美術館の来館者たちは「空っぽ」の額縁を鑑賞する。《Hermitage 1941-2014》を鑑賞する「今」の私たちは、この「空っぽを鑑賞する人々」を鑑賞するという立場に置かれています。そんな私たちを、森村自身はどう見ているのでしょうか?
《アンナ・アフマートワの家》は、2014年に森村がロシアを訪れた際、スターリン政権下で発禁処分を受けたロシアの詩人アンナ・アフマートワの自宅を森村が撮影した写真作品で、森村もアンナ・マフワートワもいません。ですが、「そこにはない何か」と「確かに そこにあった何か」を感じることができます。様々なキャラクターに扮してきた森村は、 その果てに自分自身の存在を作品の中に消失させてしまったのです。
2007年制作の映像作品《独裁者を笑え》では、森村は二つのキャラクターを演じ分けています。森村扮するチャップリンの《独裁者》のアデノイド・ヒンケルのような男は滅茶苦茶な言葉で、意気揚々と演説します。しかしもう一人が語る「ヒットラーがいなくなった現在、 独裁者は目には見えない。」「ある特有の流行も〜独裁者になりうる。」というセリフが強く印象付けられています。
昨今、「新しい〇〇」という言葉が、よく使われます。「最近の若いもんは〜」とは少し違うように感じます。「新しい」という言葉が「善」であることが前提で、若い人もそうでない人たちも新しいことをしたがる。すぐに行動することに意味があるとされている中、善なのかたっぷり時間をかけて判断し行動することは、古いことなのだろうか?と少し考えてしまいます。
結局私は、もう一度、トリュフォーの映画の原作であるレイ・ブラッドベリの小説『華氏451度』を読むことにしました。
モリムラ@ミュージアム
大阪府大阪市住之江区北加賀屋5-5-36 2F
06-7220-6985
開館時間:金曜・土曜・日曜・祝日12:00~18:00
休館日 : 月曜・火曜・水曜・木曜
https://www.morimura-at-museum.org/