RANDOM DIARY:COVID-19 越智康貴

コロナウィルスが存在する世界で暮らす一週間。
恋人のような人からもらった香水。怒りと不安。
自転車。冷たいひげ茶。送料は一律1500円。
日めくりカレンダーを破る。坂道の多い東京で。

2020年4月10日(水)

まもなく目が覚めると、窓から射しこんでいる光が朝日なのか夕焼けなのかわからなかった。

考えなければいけないことがあまりにも多すぎる。
今日は表参道ヒルズに、施設の営業体制とは関係なく個別の判断で休業させてもらえるのかを確認した。
すぐにきた返信には、まだ不確定な状態です、と書いてある。それでまた、すぐに気持ちが張り詰める。
配送のオーダーが増えるだろうから、ECサイトを強化した。

不安に絡めとられてしまってはいけない、と、その気配を消し去ろうとする。けれど失恋したときみたいに、相手の存在をあたまの中から追い出そうとするほど、その存在感が増していくのはなぜ?

政府からの助成金についても調べた。たくさんの種類が出てきているけれど、窓口がわからなかったり、適応条件が曖昧になっているものが多い。これに対しては無闇に怒りが湧いてきて、「いや、コロナのせいだ」と怒りを消し去ろうとするけれど、努力もむなしくまた怒りが湧き、しかたなく怒りで不安を消し去ろうとする——結局、怒りと不安と自責の念とがないまぜになり、一層混沌としてしまう。
怒りでもなんでもいいから、できるだけ体力を使って、今夜は眠りたい。

「経営手腕が試されるなぁ」と、自分を鼓舞するための弱々しいひとりごとがこぼれる。


2020年4月11日(木)

「寝て起きたら収束してないかな」と起きた瞬間につぶやいてしまい、笑う。悪夢とは言い切ることができない微妙な夢を見ていた。

「毎日やるべきことをやろう、なるべく家にいよう」とつぶやく。なにか口にするたびに、寄るべなさに支配されていく気がする。
出かける予定はなかったけれど、気分転換に、少し前に恋人のような人からもらった香水をつけてみる。

Diorの『Fahrenheit』は、ラストノートのレザーやアンバーが深みを増した香りに落ち着く。高校生の頃に使っていた香水と共通点があって、タイムスリップしたような気持ちにもなる。

Bon Joviというバンドが『7800°Fahrenheit』というアルバムを出している。それは岩を溶かす温度だと、ネットで見た。岩=ロック(Rock)をも溶かす、という本気の冗談に、中年男性に対する嫌悪感が、その妙に共通点のある裏笑い的なユーモアだと思ってしまうけれど、まもなく自分自身も中年男性になるのだという覚悟をもって過ごそう、という気持ちにもさせられる。

あまり前向きな気分転換ではなかったかもしれないけれど、怒りや不安からは一時的に逃げられたように感じた。
自分自身の滑稽さに目を向けることで。


2020年4月12日(金)

表参道ヒルズから、臨時休業に入る知らせが届いた。
今日は自転車でオフィスへ行く。

花束やアレンジメントをつくって発送する。
「花屋さんだと、手が荒れるでしょ」と、よく言われるけれど、この頻度で手洗いとアルコール消毒を繰り返しても、ほとんど荒れることがない。

昨日までとは違って、”つくる”ということをしたからか、妙に明るい予感がしてくる。配送品のオーダーがすごく増えている。食べ物を送りづらい今、花の立ち位置が一層明確になっているように感じる。

店舗が休みになり、売上は大きく下がるけれど、社員の給与を下げるわけにはいかない。とにかく自分の周りだけでも景気良くしていたいな、と思う。支離滅裂になっていることには目を向けずに、根拠のない気楽さもたまには必要だよ、と自分に言い聞かせる。


2020年4月13日(土)

オフィスで、お客様からのオーダーメールに返信する。なかなかの件数で、こんなときだからか、なんでもない贈り物、ささやかな、相手を元気づけようという注文が多い。
花屋は、気持ちのやりとりの中間に立つ仕事だな、と改めて認識させられる。
充足感が呼び水となり、また対象のわからない怒りが込み上げてきて、日めくりカレンダーを何十枚も一度に破って、捨てた。


2020年4月14日(日)

配送用の箱を新しく企画して、製作会社に発注した。花を送るための箱は、なんとなくあたまで想像するよりも、大きなものが必要になる。
配送料は全国一律で1500円いただいている。箱代と送料を合わせると、預かる金額(送料は、売上ではなくて預かり金として計上している)では少し不足する。

配送料を無料とうたったり、そうでなくても500円とか、わかりやすく安価な設定にしたら、もっとたくさんオーダーをいただけるだろうな、と思う。けれど、そうするには”カラクリ”をつくらなければいけない。

店舗がオープンしてからずっと集荷に来てくれている配送業者の方々の顔が浮かび、そういう”カラクリ”が、消費者側の暴力性を目覚めさせる原因のひとつなんだろうな、と思う。
無料で当たり前、と思えてしまうサービスを、半強制的にさせてしまうことが。

いつでも被害者にも加害者にもなれるはずなのに、被害と呼べそうなことにばかり言及してしまい、そのたびに”何か言ってやった”と少しだけ良い気分になっていることが、我ながら不気味。


2020年4月15日(月)

お客様からのメールに返信しつづけていて、気がついたことがある。自分は、その見た目(極端な長身や性別)からか、心無い言葉に苦しむ機会が少なかったこと。
メールだと、相手の顔が見えないからか、驚くようなものが送られてくることがある。ネガティブな言葉ひとつが、たくさんの素晴らしい言葉を霞ませてしまう。
対面であれば、きっと発散できる部分も、こちらからも相手の顔が見えないからか、とても恐ろしいものが向こう側にいるような気持ちがしてしまう。

メールボックスを開くのがこわい。

ふたたび被害者ヅラをしてしまう自分に嫌気がさす、と書くことで、罪悪感から逃れようと試みる。けれど逃れることはできない。


2020年4月16日(火)

仕事帰り、親しい友人のオフィスへ花を届けに向かう。
表参道から自転車で、渋谷を抜けていく——東京は坂道が多い。と、どこかと比べるわけでもなく思う。

インターフォンを鳴らして、花を渡すだけですぐに帰ろうとしたけれど、ひどく喉が渇いてしまって、冷たいひげ茶をごちそうになった。

ほんの少しの時間、各々を取り巻く状況や、友人、知人たちのこと、これから必要とされるだろうと予見されるもの、不要になるもの……、そんなことを取り留めなく話す。
途中、些細なことでスイッチが入り、鍵も壊れ、ふたりで馬鹿になり何を話しているのか自分たちでもわからない状態で狂ったように笑った。
こんなに笑うのは久しぶりだった。

友人と話しているときには、もう、ずっと会っていないような、昨日も会っていたような、不思議な気持ちがした。
無機質に重ねられた時間の束が、風で飛ばされて、ばらばらと舞っているみたいだった。
聞いたことがあるフレーズがあたまの中に流れているのに、タイトルが思い出せないときに似ている。デジャビュに似ている。と思ったけれど、もっと言い当てられそうな気がして、それでも言葉へと変換しようとすることはやめた。

やっぱり、苦しい。