コロナウィルスが存在する世界で暮らす一週間。
着物とリュック、ほろ酔いの帰り道。お彼岸。
伝統食。警備のおじさんからもらう菓子。
母の残した小さな庭で雪柳の枝を刈る。
2023年9月22日(金)
午前中は学区のコミュニティセンターでヨガ教室。
ちょっと運動しないとなぁーと思っていたら、ヨガのインストラクターである友人がたまたまここの講師を務めることになり、通うことにした。マダムたちに囲まれ、ここではまだ「お若いわ~」と言われ、若干気が引ける。実年齢はこのまま明かさずそっとしておこう。
さて、このヨガ教室は「頑張らない」ことを大事にしている。しかしながらマダムたちは、講師の「頑張らないでくださいねー」の声と同時に、腕や脚をプルプル震わせながら超頑張る。その姿が可愛いの。運動嫌いの私が通えるのは、こんな気のいいマダムたちのお陰だ。終わって、午後から出勤。そして夜は、最近同じ中学校の同級生と判明した友人と晩ご飯。日頃から着物を着こなす彼女は今日もお着物。しかも歌舞伎の帰りだって。いいなぁ。次は着物で歌舞伎だねと、カウンターで冷や一杯と熱燗一合を半分ずつ酌み交わす。友人も私もお酒は好きだけど強くないので、これぐらいで丁度いい。ほろ酔いの帰り道、なんだか楽しい着物姿とリュック姿の私たち。
2023年9月23日(土)
祝日だけど出勤日。暇かと思いきや輪転機(印刷機)利用者の対応に追われる。職場は非営利活動(NPO法人など)をサポートする中間支援団体で、輪転機や大判プリンターなどの利用を無料或いは一部使用料を戴いて提供している。輪転機とは昭和だが、印刷費も安いので結構ニーズがある。今日の利用者はシニア大学とフルートの会。紙詰りとか、印刷が薄いとか、小さなトラブル続きを笑って対応。その間に仕事を進めながら、明日からの段取りを考える。姉夫婦が孫に会いに一泊で来るからだ。孫は姉の娘の子ども、私にとっては姪っ子の家族は、我が家の近くに住んでいる。うちに集合するなら何かちょっと買っておこうか。いや今夜食べるものが無いって。とにかく買い物しなきゃ。定時に事務所を出ようとすると「休日なのによく頑張りました」と、事務所ビルの警備のおじさんからお菓子を貰う。幾つやねん!でもこれが私です。お菓子をしまってスーパーへ自転車を走らす。あれ?マスク姿の人、増えてない?そんな気がする土曜日の夕方6時、混み具合が半端ないぞ、スーパーマーケット。
2023年9月24日(日)
姉からライン。姪っ子の体調が悪く、4歳と2歳(姉妹)の孫の面倒をがっつりみることになりそうとのこと。昼前には孫(以下、一号・二号)を連れて姉夫婦が我が家へ到着。姉夫婦も孫に会うのは嬉しいだろうが、一号・二号も私を入れた甘々オールメンバーにより、ハイテンションだ。そんな中でわちゃわちゃのお昼ご飯スタート。顔は笑っているが、この夏に思い切って買ったソファーを二人が汚さないか度々気にしている小さい私である。お昼の後は観葉植物のお店へ。店内を物色していたら「おしっこ」と、一号。なぜ今?しかし、子どもあるあるだろう。じいじ(義兄)が連れていく間に観葉植物を選び購入。この後、姪っ子は体調が戻らず、夫くんだけが晩ご飯に合流し回転寿司へ。回転寿司のシステムを完璧に把握している一号・二号にいろいろ教えてもらう。そして、お店を出るところで再び一号「おしっこ」。家(姪っ子のマンション)まですぐだから我慢しなさい、なんて通用しないよね。ドタバタの一日終了。姉夫婦と私、共に早々に爆睡。
2023年9月25日(月)
姪っ子の体調が戻りつつあるそうで、姉一家と別行動に。私は、お墓参り。お彼岸も中日を過ぎている。父が逝って10年近く、母も逝って3年経った。お墓は父が自分のために建てたけど、兄と私でしまっていくことを決めている。近くにある母方のお墓はもうみる人がいない。ますますこんなお墓が増えていくだろう。帰宅して姉と庭とも言えないほどの小さな庭の掃除。花好きの母が手入れしていた庭だけど、寝込んでからはここを眺めるだけになり、そのまま逝ってしまった。残った娘、私は庭いじりなど全く興味がなく、しばらく放置していたが、どうしようもなくなり草をひき、手始めに朝顔、最近はハーブなんかを少し植えるようになった。そして今日は、伸びきっている紫陽花や雪柳などの小さな木々の伐採に挑んだ。素人仕事で見かけは酷いけど、放置され絡まった枝葉を切り落すと、風通しが良くなり、場が少し生き返った気がした。うちの母はいろんな想いが強い人だったから、お墓にしても、この小さな庭にしても不本意だと思うが、私で片付け、それまで気分良く工夫して暮そう。姉夫婦を見送り、お彼岸も終わる。
2023年9月26日(火)
燃えるごみの日。いつもの軽く3倍はあるね、ゴミの量。収集所から戻ると、玄関に植木屋さんが。「明日、お宅をやりますね」だって。え?それなら昨日やらなかったよ、と思うが、片付けると決めた矢先、植木屋さんが呼ばずして来たんだから、ここは一気に進めるべし。長い間お世話になったが今年を最後に、そして、私では面倒をみていくことが出来ないので、格好より出来る限り短くして欲しいとお願いして出勤する。今日は担当の広報紙初校戻しの日。メールを見ると取材先の皆さん、きちんと修正を入れてくださり全て戻る。中間支援団体ゆえ、広報紙も「地域活動」がベース。今号は「地域の食」を企画・特集した。地域の伝統食を引き継いでいこうとする活動と、食べる機会が少なくなった琵琶湖の魚を、新しい食べ方で紹介する活動を取り上げたのだが、取材を通して考える。いつからこんなほぼ輸入に頼る食生活になったのだろうか。そして、何度か「生きる力」という言葉を使わせてもらったが、これは自給自足的なことではなく、もっと原始的な、野性的な、「生きる力」ってこと。そんな力が私たち、弱くなってない?
2023年9月27日(水)
毎週水曜日はミーティングの日。職員の一人が12月末で退職することになり、その事業を私が正式に引き継ぐことに決まった。自信ねーよ。個別で上司からも「〇〇さんが得意なところは、あなたがつまづくところって思うのよ」って、えぇ自覚してますとも。仕事を渡す彼女も心配だろうが、私も気が重い。だけど、自分なりにどんなふうに事業を育ててみようかと、ちょっと思ったりもしている。しかし、担当の仕事をこなしながらの引継ぎ、時間はあるのか?などと思っているからだろうか、目元が怪しい。鏡を見ると赤みが出てきてウザウザ痒くなってきたので、定時にそそくさと帰宅する。植木屋さんの手が入り、短くなった清々しい木々たちに痒みから少し気分が和む。夕ご飯の用意をしていると友人からライン。仕事のことやら、プライベートのことなど少しやり取り。彼女の話を聞き、返す言葉は実は自分が探していた言葉だったり、考えていた事の答え合わせだったりすることが多い。今日もいくつか思うところが。そして、目元の痒みは治まっているが腫れてきた。明日は思い切って皮膚科に行こう。
2023年9月28日(木)
皮膚炎は、かれこれ一年越しの懸案事項である。急に昨年の6月ぐらいに発症し、一旦治まるも秋ぐらいにまた発症。しかし「いつか治る」と、放っておいたら年明けから5月の連休ぐらいまで痒みはもちろん、目元の腫れが長引き、ちょっと凹んでいたのはいたのは確か。周りから「早く医者へ」と言ってもらっていたのだが、如何せん、すぐ面倒くさくなる性格。かつ、これは超個人的偏見なのだが皮膚科の「とりあえず、これを塗ってみてください。」が、どうも私を皮膚科から遠ざけていたのだ。まぁ、これは私の皮膚炎が重いものではない証拠なんだけど(ちなみに花粉症の自覚はない)。しかし、また発症したので、これはもう何が原因か調べてもらう!と決心し、初めての皮膚科クリニックを予約。そして、「原因を知りたいので血液検査をお願いします!」と、申し出、もちろん答えは「そうですね!原因を突き止めましょう」と思ったが、なんと「血液検査しても、あんまりわからないのよ」だった。皮膚科とは、どうも反りが合わない。久しぶりに付けたマスクが余計にしんどかった。