コロナウィルスが存在する世界で暮らす一週間。
マーヴィン・ゲイと広東語。青空に散る桜。
消えたネオンサイン。九龍公園とミルクティ。
マスクなしの春、バルコニーで風にあたる。
2023年3月24日(金)
5時15分起床。昨晩11時半にベッドに入ったのにダメだった。いつものこと。明日何時に起きなければと考えると緊張して寝つけない。明け方やっとうとうとして、結局眠れたのは1時間半ほど。薄闇の中、ベランダの植物に水を遣る。7時、スーツケースを手に迎えのタクシーに乗り込む。家を出るまで吐き気に襲われ、何度もトイレに駆け込んだ。
7時半、羽田空港着。空港へは1時間前に着けばいいんじゃない?派の私だけど、今回は知人から、3時間前に行っておいたほうがいい、というアドヴァイスを受けている。先々週、海外出張で羽田を利用した際、出発ロビーが大混雑&大混乱に陥っていて、2時間前に着いていたにもかかわらず、保安検査場を抜けるのがギリギリになったとか。心配を余所に本日はスムーズに通過。これからひとが増えるのだろうか。
胃の痛みを抱え、サクララウンジへ直行、白湯を飲む。ソファで1時間ほどうたた寝。ラウンジのダイニングは、ビュッフェスタイルではなく、カウンターでオーダーし、トレイにセットされたものを受け取る形に。コロナ禍の間に感染防止策でこの形になったのか。3年ぶりの国際線利用なので驚く。
機中、Kindleで『ロボ・サピエンス前史』上下巻を再読、その後、メリメの『タマンゴ』を読む。食事は和食を注文。お味噌汁の温かさが胃にしみる。自分の手で触ってわかるほど、お腹が冷えている。体調が悪い時のビジネスクラスのありがたみ。着陸まで昏々と眠る。
飛行機から降りると、むっと甘い匂いが迫る。香港の気温は28度と機内アナウンスがあったけれど、曇りのためか、さほど暑さを感じない。イミグレーションではパスポートと入国カードの提示のみ。出発前24時間以内に受けた迅速抗原検査の陰性証明(画像可)の持参が入国許可条件、事前のオンライン健康申告も済ませ、QRコードを取得して万全を期したつもりが、これ・・・要らないの・・・? スマートフォンを手に拍子抜け。
チェックインしたホテルでは、部屋がアップグレードされていた。ひとりでスイートルームというのも落ち着かないので、予約通りの部屋に戻してもらう。荷解きを済ませ、とりあえず麺粥屋へ。胃を空にしておくと痛みが増すので何か入れておかないと。香港ご飯定番の蝦雲呑麺と芥蘭の油菜をオーダー。温かい豆漿(豆乳)を飲んだら、少し元気になってきたので、帰りにスターバックスに寄り、カフェラテを一杯。ペーパーカップは期間限定デザイン。鮮やかなブルーに桜の花びらが散っている。彩度高めの色遣いが香港らしいデザイン。
マーヴィン・ゲイが流れる店内、飛び交う広東語を聞きながら『タマンゴ』の続きを。奴隷船を舞台にした物語。妙に描写が詳しいなと思い調べると、メリメは歴史家・考古学者でもあったらしい。なるほど。
夜はお粥をテイクアウト。DOMMUNEのバート・バカラック特集、小西(康陽)さんのDJを聴きながら食べる。司会の湯山玲子さんが『WIVES AND LOVERS』の歌詞を「関白宣言」的内容だと繰り返し言っていたが、私とは捉え方が違うなと思った。
3年半ぶりの香港。ハードな問題と多忙が重なり、神経性の胃痛、さらに睡眠障害まで抱えてしまったので、一旦、日本から出てみたけれど、少しは楽になるかしら。なるといいな。
2023年3月25日(土)
8時起床。ゆっくり眠りたいのに目が覚めてしまう。緊張を解きたくて東京を離れてみたけれど、昨日の今日ではまだ無理か。
朝食は、ホテルの隣の茶餐廳(食堂と喫茶店を兼ねた店)でモーニングメニュー。刻み生姜をたっぷり載せたレバー入り麺とアイスレモンティ。日本人には謎深いメニュー&取り合わせだけど、香港に来たんだなあという実感ひしひし。
今日はiPadをバッグに入れ、場所を変えながら終日仕事。まずは九龍公園へ。ここのベンチで鳥のさえずりを聞きながら読書や書き物をするのが好き。しかし、一時間もすると豪雨が。中断して尖沙咀のスターバックスへ移動。彌敦道を見下ろす席で黙々とキーボードを叩く。最近買ったノイズキャンセリングイヤフォン、役に立っている。滝のような雨が降っては止み、降っては止み。香港らしい空模様。
食欲がないので今日も夜は軽いものをテイクアウト。餃子屋さんで温かい豆漿と水餃子を購入。なのに部屋で包みを開けると、入っていたのは冷たい豆漿と焼餃子。広東語で頼めば良かったと後悔。
食後、配信サイトからダウンロードしてきた『ゴメスの名はゴメス』を観る。結城昌治原作のドラマ。東西冷戦を背景にしたスパイもの。オール香港ロケ。私が生まれた頃の街が見られるのが面白い。この頃はまだヴィクトリアハーバーの埋め立てはここまでだったのか、とか、このエリアにこんなに舢舨(サンパン)が浮かんでいたのか、とか。出演は、仲代達矢、芥川比呂志、栗原小巻、平幹二朗、井川比佐志、岸田今日子、中谷一郎など。
それにしても――。昨日、今日と夕食を調達するため、夜の彌敦道(九龍半島の目抜き通り)を歩いたが、その薄暗さはネオンサインが撤去されたことを私に容赦なく突きつける。ネオンのみならず、香港名物の路上にせり出した看板もほとんど姿を消している。昨日、空港から市街地に入って来たとき、タクシーの窓の向こうの街並みがくすんで見えて、でも、きっと曇りだからよね、と安易に自分を納得させたけれど、違っていた。ネオンサインがなくなったせいだった。活気も猥雑さも興奮も、香港が放っていた妖しい美しさはネオンサインが作っていたのだ。ネオンサインの段階的撤去については、随分前から始まっていたけれど、今更ながら寂しく思う。ネオンサインのない香港をこの先も私は好きでいられるのだろうか。・・・わからない。
2023年3月26日(日)
香港に来ても2時間おきに目が覚めてしまう。悩ましい。それでも頑張って9時まで横になって過ごす。休む努力。
シャワーを浴びてから、油麻地まで歩き、美都餐室へ。昨秋、閉店のニュースが流れたが、その後営業を再開したと聞き、変わりがないか確かめたくて。西多士(フレンチトースト)と奶茶(ミルクティ)を注文。相変わらずの雑な料理。それも香港らしさのひとつではあるけれど。美都餐室の良さは味ではなくて、2階からの眺めにあると思うし。店内の様子には変化なし。いや、ジャズが流れていて苦笑い。どうしたどうした、ここってそういう店じゃないと思うよ?
それはさておき、冷房がキツすぎる。温かいはずの奶茶がどんどん冷めていく。見渡すとノースリーブのサンドレスを着た女の子もいれば、ウルトラダウンのベストを着たお爺さんも。私もウルトラダウンが欲しい・・・。窓際の席を確保し、のんびり読書でもと思っていたけれど、これは絶対に風邪をひく!食事を終え、逃げるように席を立つ。
午後は香港藝術館へ。コロナ禍で訪港できずにいる間にリニューアルオープンしたミュージアム。日曜のためか、大勢のひとが。悪天候の休日の格好の遊び場でもあるのだろう、子供連れも多い。特別展はミロ。個人的には、規模は小さいものの、漢字のカリグラフィー / フォントの企画展が面白かった。漢字の美しさにうっとり。途中、休憩を兼ねて、美術館併設のバーでサラダとスパークリングウォーター。暮れゆくヴィクトリアハーバーを眺めながら、一時間ほどiPadで仕事。
全ての展示を観て表へ出るとすっかり暗くなっていた。埠頭に向かってプロムナードをぶらぶら歩き、バスに乗ってホテルに戻る。夕食は、通り沿いに美味しそうな燒臘店を見つけ、焼鴨飯をテイクアウト。セブンイレブンでビタソイ(豆乳)を買って部屋で食べる。
食後、仕事の連絡、今日撮った写真の整理。バスタブでお湯に浸かった後、『ゴメスの名はゴメス』を最終回まで観る。全体的に中途半端なドラマだったけど、脚本(脚色)のせいかと。主人公の仲代達矢よりも芥川比呂志のほうに存在感があった。急に芥川比呂志のエッセイが読みたくなり、アマゾンで調べると『決められた以外のせりふ』が電子書籍化されており、早速購入。先週、山崎努のエッセイ集『「俳優」の肩ごしに』を読んだが、役者のエッセイは面白い(役者なら誰のものでも、というわけではないが)。
話は戻るが、香港藝術館、改装前の、市民からいまいち理解が得られない地方の美術館みたいな感じ、私は嫌いじゃなかった。ミュージアムショップと呼ぶには程遠い、土産物屋的なごちゃごちゃした売店も味があったし、地味で閑散としていて、だからこそくつろげた。随分通ったし、香港藝術館には中国の美術・工芸に興味を抱くきっかけを本当にたくさんもらったので感謝しています。
2023年3月27日(月)
10時起床。1時間ずつ目覚めが遅くなっている。良いことだ。昨夜、食べきれなかった焼鴨飯の残りを朝食がわりに食す。冷めても美味しい。
シャワーを浴びて髪を洗い、メイクをするともうお昼。久しぶりにスターフェリーに乗ろうと思い立ち、バスに乗る。が、ふと、そういえば尖沙咀の蘭芳園ってまだあるのだろうか? と疑問が湧き、途中下車。 重慶マンションの地下へ。この店、一時、中国本土の観光客がつめかけ、 ものすごい行列ができていた。並んでまでして入る店でもないと思い、足が遠のいていたが、 観光客の少ないいまの時期なら、と向ってみると、お昼時にもかかわらず、待たずに着席できた。久しぶりに雞扒撈一丁(出前一丁の麺に揚げた鶏肉を載せたもの)を食べる。添えられた茹でキャベツ、ネギと生姜のソースの味も懐かしい。
それにしてもこのフロア、全然テナント入ってないんだけど、大丈夫なの?私が香港に通い出した頃には、オオスミさんのショップもあったと思うけど(うろ覚え、間違えていたらごめんなさい)。
写真を撮りながら埠頭まで行き、スターフェリーに乗る。この船は『ゴメスの名はゴメス』の頃と変わらないんだなと改めて見回す。中環に渡り、コーヒーショップへ。出版時に購入したのに、未読のままになっていた『香港少年燃ゆ』を読む。その後、ミッドレベルエスカレーターに乗ったり下りたりしながら散歩。かなり大きな範囲で建物群が解体されていた。再開発の予定は10年以上前に聞いていたけど、実際に工事の様子を目にするとぎょっとする。商業地区でもあるから、モダンなテナントビルができるのかな。私にとって香港は、古さと新しさが混在しているところが魅力。だから、解体・撤去・建設ばかりでもつまらないと感じるし、かといってノスタルジックなものだけ並んでいればいいとも思えない。
日が暮れてきたのでトラムにのって金鐘へ移動。パシフィックプレイスのShanghai Tangで、東京の部屋で使っているルームフレグランスのリフィルを買う。久々に店に来たけれど、品物も少なく、やる気がないような気がした。経営母体も替わり、路面店もなくなってしまったし、Shanghai Tang、もうダメかしら。新しいショッパーのデザインも、これじゃない感がすごい。
ハイブランドの服を見て回った後、カフェで読書の続き。香港にはGINZA SIXみたいなショッピングモールがいくつもあるけど、私はここ(パシフィックプレイス)が一番好き。通路が広く、混雑していないし、フロア面積が広すぎないところもいい。ビルの奥にあるエスカレーターで上っていくと表に出たその先には香港公園がある。今日は天気が悪いから行かないけれど、香港公園のベンチで本を読むのも好きだ。
夕食は、尖沙咀へ戻り、蟹のお粥を食べる。部屋で休憩したら、また散歩に出るつもりでいたけれど、億劫になって本を読みながら部屋でくつろぐ。
今回の旅では、よく眠ること、体と頭を休めること、やりかけていた仕事を片づけることがやりたいことだったので、ゆるゆるだけど理想の旅。写真もたくさん撮っている。
2023年3月28日(火)
午後の便で帰国するので、パッキングを済ませた後、 チェックアウトまでの時間を使って朝食兼昼食。蝦雲吞麺を食べに行く。いつもその味をしみじみ美味しいと思う蝦雲吞麺。なのに、今回は胃腸不調のため、正直何を食べてもぴんとこなかった。レストランへも行けなかったし。でも、それをそこまで残念だとも思っていない。美味しいものは好きだけど、美味しいものを食べることが旅の目的というわけでもない。ひとり旅の良いところは、行きあたりばったりの食事で済ませられること。
ひとりで歩く。ひとりで写真を撮る。ひとりでお茶を飲み、ひとりで本を読む。ひとりで考える。それを書く。それが私にとっての旅であり、そしてそんな旅が好きだ。コロナ禍の三年半、旅行を控えていたけれど、そろそろもとの暮らしに戻す時期なのかも――そう思っている。
一旦ホテルに戻り、チェックアウト。荷物をフロントに預け、近くの茶餐廳へ行く。ホットミルクティを頼み、iPadで原稿書き。短い時間のわりに捗った。
東京への飛行機の中で『香港少年燃ゆ』は読了。ひとりの男の子の3年間に、読み手であるこちらも伴走したような読後感(少年の言い表しがたい普通のダメさが良かった)。
2023年3月29日(水)
朝、8時に目が覚める。メリメの『カルメン』の続きを読む。
熱いお風呂に入ってから、外出。銀行での支払いなど、雑務を済ませる。
相変わらず食欲はないが、早めの昼食。レストランでハンバーグ。料理が運ばれるのを待つ間に『カルメン』を読み進めようとKindleを開く。ふと並ぶサムネイルのひとつに目がとまる。映画『Winny』の予告編を見て買っておいた原作本。香港行きでバタバタしていたけれど、映画はまだ上映しているだろうか。明日は予定が詰まっているから、観るなら今日かも。調べると午後の回に間に合う。その場で座席を予約。食後、その足で六本木へ。仕事部屋で原稿を書くつもりで資料をバッグに入れてきたため大荷物だけど、映画は観られるときに観ておかないと。
早めに六本木ヒルズに到着、スターバックスで1時間仕事してから劇場へ。
脚本が中途半端な気もするけど(ふたつの事件をもう少ししっかり絡めても良かったのでは)、役者の演技が良かったと思う。三浦貴大の弁護士がリアルだったし(小太りで額が広いというディテールに既視感、こういう弁護士いる!)、金子勇氏役の東出昌大も好演していた。ある能力だけずば抜けていて、それ以外のことになると完全にベイビーなひと・・・私の知り合いにも何人かいる。
帰宅後、ペーパーワーク、香港で撮った写真の整理など。
2023年3月30日(木)
早起きして朝、仕事部屋へ移動。近隣の建築工事の騒音・振動がひどく、耐え難いので先月から少し離れたところに借りた場所。運び込んだのは、机と椅子、ボビーワゴンとエスプレッソマシン。空っぽの部屋で黙々と昼過ぎまで原稿を書く。この半年、身内に入院する者などが出たりで考えねばならないことが多く、書くほうに時間が割けずにいたが、状況も落ち着いてきたので、この辺りで遅れを取り戻したい。
午後、事務所スタッフY君がやってきてミーティング。事務所の引っ越しも控え、夏前まで忙しくなりそう。それでも4月が来るのは楽しみだ。会社員でも学生でもないけれど、年度が変わるとワクワクする。新しいノートを使い始める時のような、フレッシュな気分。今年はマスクも外せて尚更だ。
新しい仕事部屋の窓は大きくて、再開発の進む渋谷の街が見える。広いバルコニーに出ると、風にあたることもできる。一時はリモートメインだった打ち合わせも、いまは顔を合わせての形に戻っている。感染症が収束したわけではないことはわかっているけれど、振り返ればこの三年間はやっぱりつらかった。行動・接触の制限からくる閉塞感にじわじわ蝕まれていく感覚。今回、香港に行ってみて痛感したのは、私がずっと続けてきた、働いては旅に出る、そしてまた働く、を繰り返す暮らし、それは私の精神のバランスを保つためのものでもあるということ。規範に従う私と逸脱する私、そのどちらも満たそうとする私がいる。その辺りのことは、この一週間、じっくり考えたので原稿の形で書くつもり。
夕方、Tさんに会いに行き、小一時間話す。帰りに少し歩き、喫茶店でオムライスとコーヒー。『カルメン』の続き。昨夜から『Winny』の原作本も読んでいる。