RANDOM DIARY:COVID-19 紀藤順一朗

コロナウィルスが存在する世界で暮らす一週間。
息子の背中の大きなリュック。
五年目、朝の目玉焼き。14時46分の編集部。
ベタな展開。ベタな悪役。大怪獣のあとしまつ。

2022年3月6日(日)

日曜日。家族で二子玉川に出かける。この春中学に入学する息子の通学用のカバンを探していて、パタゴニアのリュックが最終候補に残ったのだった。実物をお店で背負わせてみると、ずいぶん大きくみえるけれども教科書やら部活の道具やらも入れるためにはこれくらいの容量が必要なのだという。僕はノースフェイスのリュックでしたけど、とお店のお兄さんはニッコリ笑って言っていた。
その後、妻が卒業式に着ていくためのコートがないということで、高島屋へ。実際に試着できるとテンションが上がるわ、と言う妻と何店かショップをまわるうちに、これは、という一着が見つかったようで、こちらもお買い上げとなった。そういえば先週某ZOZOの箱が届いていた気がするが、まあそれはそれ、ということなのだろう。
夕方。たまには外食でも、と立ち寄った目当ての店は行列ができていて入れず、お惣菜を買って自宅で食べた。街中、「まん防」中とはいえ結構な人出だった。
さて、メモランダムのYさんからこの日記のお話しをいただき、書きます書きます、と安請け合いしたのはいいのだけれど、日記というか、まとまった文章を書く習慣が自分にはほとんどないことに気がついて、しばし茫然としてしまう。メールを除けば、おおよそ400文字以上の文章なんて、単行本のカバーに入るあらすじくらいしか書いていないのではないか。どうしよう。


2022年3月7日(月)

朝ごはんの目玉焼きの焼き上がりがうまくいかず、朝からちょっと落ち込む。出社時間が妻よりだいぶ遅いので、妻と息子の朝ごはんを担当するようになって5年ほどたつ。なのになぜ、いまだ私はフライパンがしっかり熱くなるのを待てないのだろうか。
二人を送り出してからTBSラジオのポッドキャストを聴きながら洗濯物干し。こちらは少し手際が良くなったと思いたいが、かに座のA型の面倒くささのせいか、洗濯ハンガーの片寄りが出ないようにタオルを干す位置をあちこち調整などしていると、どうしても余計な時間がかかってしまう。
荻上チキさんの「セッション」のジングル(サウンドステッカーというらしい)は大友良英さんが作曲していて、そこでトロンボーンを吹いているIくんは私の中学高校の吹奏楽部の後輩なのだった。
学生の頃からとても楽器が上手だった彼は音大を出て、やがて大友さんのバンドのレギュラーメンバーとなった(「あまちゃん」バンドで紅白に出演しているのを見た時は感慨深いものがあった)。ともあれ毎朝いまだに後輩の音を聴いている、というのも何だか面白い。
出社後、電話で今週末が締め切りの作家さんに進捗の確認、それから女性マンガの新連載の原作小説を読み始める。いわゆるソープオペラというのか、和製ハーレクインというのか、ハイスペックなイケメン男子と“ふつう”の女の子がひょんなことから出会う、というようなお話を、40がらみの男がどうして読んでいるのかと問われても、こちらを執筆される漫画家さんを長らく自分が担当しているから、と言うほかないのですが、何年も続けていると、こうしたジャンルもだんだんと興味深く読めるようになってくるから面白いものですね。
夜はTOHOシネマズ渋谷で「ナイル殺人事件」。TOHO渋谷でもレイトショーをやっていたのをつい最近知ったのだった。ケネス・ブラナー版ポアロはちょっと面白い形の口ひげをたくわえていて、今作では特に知りたくもなかったけれど、ポアロはそのひげを生やすにいたった経緯と、その後の悲恋について丁寧に説明してくれていた。なんだこの設定。そのせいでクライマックス、色恋が原因の殺人事件の犯人指名シーンが、失恋トラウマおじさんの逆ギレのように見えてしまい、ちょっと笑ってしまった。なんて言っておりますが、ブラナーポアロ、私は結構ファンなのであります。ぜひ次回作も頑張ってほしい。ヘイスティングス、誰がやるのかな。


2022年3月8日(火)

毎日毎日状況が変わっていく、ウクライナの報道。前日の夜にチェルノブイリ侵攻についてのニュースから、HBOが作っていた同名のドラマの記事、さらには日本の東海村の事故やひ爆の記録などを見ていたら眠れなくなってしまった。
朝、在宅勤務中の妻に、高濃度の放射線を浴びるとどんな大変なことになるかなど、延々と話して非常に迷惑がられる。朝からなんでそんな話するのよ。まったくである。
それにしても夫婦2人だけで、こうして他愛もない会話をする時間というのも、子どもが生まれてからは久しくなかった気がする。朝ごはんの後、子どもが出かけてからお茶やコーヒーを飲みながら妻と話をするようになったのも、コロナ禍に入ってから、妻が週に何度か在宅で仕事をするようになってからだ。
この日は仕事のほうは特筆するようなこともなく、単行本のゲラ(原稿)チェックと、メールを何通か。
チェックしたゲラをスキャンして編集部へ送る。
ここ何日か、ちょっと気を抜くとすぐに戦争のことをボンヤリと考えてしまう。自分が少年漫画の編集部にいたとして、例えばこんなベタな展開、こんなベタな悪役を提案されたら、ちょっとこれはリアリティなさすぎますよ、なんてダメ出しをしていたかもしれない。いや、していただろうな。現実というのはときに想像と創造のちょっと、かなり先を越えてくる。


2022年3月9日(水)

作家さんと新連載のための打ち合わせを電話で2時間ほど。この日記を書くにあたり、普段の自分の仕事について書けるネタがどうにも見当たらなかったので、思い切ってしばらく先延ばしにしていた企画書を書き上げて、打ち合わせの時間を作ってみた。日記のために仕事を生み出す。何というかこれは、コペルニクス的転回と言えるのではないか。それにしてもマスクを着用したままの打ち合わせというのも、2年前だったら10分も話していれば口の周りが汗だくになってしまったものだが、今ではなんてこともない。人間の慣れというのは恐ろしい。
この作家さんとの前回の連載では、堅物の主人公の相棒役のキャラクターがとても魅力的だったので、今回の企画ではその相棒をモデルに主人公を作ってみたのだけれど、今度はこのキャラのさらに相棒役のほうが俄然キャラが立ってきてしまい、作家さんと2人で笑ってしまう。漫画あるあるだと思いますが、キャラクターはたいがい作り手の意図から外れて勝手に動き出してしまうし、勝手に動き出してくれないと、その作品もたいがい面白くならない。
打ち合わせ中、新作についてホームドラマ、ヒューマンコメディ、だからつまり松竹映画みたいなテイストはどうでしょう、などと話をしていて、ふと先週観た「大怪獣のあとしまつ」のことを思い出す。西田敏行や笹野高史といった松竹喜劇役者に三木聡のコントを演じさせるんだから、それは無理があるでしょう、とVHSがすり切れるほどシティボーイズのライヴを観ていた三木ファンは思うのであります(ちなみに私はライヴも小西さんの音楽も1996年の「丈夫な足場」がベスト派です)。この夜は「アンチャーテッド」というトム・ホランド主演の映画を「大怪獣~」も観た新宿ピカデリーで鑑賞していたのだが、この日記を書いている今、まったく内容が思い出せない。もちろん発泡酒など飲んで若干相当ご機嫌な状態で映画を観にいく自分が一番悪い。自分のiPhoneのメモには「いろいろちょうどいい!」との記述がある。飛行機からベンツが落っこちてきたり、海賊船が空を飛んだりする(本当なんです)シーンがあったことはさすがに覚えていて、そんなシーンが本当に「ちょうどよく」観られていたのであれば、むしろこの監督は相当な手練れなのではないか。ちなみに「ヴェノム」の一作目の監督だった。もうひとつだけ、いつも自分はK社の緑のラベルを愛飲しているのですが、A社のなんとかリッチなど、いわゆる第3のビールの6%のものは調子にのってパカパカ飲んでいるとなかなか大変ですよ、ということを自戒も込めてここに記すものであります。


2022年3月10日(木)

この日は入稿作業と社内の打ち合わせがいくつか。入稿作業というのは漫画の原稿とその周辺のあれこれを印刷所さんに入れる作業のことなのですが、この日はネーム(漫画のセリフのことですね)をテキストに打ち出して、文字の大きさと書体などを指定して、それらを先に印刷所に送っておき、後から届く原稿データをまた後日印刷所に送付するわけです。
ちなみに漫画の始まりと終わりに入っている、「次回、衝撃の展開が——!?」というような惹句、コピーは基本的に編集者がつけています。この辺りの話は長くなるので割愛しますが、これは数少ない漫画編集者の個性というか腕の見せ所になるわけで、凝ろうと思えばいくらでも凝れるし、手を抜こうと思えばいくらでも抜けるので、私たちの業界では結構作品ごとにこの前ヒキ、後ヒキ(上記のようなコピーをこう呼びます)をチェックしているのであります。ちなみに昔担当していた作品では絶対NGのコピーがあって、それは「~おいしい笑顔~」というものなのですが、なぜならこのコピーはこの漫画のどの話につけても通用してしまうので、と言うと作品タイトルが分かってしまうかもしれませんね。
帰宅後、相変わらずあれこれ動画を見てしまう。この夜は日本記者クラブのYouTubeチャンネルに小泉悠さんの講演というか講義がアップされていた。開戦から2週間、冷静かつマニアックな解説を聞きながら少し心が落ち着いてくる。何より語り口が低く、ゆったりしているのがいい。気を抜くと早口で甲高い声になってしまからなあ、自分の場合は。それにしてもこんな動画ばかり見ていると、おすすめされるのが、これまでの実話怪談や中華料理の超大人数のまかない調理のチャンネル(卵を20個くらい中華鍋で炒めるヤツ)から、国際政治学者やら軍事評論家やらのチャンネルだらけになってしまってちょっと閉口してしまう。小泉悠さんは、先の動画で自分のことを「軍事屋さん」と言われていたのが印象的だった。思えば30年ほど前、小川和久や岡部いさく、といった人たちが湾岸戦争を解説するTV番組に出てきていて、そこで初めて自分は「軍事評論家」という肩書を見聞きしたのだった。当時小学6年生だった私は「月刊航空ファン」を愛読していて(F117やF22というステルス戦闘機の華やかりし頃。垂直上昇中のミグ29を撮った表紙は今でも覚えている)、中学の入学祝いは米軍のミリタリーウォッチの湾岸戦争モデルだったという、なかなかになかなかな少年で、こうした職業に多少なりとも憧れを抱いていたことを、この日記を書きながら思い出した。


2022年3月11日(金)

午前中に原稿アップとの報せを受けてから入稿。クラウドにアップされた原稿データをファイルアプリ経由で圧縮、それをファイル便のアプリにアップロードしてそのURLを印刷所にメール、これで入稿が完了してしまう。何を言っているのかわからないよ、という方もいらっしゃるかもしれないが、安心してください、実は私もよくわかっていないのです。けれども印刷所から苦情の電話も来ないし、毎回校了紙も送られてくるので、おそらく問題なく原稿は届いているのだろう。ちなみに作家さんは九州在住。そういえば昔、青年誌の編集部にいた頃も同じく九州にお住まいの作家さんを担当していたのだけれど、そのころは原稿は飛行機に乗って東京へ到着し、その原稿をバイク便さんが首都高を駆け抜けて編集部まで届けてくれていた。昔といっても15年くらい前のこと。約半日で九州から東京に原稿が届く、というのもすごい話なのですが、今ではスマホひとつで、数分もかからず原稿を印刷所に送れてしまう。
そのまま自宅でいくつかメール作業を済ませて午後に出社。印刷所の担当者と電話をしている間に14時46分は過ぎていた。11年前は上記の編集部とはまた別の編集部に在籍していて、地震が起きた時は原稿ロッカーのうえのTVモニターを必死で抑えていたこと、先輩の机の左右に出来上がった書類の山が案外壊れなかったこと、編集部は校了の最終日だったのでTVを見ながらそれでも粛々と作業を続けていたことなど思い出すことは多いけれどそれでも年々、ひとつふたつと記憶は薄れていってしまう。あの日、深夜にやっと動き出した地下鉄ではもちろん家に戻れず、東新宿に住む友人の部屋に泊めてもらった。翌日帰ってきたマンションの自分の部屋では、本はほとんど本棚から飛び出していて、一方棚は変な形に歪んでいた。収まりきらなくなった本はそのまま棚の前に積んだまま今日に至る。ただこの所、時間があるときには、こうした本をちょっとずつ段ボールにしまっている。あれから11年使っていた部屋も、ついにこの春、息子の部屋となる。あと1ヶ月で片付けきれるのだろうか。
夕方、久しぶりに隣駅の中華屋へ。数か月ぶりに訪れた店内には券売機が出来ていた。あらためて見回すとカウンターで若旦那といっしょに中華鍋を回していたお父さんと毎回わざわざ客のところへやって来てお勘定してくれたお母さんの姿が見えない。ずいぶんと通ってはいるけれど、お父さんたちどうされたんですか、と訊くのもなんだかな、と思いそのまま食券を購入。若旦那夫婦もあのお2人に負けず劣らずとても手際がいい。相変わらず熱々で味もしっかりしていて、食べ終わると汗だくになってしまう。会社に戻るころ、ちょうど校了紙がメールで届く。すぐに確認、こちらもメールを返す。


2022年3月12日(土)

これもいつの間にか自分の担当となっていた週末のお昼ごはん。トマトとイカと玉ねぎのスパゲッティ。週末に私の所属しているクラリネットアンサンブル(世田谷おぼっちゃまーずといいます。嘘みたいな名前ですが本当です)の練習に出かけるとき、罪悪感から、ちょっとでも家族に好印象を残そうと、料理を始めるようになった。やがてコロナのせいもあり、練習にはすっかり行かなくなり、昼ごはん当番の習慣と、重たい楽器を長い間背負っていたのが原因の(整形外科の先生がそう言っていた)頸椎のヘルニアだけが残った。フライパンを持つとこのヘルニアのせいで人差し指だけに痺れがでて、これにはいまだに慣れない。
ちょうど30年前、自分が中学に入学してから始めた楽器を、こんなに長い間吹かないでいるのも初めてで、はたしてこれから楽器が吹けるのか、ドとレとミと(以下略)の音が出るのか、はなはだ心もとない。何より仲間と無事再会できたときにどんな顔をすればよいのか、よく分からない。
夕食後(これも作った。ほうれん草のシチュー)、オンラインミーテイングを1時間ほど。ある漫画家(この方も地方在住)さんの作品をクラウドファンディングでアニメ化するというプロジェクトのお手伝いを始めて1年、ようやくゴールが見えてきた。この2年でアニメスタジオも休業期間が続き、ようやくダビングが(これはアニメ「SHIROBAKO」で覚えた)ほぼぼほ終了する。やはりさすがに感慨深い。それにしても若い頃からの憧れの作家さんとこうして平然なふりをして打ち合わせができるのは、オンラインならではだよな、と思っていたら打ち合わせの最後に、急遽今月末に上京される旨の連絡をうけて、ちょっと慌てる。すごい嬉しいけど、すごい焦るんですけど…。「次回、まさかの作家上京に紀藤記者、大パニック!?(嘘・ちゃんとお会い出来ました)」
とりあえず、こんな1週間の生活と意見でした。読んでいただき、ありがとうございました。