RANDOM DIARY:COVID-19 山本アマネ

コロナウィルスが存在する世界で暮らす一週間。
地下室のアトリエ。インクが乾くまでの休憩。
電車で読むピアニストの日記。春菊のサラダ。
今月限りの散歩道。久しぶりに花を買う。

2022年2月1日(火)

7時半起床。
珈琲を飲んでゆっくり朝食をとる。洗濯と着替えを済ませたら化粧をして、仕事部屋に向かう。今借りている一軒家には地下があり、その一室を私の仕事部屋にしている。芸術家のジョゼフ・コーネルが地下室のアトリエでコラージュ作品を制作していたことから、地下にある作業部屋は私の憧れだった。けれどこの部屋ともあと一ヶ月でお別れ。来月引越しをすることになったのだ。
今日は2月18日からリバイバル上映される『クラム』(監督:テリー・ツワイゴフ)のパンフレットに載せるためのイラストレーションを制作する。思い入れのある映画なので、気持ちが入りすぎて空回りした絵にならないよう気を付けながらラフスケッチを進めた。絵を描きながら、数回映画を観直す。見るたびに苦しくなるシーンもあるが、アンダーグラウンド・コミックスの最重要人物であるロバート・クラムが、絵や街について語る場面は何度見てもおもしろく胸が熱くなる。こうして喋る様子を見ていると、日本にテリー・ツワイゴフのような監督がいたら、然るべき時のつげ義春の姿を記録できたかもしれないのに、と思ってしまう。いま描いている漫画について、作品そのもののように魅力的に語る姿を。作業を進め、インクが乾くまでの時間に珈琲を淹れて休憩する。パン屋で買った焼き菓子を食べたら、また仕事を始める。
夜、ニコラス・レイ監督の『孤独な場所で』が配信されていたので観る。名画座で何度も上映されていたが、その度に見逃していたのだ。殺人容疑をかけられた脚本家が、事件をきっかけにして出会った女と恋に落ちるのだが、これがとてつもなく悲しくなる映画だった。セリフもすばらしく、スクリーンで観なかったことを後悔した。


2022年2月2日(水)

おいしいスコーンを買っておいたから、今朝は目覚めるのが楽しみだった。
昨晩観た映画『孤独な場所で』の余韻がまだ残っている。愛し合っていた二人の関係を引き離す原因になった男の暴力性が本性だったとしても、それが戦争体験による後遺症だとしたら?と思うと余計に悲しさが増した。真実がどうであろうと、愛した相手は信用しなければ逃げてばかりの人生になってしまう。そう肝に銘じながら、パサパサしていないしっとりとしたスコーンを味わう。
着替えて化粧をしたら、3日ほどかけて描いた『クラム』の絵を仕上げて、今日からは春に名画座で上映する、アメリカ映画初期に活躍した女性監督特集のポスターデザインを始める。構成と色合わせは予め考えていたので、午前中に大方の作業が進んだ。昼食を食べたら、近所のスーパーと薬局に行きがてら散歩。大工のおじさんが、のっそのっそと歩く鳩をじれったそうに見つめていた。家に戻って、夕飯までの時間に仕事を進める。
引越しが決まると、トーベ・ヤンソンの『島暮らしの記録』を読み返したくなり就寝前に読む。トーベの日記は潔く、感傷に浸ることがない。現実は無常で容赦ないがときにたのしく、おまけに笑える。


2022年2月3日(木)

午前中に映画のデザインデータを整理して送付。午後からは家族と物件探し。不動産屋に見つけてもらったアパートを内見に行く途中、閑静な住宅街に建てられた立派な家々を眺めながら、どんな仕事をしたらこんな家を買えるんだろうと考える。毎月のローンに維持費、固定資産税と次々絞り取られてしまうではないか。物件は良かったが、一足先に借り手がついてしまった。
予定より早く仕事を終わらせることができたから、夕方からリドリー・スコット監督の『ハウス・オブ・グッチ』を観に行った。レディ・ガガのことをすっかり好きになってしまう。アダム・ドライバーやジャレッド・レトの演技を見ているのも楽しいが、今回はジャック・ヒューストンがひときわ魅力的だった。
帰りに美味しいジャムを購入。明日の朝できたてのパンと食べられるように、夜のうちにホームベーカリーをセットしておいた。
就寝前に小川洋子さんのエッセイ集『遠慮深いうたた寝』を読み終えた。隣にいる家族が、もう可笑しくて仕方がないといった様子でケラケラ笑いながら、ジョージ・オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』を読んでいるので、私もつられて笑ってしまう。


2022年2月4日(金)

パンのいい香りが漂ってきて目覚める。今日は出勤日。職場について事細かに書けば面白いけれど、共に働いているスタッフやお客さんの個人情報を晒すことになるので書けない。それでは何を書こうと考えたとき、昨年ミュージシャンの矢舟テツローさんがこの〈RANDOM DIARY〉に書かれていた日記のことを思い出した。
2021年の出勤最終日、人の少なくなった東京の電車の中で一息に読んだ。日記の中で時折「音楽以外の仕事」をされている時間が出てくる。私も美術大学を卒業しフリーランスになってからずっと、絵やデザイン以外の仕事を続けている。最初はJAZZ喫茶でのアルバイト、その後に今の職場を紹介され働き出して12年目になる。その日、普段は見かけないお客さんに嫌な言葉を投げつけられ気持ちが曇っていた。だから余計に、電車の座席に沈み込むようにして読んだ矢舟テツローさんの日記に力づけられた。疲弊することも多いが、絵以外の仕事に経済的にも精神的にも支えられている。夜帰宅すると、ハイファイ・レコード・ストアでお年玉プレゼントとして作られている小西康陽さん選曲のCD『これからの人生』が届いていた。早速流して、やっと年末気分に浸った。小西さんご自身の歌声によるデモテープの音源がたまらなく良く、年が明けた今も繰り返し聴いている。


2022年2月5日(土)

午前中から家族と物件の内見2件。繁忙期で3件見るはずの1件はすでに借り手がついてしまった。2件目に見たマンションは、駅近にも関わらず驚くほど店が少ないが、その分見晴らしが良く、大きな公園と川がある街だ。リビングに棚が2つ備え付けてあるところも気に入った。この一ヶ月、本を買うのを我慢していたけれど、此処に越してきたらまた心置きなく本を買える。今よりも家賃は高くなるし、引越し代や初期費用のことを考えると心が捩じくれてしまいそうだが、嘆いてもお金は降ってこないから、頑張って仕事をするしかない。家族とも意見が一致して早速申込をした。
夜、レベッカ・ソルニットの『私のいない部屋』を開くが性犯罪に関する章を読んでいたら胃がキリキリと重くなり、本を閉じる。以前韓国のブックフェアに参加したときzineの交換をしたイム・ジーナさんのエッセイ『モノから学びます』に切り替えて一気に読んだ。同い年で韓国に暮らすジーナさんの文章は読んでいると気持ちが明るくなる。


2022年2月6日(日)

出勤日。普段より20分ほど早く起き、化粧をして着替えたら朝食。洗濯物を干してから家を出る。電車の中で読書。先月名画座で観た『結婚式のメンバー』の原作を読み返している。読みながら思い浮かぶのは、昨年末に観たメイズルス兄弟によるドキュメンタリー映画『グレイ・ガーデンズ』だった。J・F・ケネディの親族で、若き頃は美しい容姿を持ち周囲から持て囃されながらも、目に見えた成功を収めることなく、廃墟のようになった豪邸でひっそりと暮らす母娘。娘のリトル・イディが、屋敷のベランダから見える森を見つめながら「ここで冬を越したくないの…」といつまでも此処ではない何処かを切望している姿が、『結婚式のメンバー』の主役である少女フランキーの姿と重なったのだ。映画は原作者のカーソン・マッカラーズ自身が書いた戯曲を元に、フレッド・ジンネマン監督が映像化したもので、ラストでは外の世界に馴染み成長していくフランキーの姿が描かれる。しかし、私が原作を読んで抱いていたフランキーは、イディのように世の中に馴染むことができないまま大人になった。だからこそ特別な小説だったのだ。かといって、映画版がつまらないわけではなく、映画はエセル・ウォーターズが演じる、使用人のベレニスという女性に焦点が当たっているところに胸を打たれる。
こんな風に思考があちらこちらに行く間に職場に到着。出勤に一時間は長い。着いたら早速珈琲でも飲んで休憩したくなってしまう。この〈memorandom〉を主宰する長谷部千彩さんとお話していたとき「何かを表現するひとは、自分以外が主役になる時間を持つことが大事」とおっしゃっていた。「本当にそうですね」とありきたりな言葉しか返せなかったけれど、気持ちを切り替えなければ!と思うとき、この言葉を思い起こす。さぁ、気分を入れ替えて仕事を始めよう。
職場では私以外のスタッフも長く働いているから、皆が一斉に歳を重ねていく。感染症対策で仕事量が増えたこともあり、私も含め皆が口々に「疲れやすくなった」とこぼしているのが可笑しい。同じ疲れを共有しているということはそれだけで心強いもので、励まし合いながら仕事をしている。このまま初老になっても共に働いている光景を想像すると面白いが、先々のことは分からない。それでも、この数年でなくなってしまったお店や、閉館してしまう文化施設のことを思うとやりきれない。私が働いている職場も、一部の人にとっては生活に欠かせない場所であることが解るから、いつまでもなくならないで欲しいと願う。
出勤日の夜は疲れ切っていて本を読めない。明日の昼間、目玉焼きをのせたキーマカレーを食べることだけを楽しみに無理矢理就寝。


2022年2月7日(月)

先日申込をした物件の審査が無事に通ったので、久し振りに花を買った。
午前中、来月の締切であるクラシックギターのラベルデザインや、9月の個展に向けて描きたい絵のアイデアを考える。どちらも楽しい作業だが、引越しのことが気がかりで集中できない。
ならばと早速荷造りを始める。本はまだ良いのだが、押入れの奥に入れた10年以上前の作品群をまた移動させるのかと思うと気が遠くなる。
途方に暮れる前に、珈琲を淹れて焼き菓子を食べたら家族と散歩に出掛ける。近所にある大きな神社の参道を歩くと冬でも陽射しが暖かく、線香の香りで気分が安らぐ。この散歩コースも来月からは歩くことがない。新しくに暮らす場所も、散歩するにはうってつけの街だろう。春になればピクニックもできるかもしれない。
夕飯にもつ煮込みと春菊のサラダを食べて、ゆっくりお風呂に浸かる。
就寝まで読書。製薬会社が人々を犠牲にして巨額のお金を得た話の後に続く一文に目を留める。
「本当のことを言うと、アメリカは神の下にある一つの国ではなく、薬物の下、ドローンの下にある国だ。」(『地上で僕らはつかの間きらめく』オーシャン・ヴオン/木原善彦 訳)
そのアメリカの下にあるのが日本だ。さらに下をくぐり抜け私は明日もつかの間、自由に生きていたい。