RANDOM DIARY:COVID-19 矢舟テツロー

コロナウィルスが存在する世界で暮らす一週間。
ライブリハーサルとワインバー。町田と渋谷。
母からの最後のギフト。DMで届いた返事。
牡蠣と餃子とキムチ鍋。「ドレミ」の意味は。

2021年12月1日(水)

12月18日にビルボードライブ横浜で開催される、野宮真貴&矢舟テツロー・トリオのライブのリハーサル。
そもそもなぜ僕が野宮真貴さんと一緒にビルボードライブというとても大きなステージでライブができるのか…というところから説明していると、とても長くなってしまうのでここでは書かないが、とにかく、自分自身が一番驚いている。そして、とても興奮している。

リハーサルは今日で2回目だが、1回目の時には野宮さんは参加せず、まずはトリオの3人で練習しようということだったので、全員揃ってのリハーサルは今日が初日。
ちなみにトリオとは…私がピアノ、ベースが鈴木克人、ドラムスが柿澤龍介。いつの間にか結成18周年を迎えた、矢舟テツロー・トリオ。

野宮さんには、今年の夏に制作した僕のニューアルバムに2曲、特別ゲストで参加していただき、レコーディングの時に初めてお会いした。その時は緊張もしたし、感激もした。それを機に交流が始まったが、直接お会いするのは、今日で5回目ぐらい。
まだまだ緊張しつつのリハーサルだったが、終始和やかに進んだ。というか、野宮さんは音楽面に関してはほとんど口出ししないようで、ほぼ「お任せします」という感じだった。それでだいぶ、気が楽になった。

いつもマネージャーさんやプロデューサーさんと一緒に現場入りする野宮さんだが、この日はなぜか、おひとりでいらしていた。そしてリハーサルの合間に「このスタジオのすぐ近くにワインバーがあってここでリハやる時はよく飲みに行っていた」とおっしゃっていたので、終了後、「一杯どうですか?」と誘ってみた(実は誘うかどうかだいぶ迷ったが、勇気を出して誘ってみた)。そしたら「いいよー、行きましょう」とのお返事。誘って正解だった。
ベースの鈴木君は演奏の仕事があると言って帰ったが、ドラムスの柿澤君と3人でワインバーへ。さすが野宮さん、というようなお洒落なお店だった。
初めて野宮さんとお酒を飲みながらゆっくりお話ができて、今まではどこかお仕事っぽい雰囲気だったけど、バンドっぽくなったというか、だいぶ距離が縮まったような、そんな気がした(LINEも交換した!)。

その席で、野宮さんから言われて嬉しかったことがある。
実は今回のライブ、リハーサルは2回の予定だったのだが、僕はちょっと不安だったので、「ギャラを少なくしてその分をスタジオ代にあてて下さい」と言ってリハーサルの回数を増やしてもらった。その事が嬉しかった、と野宮さんに言われたのだが、野宮さんに嬉しかったと言われた事が、僕には嬉しかった。リハーサルと同じか、それ以上に意味のある時間だった。

ワインバーではおつまみ的なものしか食べていなかったので帰宅後に夜食。うどんをサッと作って食べた。いい夜でした。


2021年12月2日(木)

午前中、僕の出身地である東京都町田市で無料配布されているタウン誌「タウンニュース・町田版」の取材を受ける。
今から2年ほど前、とある場所で編集部の方と知り合い、「新しい作品が出る時はぜひ紹介させて下さい」と言われたので、ニューアルバムが出ますよ、とこちらから連絡して、取り上げてもらえることになった。
10年前の自分だったら、地元のタウン誌に載せて欲しいなんて思いもしなかっただろうが(むしろ恥ずかしいからやめて欲しい、ぐらいに思っていた)、今は「地元密着型」の大切さのようなものを、それなりに感じている。
いつ、どこで、誰が見ているかわからない。もう何十年も会っていない同級生が、たまたま読んで連絡をくれたりしたら嬉しいのだが、どうだろう。

午後からは、音楽以外の仕事。
人前で演奏したり、自作の曲を発表する、いわゆる「音楽活動」を始めてもう20年以上経つが、実は今まで音楽一本で「食えた」ことは、一度もない。
そのことにずっと後ろめたさのようなものを感じていたが、昨年(2020年)はコロナ禍で演奏の機会はほぼすべてなくなってしまい、音楽以外の収入源があったことで、かなり助かった。やはり収入源は複数持っておいた方がいいんだな、と身をもって感じた。

とはいえ、今の生活をいつまでも続けるわけにはいかない。果たして自分はこの先どうなってしまうのか…。
考え出すと不安に押しつぶされそうになる、はずなのだが、案外そうでもなかったりする。落ち込んでいても、しばらくするといつの間にか新しい企画や面白いアイディアのことを考えている。僕はとても楽観的な人間なのだということに、ある時気づいた。

今日は夜、嬉しい出来事があった。
Twitterを開いたら、田中康夫さんからDM(ダイレクトメール)が届いていたのだ。田中康夫さんって、あの元長野県知事、なんとなくクリスタルの、康夫ちゃん。
もちろん、ずっと昔から康夫さんのことは知っていたが、特に数年前から、彼の発言や考え方がとても好きになり、YouTubeの配信を欠かさず観たり、ラジオを聴いたり、つまりファンになっていた。僕が尊敬する「カッコいい大人」の一人、という感じだ。

今年の夏、康夫さんは横浜市の市長選挙に出馬。全くの無所属ながら大健闘。
僕は横浜市民でもないのに、街頭演説を聞きに行ったりした。

康夫さんは今、横浜市内にお住まいのようなので、12月18日のビルボードライブ横浜でのライブに、思い切って(TwitterのDMで)招待状を送ってみた。そしたらご本人からお返事をいただいた、というわけだ。
残念ながら18日は予定が入っていてライブに来ていただくことは叶わなかったが、ご本人から直接メッセージをいただけたこと、その内容がとても誠実なものであったことに、感激した。
いつか直接お会いできる日が来ることを、願っている。

今日は帰りが遅かったので、夕飯は牡蠣の炊き込みご飯と餃子。
炊き込みご飯は朝、出かける前に炊いておいたもの。
餃子は最近ハマっている「大阪王将」の冷凍餃子(業務用)。


2021年12月3日(金)

今日は特に予定なし。というか、明日に備えて一人で練習するために空けておいた。

12月23日にTBSラジオの宇多丸さんの番組「アフター6ジャンクション」にライブ出演することになり、明日はそのライブ収録をする。
「アフター6ジャンクション」のライブコーナーは、本来ならばTBSラジオのスタジオで生ライブを披露するのだが、コロナ禍以降は出演者が各自で事前にライブ演奏を録音した音源を用意、当日それをオンエアし、出演者は電話でインタビューに応える、という完全リモートスタイルになっている。

なので自分でレコーディングスタジオを手配して、ライブ録音をしなくてはならない。
そしてその制作費も自己負担ということで、本来ならトリオで出演したかったところだが、経費削減のため今回は一人でソロピアノ弾き語りを収録することにした。

とはいえ、ニューアルバム収録の新曲はまだライブで一度も披露していないので、自信がない。
なので今日は、明日の録音に備えてみっちり練習するつもりでいたのだが、洗濯したり掃除したり、メールの返信をしたり、あれこれ済ませていたら夕方になってしまった(よくあることだが…)。

それでも夕方から夜にかけて、なんとか3時間ほど練習できた。
通し練習も3回ぐらいやって、まあなんとかなるかな、と思ったのだが、あとで録音したものを聴いてみたらどの曲もテンポがかなり速くて、とても聴いていられなかった。
明日はゆっくりめを意識して録音に望まないと。

外がかなり寒かったこともあり、今日は家から一歩も出なかった。
夕飯は、家にあった食材で、キムチ鍋。キムチ以外の食材は、ぶなしめじ、豆腐、卵、そしてまたしても「大阪王将」の冷凍餃子を活用。


2021年12月4日(土)

昨日書いた通り、今日はTBSラジオ「アフター6ジャンクション」のライブ録音。
僕のニューアルバムのレコーディングエンジニアである速水直樹さんに今回の録音についてどうやったらいいか相談したら、なんとノーギャラで手伝っていただけることになり、レコーディングスタジオではなく、6畳ぐらいのグランドピアノのあるピアノ練習スタジオを借り、マイク等は速水さんが持ち込んでレコーディングすることになった。
スタジオは、ひとまず2時間レンタルしておいた。

ライブのオンエア時間は16分〜18分間と指定があり、それに合わせて昨日、時間を計りながらセットリストは決めておいた。ニューアルバム収録の曲を5曲と、オンエアの日程(12月23日)に合わせて、ピアノだけのクリスマスソングを1曲。

事前収録なので、1曲ずつ録音して失敗したらやり直し、疲れたら休憩して、最終的に上手くいったテイクをあつめて繋ぎ合わせる、というやり方もできるのだが、やはりそれでは本当の意味でのライブ録音ではなくなってしまうので、生ライブと同じようにレコーダー回しっぱなし、編集なしの一発録音でやってみることにした。

とはいえ、ライブと違ってお客さんはいない。狭いスタジオに速水さんと二人きり、という変わったシチュエーションで録音はスタート。
やはり緊張するが、スタジオのグランドピアノの音がとても良く、昨日自宅のアップライトピアノで練習していた時よりも上手に弾けているような気がする。気持ち良く録音は進み、致命的なミスはせずに全曲録り終えた。収録時間も16分台で、ちょうど良かった。
ホッと一息ついたが、まだ1時間以上時間が余っていたので、せっかくなのでもう1テイクやってみようか、ということになった。
もう1回やればもっとうまくいくかも、という期待の気持ちとまた16分間も集中力が持続するだろうか、という不安な気持ちと両方あったが、いざスタートしてみると、早い段階で歌詞を間違えて、「ああ、これはダメかな?」という気持ちが強くなってしまった。途中で思い切りピアノの和音をミスをしたので、その時点で中断した。
やはり最初のテイクをそのまま使うことにした。
スタジオを2時間レンタルしていたが、30分前には終了。

その後はお酒好きな速水さんと飲みに行くことに。
夕方の早い時間から飲み始めたので、2軒はしごして解散しても、まだ20時だった。
速水さんへのギャラ代わりに僕が支払ったが、ハッピーアワーのおかげで、かなり安く済んだ。


2021年12月5日(日)

今日は音楽以外の仕事の日だった。
仕事を終え、夜は町田市にある実家へ。

一昨年、母が亡くなり、今は父が一人で住んでいるので、週に一度は帰るようにしている。

母はずっと元気だったが、ある日突然亡くなってしまった。
少し早すぎるとは思ったが、大好きなデパ地下で買い物中に倒れ、苦しむこともなく旅立ったのだから、幸せな最期だったのではないかとも思う。
父は母より5歳年上ということもあり、本人たち含め周囲の全員が、父の方が先に旅立つと思っていたのたが、何が起こるかわからない。

母が生きていた頃、僕が連絡を取るのはすべて母で、父と話すことはほとんどなかったのだが、今は実家に帰ると父が夕飯を作ってくれて、二人で飲みながら、けっこう話をするようになった。
父と二人の時間は、母が最後に与えてくれたギフトなのかも知れない。

今日の写真は父が作った夕飯の写真にしようと思っていたのだが、夕飯の前に軽く飲んでいたら、写真のことをすっかり忘れてしまった。
今日の夕飯はすき焼きで、僕が自分では絶対に買わないような、高い牛肉が使われていた。


2021年12月6日(月)

今日はインターネットラジオ「渋谷のラジオ」の野宮真貴さんとカジヒデキさんの番組「渋谷のラジオの渋谷系」に出演。
音楽以外の仕事を午後の早い時間であがらせてもらい、渋谷に向かった。

もともとは野宮真貴さんにお誘いいただいて、ゲストで電話出演する予定だった。
せっかくならスタジオに遊びに行きたかったが、コロナ対策で、スタジオには2名までしか入れないらしい。ゲスト出演は嬉しいが、電話出演ではお二人には会えない。特にカジヒデキさんとはお会いしたことがないのでスタジオでお会いしたかったな、残念、という気持ちがあった。

そしたら直前になって野宮さんから、この日、仕事の都合で(野宮さんが)出演できなくなってしまった、ゲスト出演はまた別の日にしましょうか?と連絡があった。
最初は、えー、そうなのか、残念、と思ったのだが、ここでちょっと、ひらめいた。
野宮さんがお休みならスタジオはカジさんひとり。これは、もしかしたら、スタジオに行けるかも…。

早速、野宮さんに「もしよければ野宮さんのピンチヒッターで僕が出演しましょうか?」と提案してみると、「それでいきましょう!」との返事。
これは我ながらファインプレーだった。スタジオでカジヒデキさんと2時間たっぷりおしゃべりできることになった。
僕にとって、カジヒデキさんは有名人。スター。昔から勝手に「カジ君」と「君付け」で呼んでいたので、「さん付け」で呼ぶことに、実はちょっと違和感を覚えてしまう。
最近わかったのだが、カジさんは結構前から僕の音楽を聴いてくれていたらしい。そんなわけでお会いするのがとても楽しみだった。

番組は17時から2時間の生放送。僕は30分前にスタジオに到着してスタンバイしていたのだが、カジさんは10分前になっても到着しない。5分前になって、さすがに不安になってきた頃にようやくスタジオにカジさんがやって来た。が、遅刻というわけではなく、ギリギリを狙って来た、という感じだった。

そんなわけで挨拶をしただけですぐに本番スタート。本当の意味での初対面の会話になった。
この番組はお酒を飲みながらトークする番組ということで、スパークリングワインとおつまみも用意されていた。

初対面のカジさんとのトークは、とてもスムーズに進んだ。とにかく楽しくて、あっという間に2時間経ってしまった。お酒もかなり進んでしまい、番組を聴いてくれていた知人からは「だいぶ上機嫌だったね」と、後で言われた。

19時に番組が終わって、まだまだ話し足りないから夕飯でも、という展開を少し期待したら、カジさんは番組終了5分後に、サッと自分だけ帰ってしまった。
帰り道、渋谷で外食するか迷ったが、結局、家に帰って料理を作ることにした。
牡蠣としめじのパスタ。外食したつもり、ということで、少しぜいたくして牡蠣を選んだ。


2021年12月7日(火)

生まれ故郷・東京都町田市にあるライブハウス「まほろ座MACHIDA」で開催された、石田ショーキチさん主催のチャリティライブに出演。

石田ショーキチさんとは、数年前に同じ「まほろ座」のライブイベントに出演した時に知り合ったのだが、僕の演奏をとても気に入ってくれて、それ以来ライブやレコーディング、そして飲み会など、事あるごとに誘ってもらっている。
石田さんは町田在住で、町田のアイドルグループ「まちだガールズクワイア」のプロデュースや運営もされていて、地元の音楽関係者たちの兄貴分のような存在だ。

この日のライブの収益は、コロナ禍における生活困窮者を支援する団体に寄付されるという。石田さんの意志の強さ、行動力、リーダーシップ、そういったものをとても尊敬している。

ライブは石田さんの他に、同じく町田出身である「キンモクセイ」のギタリスト・佐々木良さん、そしてAKB48などに曲を提供している成瀬英樹さんと僕、4人がステージに横一列に並び、一人ずつ順番に弾き語りをしていくという、やや変則的なスタイルだった。

弾き語りで自分の曲を歌うライブは、かなり久しぶり。ニューアルバムに収録された「ドレミ」を初めてライブで歌ってみた。この曲はアルバムのプロデューサーである小西康陽さんが書いた歌詞に、僕が曲をつけたもので、「ドレミ」とはかつてアメリカでお金のことを指す俗語だったらしい…というのを演奏する前に喋ってから演奏したら、とても盛り上がり、ステージに並んでいる3人が、その後のトークでお金の話題になると、「ドレミが」「ドレミが」と喜んで使っていて、この日のちょっとした流行語になっていた。チャリティライブだったから、お金の話題が多かったのかもしれない。

そういえば月曜日の「渋谷のラジオ」でも「ドレミ」をかけてもらったのだが、このオンエアを聴いていた知人の女性の、まだ小さい子供が「ドレミ」の部分にものすごくハマってしまいずっと歌っていた、と教えてもらった。
小西さんの歌詞はどれもキャッチーなわけだが、「ドレミ」に関してはそういうタイプの曲ではないと思っていた。が、「ドレミ」もやはりキャッチーだったのか。さすが…と唸ってしまった。

さて、ライブは和やかな雰囲気で終了。
客席では久しぶりにアルコールの提供も解禁されていて、コロナ以前にだいぶ近い雰囲気だった。
石田さんのライブといえばライブ後に打ち上げはつきものだが、この日の石田さんは胃の調子がかなり悪いそうで打ち上げは開催されず。
帰宅後は家にある食材で鍋。またしても大阪王将の冷凍餃子を活用。