RANDOM DIARY:COVID-19 八巻美恵

コロナウィルスが存在する世界で暮らす一週間。
オートミールと新しい行平鍋。図書館は閉館中。
シジュウカラの啼く声。子供たちの足音。
バラの庭に置かれた椅子。五月のはじまりに聴くシューマン。

2021/5/1(土)

目ざめると、朝の光がきらきらとうつくしい。きのう降った雨のおかげかな。月がかわって、きょうは水牛の更新の日なので、起きてまずメールをチェックする。眠っている間に届く原稿がいくつかあるはずだが、予想の半分くらいしか届いていない。夕方までは原稿を待つことになると覚悟をきめる。

10時半ごろ、地震。長く大きな揺れかたから、どこかで大きな地震が起きているのだろうと思う。揺れているときには、ともかく椅子から立ち上がって、ドアを開けるのがせいいっぱいだ。落ちつこうと思ってみてもそうはできない。揺れが収まるのを立ったままでじっと待っているだけだ。地震は宮城県沖を震源とするM6.6だった。

午後、買い物に出る。帰り道で雨にあい、濡れた。そして夜には激しい雷雨。この時期はまだ雷に慣れていないから、大きな雷鳴が最初にとどろいたときには近くでなにかが爆発したのかと驚いた。

夕方、ようやく水牛の原稿が揃った。更新作業そのものは2時間くらいかかる。途中で休めないので、夕食を済ませてから作業を開始した。今月届いた原稿は19本だった。


2021/5/2(日)

最近の朝食はオートミールにしている。お湯にひとつまみの塩を入れて、オートミールを煮る。固めのお粥状になったらバナナと冷たい牛乳を加える。最初のひと口がほんのりと甘く感じられておいしい。食べると、なんとなく消化器を浄化してくれるような気がするが、たぶん妄想あるいは幻想だ。でもそれでいい。 オートミールを煮る小鍋を買い換えた。テフロン加工の行平鍋は、オートミールがくっつかなくて気持ちいい。

午後は買い物。出かけるときには晴れていたのに、三軒茶屋で雨にふられ、濡れた。 いったん止んだ雨は帰宅してからまた降った。

ツイッターで流れてきたニラ炒めのレシピ。ふつうに炒めて塩を加え、それからミントの葉を加える、とある。想像できるようなできないような味だなあ。柔らかそうなニラが手に入ったら、作ってみたい。


2021/5/3(月)

いま、緊急事態宣言で図書館が閉まっている。自宅から徒歩3分で行けるので、自分の書斎だと思っている。ちょっとだけなにかを確認しにいくことができないのはとても不便だ。でも、カウンターだけは機能している。借りている本は返却できるし、予約した本を受け取れる。ありがたいと思おう。

きょうはガブリ・ローデナス『おばあちゃん、青い自転車で世界に出逢う』(宮崎真紀訳 小学館 2021)を借りてきた。

「幸せな子ども時代を過ごし、これといってトラウマもなければ、さいわい重い病気にもかかったこともなく、なに不自由のない人生だったと思うのに、ときどきふと、なにかが間違っているような気がする人へ。胸に巣食う悲しみの原因をさがして、つい何度も後ろを振り返ってしまう人へ」

こんなエピグラフを目にしたら、読まないわけにはいかない。


2021/5/4(火)

ツイッターのタイムラインを読んでいて、きょうはグレアム・スウィフトの誕生日だと知る。『マザリング・サンデー』一冊しか読んでいないが、とても好きな小説だ。小説という形式と内容が強い関係を持っていて、そこがもっともすばらしい。『ウォーターランド』も読みたいけれど、長い小説なのでちょっとひるんでいる。

『おばあちゃん、青い自転車で世界に出逢う』の主人公マルおばあちゃんと『マザリング・サンデー』の主人公ジェーン・フェアチャイルドのふたりには、孤児として育ち、いま90歳という共通点がある。それから、自転車が重要な役割を果たす。小説の傾向はまったく違うけれど、この偶然はすばらしく、うれしい。

五月のはじまりなので、シューマンの「詩人の恋」の一曲目「うるわしき五月に」を聴く。中学生のころにはじめてきいて、ピアノパートがいいなあと思い、歌が終わらない感じで終わるのがいいなあと思った。ことしはバーバラ・ボニーの歌を。彼女は、男声のための歌を自分が歌うことで、曲に新しい側面を与えるのではないか、と言っている。


2021/5/5(水)

こどもの日。朝はやく、シジュウカラが啼いている。ツィパ。ツィパ。ツィパ。小さな鳥なのに、啼く声は大きくてよく通る。

上の階に男の子がふたりいる。4歳と7歳くらいのふたりがときどき駆け回る足音がする。小動物が住んでいるのだと思うと、足音を聞くのも楽しい。

連休中のせいなのか、ときどき外の音が途絶えて、シーンと静まり返る短い時間がある。ドアを開けて外に出てみると世界が終わっているのかも、と想像してしまうほどの不思議な真昼の静けさだ。


2021/5/6(木)

編集の仕事のために、短編小説を大量に読む。視力が衰えているし、乱視もあるので、手元を見るために作ったメガネをかけて読む。はっきり見えて、読むのははかどったが、夕方になると、頭皮がピリピリと痛くなる。メガネのツルがぴったりと耳のうしろにくっついているのが痛みの原因かもしれないし、鮮明に見えることが目には負担なのかもしれない。いつも眠る前に本を読むのだが、きょうはそれもやめた。衰えというものにもバランスがあるのだと感じる。からだは自分という容れ物だから、大事に使わなくては。

いまの目に合うメガネを新しく作ろうか。いや、そうじゃない。目を酷使するような仕事はやめて、違うことをやればいいのだ、たぶん。


2021/5/7(金)

いまはマルおばあちゃんやジェーンのように自転車には乗らない。そのかわり、スニーカーの紐をしっかり結んで、好き勝手に歩き回る。見知ったところにだって、歩いたことのない道はたくさんある。それにいまこそバラの花がこれみよがしに咲いている季節でもあるし、いろんな花から花へと導かれて歩いてみるのが楽しい。花を見ながら歩いているだけなのに、頭のなかも整理されてくる。

夕暮れだと花は一段と美しい。去年のいまごろ、夜歩いていて、偶然遭遇したバラの咲き乱れている庭。垣根の向こうの暗い庭で男性がひとり花の世話をしていた。昼間だったら話しかけたかもしれない。ことしもきれいなバラの庭になっている。庭には椅子が置いてある。あそこでワインを飲んだら最高だろうな。

高齢者用のコロナワクチンの接種券は4月のおわりに届いて、すでに予約も騒がしくはじまっている。でもいますぐ予約する気にはなれない。様子を見ながら、7月までは待ってみようと思う。