RANDOM DIARY:COVID-19 牛久保暖

コロナウィルスが存在する世界で暮らす一週間。
この春一番大きな買い物。窓ガラス越しの祖母との会話。
御茶ノ水ディランのカレーと侯孝賢(ホウ・シャオシェン)。
引っ越し荷物が開梱される日は来るのだろうか。

2021/4/22(木)

朝、子供を園に車で送る。車なんて一生持つことはないと思っていたけど、一ヶ月ほど前に買った。COVID-19以降いろいろ出歩きにくかったりするので、子供の行動範囲やら経験の幅を確保するのには必要かなと。この一年で変わったことはいろいろあるけど、車を導入したことのインパクトが一番大きいかも。移動の仕方が変わるのって、生活圏の捉え方が変わるので、当然ながら生活も変わってしまう。あと身も蓋もない話だけど、車って物理的に大きいんで、インパクトがあって当然という気もする。しかし仕事が完全に在宅になってから運動不足なので遠出はさておき、せめて子供の送り迎えは自転車でと思っていたけど、どんどんそれが面倒くさくなる。電動でアシストされていても。意志薄弱で体力減衰の一途である。

その後、自宅で作業、ときどきビデオ会議。自宅の作業環境の快適さが、ちょっと前に導入したアーロンチェアによって頂点を迎えた感じもあって、この先は外で仕事ができる気があまりしないけど、どうなるんだろう自分の仕事。しかし、座っているのが楽すぎて、去年の春に導入した電動式の昇降デスクを全然立ちポジションにしなくなったので、これまた意志薄弱の体力減衰を促している。

夕方、子供が帰ってきてから、家族で餃子作り。ちょっと前にツイッターか何かで見た、画期的な餃子作りの方法がなかなか思い出せず、検索もできなかったのだけど、作り終える間際に生クリーム絞りを使って餡をひねり出すことと思い出した。けど、なんかあまり画期的に思えず、肩透かし。餃子の出来栄え自体は、異常に美味しくて、これはほぼ幡ヶ谷のニイハオだった。冷凍餃子を食べ慣れすぎているせいとはいえ、賞味直前に作れば、これくらい際立つものなんですね。

渋谷のアップリンクが閉まるらしい。移転前から含めて、四半世紀いろいろ思うところはある。移転前だったらデレク・ジャーマンだし、移転後は友人の佐々木誠くんの一連の作品上映が思い出深い。あと去年のアップリンクのクラウドファンディング的なストリーミングサービスに申し込んだときに、結局一本も観られなかった。観たい作品はけっこうあったのに、帯域の不足感とかUIのこなれなさで脱落してしまうあたり情けなかったけど、これも即物的な快適さに意思が負ける例だろう(加齢ともいう)。


2021/4/23(金)

たいへん珍しく外打ち合わせが2件入っていて、子を園に送ったまま車で出かけてみた。1件目は芝公園周辺なので、赤羽橋の交差点を経由する。夜中にタクシーでここで停車すると、五叉路の上に高速があって構造が複雑なのに、車線も多くて広々してて、どこか途方にくれさせる感じがあって、こういうところ運転なんて絶対したくないな、とよく思っていた。そこを自分でハンドル握って、信号待ちしている気分はなかなか不思議だった。コインパーキングに停めて、しばしオフィスで打ち合わせ。

次は御茶ノ水。打ち合わせ前にひさしぶりにディランに行ってみた。2種の合掛けカレー。ダバインディア出身の寡黙で神経質そうな主人は元からそういうキャラなわけだけど、COVID-19の時代にあってはあたかもウィルスを気にして、そういう雰囲気を放っているんじゃないかと思わせるところがある。カレーは相変わらず、澄ましたきれいな味がした。
そして、打ち合わせ。途中どうしても30分ほど、相手が他案件に対応しないといけないということで、その間、東京堂書店に行った。まー、相変わらず本当に素晴らしい品揃えで時を止めてしまいたくなる。朱天文『侯孝賢と私の台湾ニューシネマ』という本を見つける。侯孝賢の映画はほとんど観ていると思うのだけど、ほぼレギュラーの女性脚本家がいるとは知らなかった。その人が書いた、当時のことを含めたエッセイ集なのだけど、台湾ニューシネマなんて映画の内容以外なにも知らないので、書かれているエピソードひとつひとつに新鮮な感動がある。表紙に使われている侯孝賢と朱天文の打ち合わせ写真は楊德昌(エドワード・ヤン)による撮影で、泣けてくる。山田宏一『友よ映画よ』を読み直したくなった。

打ち合わせを再び終えて、帰宅。自宅作業にスイッチして、後に業務終了。


2021/4/24(土)

友人の厚意により前橋に新しくできたホテルに泊まることになり、家族で出かける。高速で一路北へ向かう。途中、祖母が入居している老人ホームを訪ねることにした。去年、祖母が老人ホームに入居した瞬間から、世はパンデミックになってしまい、それから祖母は外部との直接的な接触は絶たれている。

予定時間に老人ホームに到着すると、施設の外に椅子がぽつんと置かれている場所があった。そこへ行くと、祖母が窓ガラス越しに待っていた。インカムをつけていて、それが外と繋がっていて、会話する仕組みになっている。話してみると、祖母はとても元気で安心した。こういう環境にあっても塞ぎこむところがないのも本当にすごいことだ。老人ホームは広々とした畑の真ん中に立っていて、そんな風景の中でガラス越しに会話する様は、『パリ、テキサス』っぽくておかしかった。

その後、前橋のホテル着。この建物、リノベーション前の数年前に空き家状態のときに、アーツ前橋の展示企画の一環としてサテライト会場になっていた。そのときは普通の建物だったけど、いまや内部空間が床含めてぶち抜かれていて、すごかった。企画するにせよ、これでOK出す気合はなかなか凄い。容積の割に部屋数が極端少ないのも、良い割り切りを感じた。サウナから赤城山を眺めた後に、前橋市内を眼下に外気浴。

ホテルで夕食後、全国屈指のシャッター商店街を夜中の散歩。土曜夜でも、あまり人はいない。COVID-19もあって尚更なのだろうけれども。子供が翌日の仕込みをしていたどら焼き屋さんの作業をウィンドウから食い入るように覗き込んでいたら、お兄さんが形が揃わなかったどら焼きをくれた。その後、就寝。


2021/4/25(日)

朝起きて、珍しく子供から眠れなかったと言われる。大人の目からすると、たいへん綺麗な部屋なわけだけど、本人的にはコンクリート打ちっぱなしの天井が荒々しすぎて、怖くて気になってよく眠れなかったとのこと。気を取り直して、出かけることにして富岡製糸工場へ。思ったより古いものが古いまま丸ごと残っていた。よくこの状態で残っているものだと思ったけど、実際に昭和の終わりまで営業してたことを知るに残したというよりも単に使っていたってことなのだろう。絹糸作るのってプロセスとしては当たり前だけど大量の蚕を増やして養うところから始まるので、インダストリアルっちゃインダストリアルなんだけど、起点はベタに有機で面白い。

昼過ぎには前橋に戻る。日曜昼も基本的にシャッター商店街なので、ガランとしているのだけど、一部の空きテナントに若い人が店を始めていて、そういったところを中心にぽつぽつと人が集まっていた。昨晩、どらやきをくれたお兄さんたちからお土産用のどらやきを買って、付近のお店で昼食。手打ちのパスタ。

子供にはいまいち旅行としてのハイライト感に欠けるみたいで、帰路途中に高崎で観音山公園という広大な公園を見つけて、そこで遊ぶ。観音山は小高い丘みたいな感じなのだけど、その麓の区画に斎場が何社も密集している一画があって、印象に残った。行政のプランなのか、歴史的な経緯なのか、あまり見たことのない感じだった。

東京に戻って、なんか家で食事するのが面倒に感じたので、南インド料理屋のシリバラジに。シリバラジは 3.11 のときに晩ご飯を食べにいったことをよく覚えている。あの日はテーブルのうえに、小さなキャンドルが灯されていて、余震が気になって、妙にそのキャンドルに対してナーバスになっていた。


2021/4/26(月)

子を送って、自宅で作業開始。

昼過ぎ、コーヒーブレイクということでコーヒー淹れる。いまだいたい1日でコーヒー豆を1日 50-60g 消費しているので、月に 1.5 kg くらい分を飲んでいて、かなり依存度が高い。今までずっとフレンチプレスだったのだけど(いまでも朝に家族用にまとめて出すのはフレンチプレスだけど)、家にいる時間が長くなってエアロプレスを使うようになった。エアロプレスは随分前から持っているのだけど、Youtube にあるような何とかチャンピオンの使い方動画が面倒臭い使い方を提案していることが多くて、それを真に受けたばかりに、買った直後にそのトリッキーなセッティングでやったら火傷して、使うの止めてた。けど、実はノーマルな使い方なら全然危なげもなくて簡単に抽出できること知ってからはそれでやっている。Youtube も普通の淹れ方を上位表示して… そういえば、いつもコーヒー豆を買っているスイッチコーヒーの壁にはアジズ・アンサリが来店した時のサインが書かれているのだけど、数日前に彼の「マスター・オブ・ゼロ」のシーズン3 の放映開始が5月から予告されていた。ウッディ・アレンがいろいろもう駄目なので、アジズ・アンサリしか期待できない(何を?)。

今日会う予定だった久しぶりに会いましょう的な友人との約束を延期して、7月にした。かれこれ、再延期が続いていて、この人との約束は1年近く順延しつづけになっている。なぜかタイミングが悪くて、毎回再設定する約束が緊急事態宣言と重なってしまう。でも、このやりとりがだんだんお互いに面白くなってきていて、いまではお互いに再設定しつつも、それが実現すると思っていない節がある。なので、やりとりも当日にしかしない。今日も無理ですかねえ、まーやめておきますかねえ、といった感じである。なので、自宅で普通に晩ごはん。


2021/4/27(火)

昼間は自宅からリモートでの打ち合わせの連続。昼食はリモートになってから、いろいろ食べているうちに結局は固定メニューになり、しかもなんだか妙に意識高い系になってる。オートミールに砕いたアーモンド、ココナッツフレーク、その他気分で放り込む乾燥食材に、プレーンヨーグルトとセブンイレブンの冷凍ブルーベリーを入れて、混ぜる。もう1年くらい昼はこれしか食べていない。オートミールは我が家では鳥の餌と呼んでいるけど、これで十分という気がする。ニューノーマルランチ。とはいえ、これCOVID-19が収束しても食べ続けるんだろうか。在宅ワークなら食べ続ける気がするけど、これをお弁当にしてもまで外で食べるかと言うと、わからない。

緊急事態宣言がまた発布されていたけど、友人二人と会うことに。一人が夏頃に郷里の長崎に帰るというので、会えるうちには会っておこうと、浅草まで。普通だったらまず待ち合わせ場所にしない雷門前でも、人がいなくて快適そのもの。浅草寺へ疫病退散の参拝を済ませる。どっかで適当にテイクアウトして、友人宅でという話だったのだけど、散歩しているうちに、普段はそれなりに混んでいるというタイ料理屋にまったく客が入っていなかったので、そこで落ち着くことに。

ひさしぶりに会うこともあって、三人でよもやま話。自分が一番年上で、それぞれ歳が5−6個ずつ離れていて、物事の見え方が違って面白い。20:00 までと言われていたのだけど、タイ人の店主がシャッターを下ろして、その後もいていいと言われたので、結局 22:00 くらいまで他の客が誰もいない閉店後のタイ料理屋で話し込んだ。カオサンの日本人宿にいるような感覚もあって、すこし旅っぽかった。

地下鉄で東京を横切る感じで帰宅。


2021/4/28(水)

子を送って、自宅で作業開始。そういえば、今日は会社のオフィスが最終日だった。部門としてそれなりのスペースを確保していたのだけど、さすがにこの出社率では余りにも勿体ないので、解消することになって、他フロアのフリーアドレスな場所を充てられることになった。

そのために2週間前に一度出社して、個人ロッカーのものなど箱詰めしておいた。それらの荷物はすべて来週以降は新しいフロアに引っ越されている状態になる。けれども、その箱詰めをした荷物を開梱するタイミングがいつかくるのかは不透明だ。そもそもこの1年使う機会のなかったものばかりということもあり、このままあの荷物が消えてしまったとしても何も困ることはないだろう。

ちなみに現オフィスの最終日ということで、出社している人でささやかな会を行う予定になっていたけど、子の迎えで、自分は不参加に。