RANDOM DIARY:COVID-19 田中敏惠

コロナウィルスが存在する世界で暮らす一週間。
大島紬と父の想い出。世田谷の和裁士。
曇天の金曜日に髪を切る。
二匹の猫と書棚に並ぶ向田邦子全集。

2021/2/22(月)

日記というとまず思い出すのが、江國香織のエッセイだ。彼女が初めて日記を書いた日、父(俳人の江國滋)に読んでもらおうと書斎へ持っていくと、最初は嬉しそうにノートを開いたがどんどんと顔が曇り、「日記に“今日は”はいらないだろう」とダメ出しをされる。失意の中で去ろうする幼い日の彼女に、父は追い打ちをかけるように「あと“私は”も必要なし」と言うのだ。

ただの一度も続いたことない日記だけれど、このやり取りだけはずっと忘れられない。双方の愛情が、父は正しさで現れ、娘は悲しみに変わってしまう。正しすぎる“良かれ”はときに傷つけるものとなることを大人は知っている。知っているけれど、ここで言葉の正確さを指摘する父においては、俳人としての性(さが)も内包している……。読んでから30年近く経ってる気がするけれど、あれ、どの本に入っていただろう。

さて、猫の日だ。二匹の愛猫(兄と妹のきょうだい)にあなたたちの日ですよとまず伝え、おやつのチュールを奮発してやろうなんて思いながら、植木に水をやり、花瓶の水を換える。「菜の花はどんどん茎が伸びるからね」と言われたが、一晩で本当に伸びていてバランス悪いので少し切り、愛猫(兄)が何故かホアホア部分をバンバン落としてしまうネコヤナギの、難を逃れている上部だけ切って一緒に活けてみる。他、毎朝行っていることが一段落してから仕事。

今夜からClubhouseでオリジナルコンテンツをスタートさせる。『サロン キミテラス』(キミテラスは私の屋号です)は、コロナでなかなか人とリアルに会うのが難しいのを逆手に取って、遠くに暮らす初対面な人たちをClubhouse内で繋げるクロストークの場だ。初回は富山の一子相伝で受け継ぐ城端蒔絵の蒔絵師十六代目の小原治五右衛門さんと、岡山のミシュランスターシェフで、料理を南無阿弥陀仏に近づけようとする日本料理店『Bricole』の矢永謙三さん。テーマは「伝統工芸と仏教」。

Clubhouseはアーカイブが残らない。残らないのにここで書くのは無粋な気がする。個人SNSでも正しさを盛ってしまったり、おもねってしまう中、好きな人たちと好きなことをそれぞれの信じる「正しさ」とともに語り合う。その入口には立てた気がする。広がりが蔓延している今、深く根を張るよう育てたい。次回は山伏と山師料理人。


 
2021/2/23(火)

令和初の天皇誕生日の休日、東京は快晴。昨日から決めていたように、きものを着て電車に乗って、ずっと前から気になっていた多摩川駅近くにある浅間神社へ参拝に行く。映画『シン・ゴジラ』にも登場する小高い丘に建つ神社だ。

見晴台からは多摩川〜武蔵小杉のビル群などが見えて開放感抜群の景色。続くようにある公園の敷地内にはたくさんの古墳が点在している。6世紀、このあたりを武蔵国での一大勢力を持った豪族が統治していたのだという。近くの等々力渓谷は東京で唯一の天然渓谷でお不動様もあるし、五島慶太翁のコレクションが素晴らしい五島美術館の高低差を生かした庭園も美しい。豊かな場所では、古の時代から信仰が生まれ、富のトップにいる人たちが集まってきたんだなぁとぼんやり考える。きっとアースダイバーにはたまらない土地なのだろう。

帰りは田園調布まで歩き、インスタで気になっていたギャラリーと大阪鮨の店に寄って帰る。午後はずいぶんと風が冷たくなっていた。

帰宅後、仕事含めて明日の準備。物事に集中しているとき、なぜか猫sは近くにいる。ただ寄り添うだけのこともあるし、大変邪魔なときもある。どちらも同じように愛おしい。


 
2021/2/24(水)

目覚ましの少し前に目が覚めると、その日は良い日になる気がする。午前中に用事があったので、前に済ませなければいけないことをバタバタとこなす。世田谷のお世話になっている和裁士さんへ、父が買ってくれた大島の仕立て依頼に行くのだ。

話はいささかややこしい。3年ちょっと前だと思う。私がきものに凝っているらしいと母経由で知った父が、自分がお世話になっている奄美大島出身の人がいる、その人は顔がきくからひとつ大島を買ってあげようことになった。彼の地からの着尺が届いたとのことで喜んで行ったが、並ばれた反物たちはかなり才色兼備系または、ゴージャスなものたちばかりで、自分の趣味とは合わなかった。せっかく取り寄せてくださったのだし何か……としばらく目を凝らしていたら、実は父も以前大島を購入しているのだという。見せてもらったのが、黒と焦げ茶の変わり微塵格子の泥染め。これならばすんなり来ると、長年タンスの肥やしだったそれを私が譲ってもらうことにし、かわりに母が気に入ったものを購入することと相成った。

しかし事情を後で知った父が立腹。「なんでせっかく用意してくれたものから選ばないんだ」と言われ、趣味ではないものを買うのはもったいないし先方も納得し、丸く収まっているのだから良いじゃない、となだめたのだが、父は不満そうだった。

結局母も仕立てずに、「やっぱりあなたが着たら?」と私のところにやってきたのが、今回の大島だ。こってりと多色使いで総柄の織りが入った、着こなすのが難しそうな個性派なのだが、買ってくれた父は昨年末他界。やっぱりちゃんと仕立てて着ようと決め、今回の依頼となったのだった。

和裁士さんは今ずいぶんと立て込んでいるようなので、5月になるなら秋で構わないと伝える。それまでに合う帯が見つかるだろうか……。できたらお墓参りにも着ていこうと思う。

その後仕事。夕食もさっぱりと済ませてまた業務。


 
2021/2/25(木)

事務処理デー。銀行の混雑で今日が25日=給料日だと気づく。

腰を落ち着けて作業の日となってやっと、献本いただいた『Chance!!』誌のお礼を編集長の三宅晶子さんにする。

『Chance!!』は、受刑者専門の就職斡旋誌だ。三宅さんは情熱だけでこのPJを始めた方。初めて存在を知ったとき、同世代でこんなにかっこいい人がいるのかと高揚した。編集経験ゼロでこの求人誌づくりを始めたというが、すべての漢字にルビがふってたったりして、きちんと編集者のセンスがある人だと思う。写真もどんどん良くなっている。

受刑者の就職先が決定しても、それがゴールではない。数々のフォローに関しても三宅さんは骨惜しみしない。

散歩がてら少し遠くのカフェに行き、メールしたり棚に並ぶたくさんの料理本をチェックしたり。道を間違えたりして遠回りしたがそれもまた良し、となるから散歩は素晴らしい。

地味で滋味な鍋でちょっと遅めの夕食。出汁(汁)さえちゃんとしていれば、鍋はどうにかなるとつくづく思う。なので出汁だけはケチらず、ちゃんとひくことにしている。一緒に好きな日本酒。


 
2021/2/26(金)

底冷えする曇天の金曜日。メールや調べ物をしてから外苑前のツィギーへカットに行く。オーナーの松浦美穂さんにはかれこれ15年ほどお世話になっているだろうか……。

ツィギーでの私は忙しい。美穂さんと環境のこと、世界のこと、社会のこと、政治のことなど話しながら、流れている音楽や書棚のアート本をチェックし、雑誌だって読む。仕事だってする。隣に座っている人のチャンキーヒールのシルバーブーツがすごく素敵……というファッションチェックも忘れない。オーガニックの食材で作られたカフェのメニューも楽しみである。タイミングによってはPOP UPなんかもある。

ツィギーというサロンは、もちろん、ヘアスタイルを作ってもらうのだが、私にとってはライフスタイルを考える場になっている。ここでいうところのライフスタイルとは、“暮らし”ではなく、ちょっと大げさにいうと、この時代、この社会の中に身をおく自分の生き方という意味に近い。新しい髪型で、ここで出合った自分が心地よいと感じる事柄や刺激を受けるコンテンツから、私が社会のためにできることまで、“次”に思いや考えを巡らせるきっかけがあちこちに用意されている。そしてその中心にいるのが、オーナーの松浦美穂さんなのだと思う。

帰りに大好きな店FUCHISOに寄って素敵な古い手仕事に囲まれ、店主の小松綾子さんとおしゃべりして帰宅。食事まで仕事。明日は母や弟一家が来るので就寝前に軽く料理の下ごしらえだけは済ませた。


 
2021/2/27(土)

平日よりも早起きする土曜日。昼頃にみんながやってくるので、それまでにこなさなければいけないことが多い。実家と我が家は遠いというほどではないが、近いとはとても言えない(1時間半ちょっと)。母も高齢なので、ウチに泊まるのが窮屈ならば、近くでホテル予約するよと言ったのだが、帰るといってきかない。結果、夕飯でなくおひるにしましょうということになった。

「出前でもいいのに」と言われたが、大立ち回りしながら料理するのがタチみたいだ。娘に気なんか使わなくていいのにと思いながら、結構な人数の食事をつくりもてなす大変さを理解してくれる。ありがたいやら申し訳ないやら。3世帯同居で祖父母を訪ねて来る叔父叔母(母にとっては義理の弟や妹)を長年迎えて来た母だからこそなのだろう。

駅まで送りながらふたりで少し話す。父の遺品の整理など、まだまだ落ち着くには時間がかかりそうだ。ひとりですべてやろうと思わないようにと念を押す。空には上り始めたばかりの見事な満月が輝いていた。


 
2021/2/28(日)

昨日の名残をリセットすることから始まる朝。普段はとらない上白砂糖を過剰に摂取したのがわかる。今日は糖分を抜こうと決める。

午後から初屋さんのきもの展に行く。初屋さんは、個人でヴィンテージのきものの買付と販売をしているのだが、「自分が気に入ったものしか扱わない」を信条にしている。帯やきものをいくつかいただいたことがあり、褒められることが多い。試着したが、今回はピンとくるものなく挨拶だけとなった。

帰って夕刻からパリとオンラインで会議。

今日で日記も最後だが、一週間続けていたのが『向田邦子全集』の読書だった。

向田邦子を好きな人は老若男女問わず多いと思う。私もそのひとりで、かつて鹿児島にある文学館を訪ねたこともある。けれど彼女を取り上げる際の切り口というかテーマが、作品よりも暮らしにフォーカスが当たりすぎていることに、それが薄っぺらい褒め言葉に始終していることの多さに、哀しさと悔しさと怒りがないまぜになったような複雑な気持ちがある。消費が過ぎる気がしてならないのだ。その気持を収めるためだったのだろうか、、一度またしっかり読んでみようと思い、本になっているものはすべて読んでいたが全集を取り寄せてみたのだった。

そこには展覧会では姿を表さない、哀しみや厳しさや切なさや残酷さを含んだ文学作品が、希釈されることなくひしめいていた。いつか向田邦子のことをきちんと書けたらと思っている。明日から3月である。