RANDOM DIARY:COVID-19 辻ゆかり

コロナウィルスが存在する世界で暮らす6日間と1日。
月の満ち欠け。窓の外の湖。
中国茶とプリーツスカート。
母との暮らし。2020年、秋の京都は。

2020年10月29日(木)

 今日は十三夜。
 十五夜は中国由来、そして十三夜は日本独自の風習なんだそう。
 十五夜を見たら十三夜も見るべし、十五夜だけで済ませるのを片見月と言って縁起が悪いらしい、と友人が朝、SNSにアップしていたから、わざわざ縁起が悪いことなんてしたくない、だから絶対に見る!と心の片隅にメモ。案外気にするタイプ、忘れやすいけど。
 いつものように30分弱の徒歩通勤で職場へ向かう。この毎日のおかげでコロナ太りから逃れられたのでは?と思うが、運動はこれのみ。
 しかし、それよりも新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない中、満員電車に乗らないということが自分には重要で、かなりの安心材料だった。職場も少人数だし、在宅するかどうかも自分次第といった感じで、世間より私はずっと淡々としていた。高齢の母に感染させてはいけない、それ以外は。

 けれど一転、事務所は、入っている建物に併設されている宿泊施設が軽症患者さんを受け入れることになり、一時移転を余儀なくされた。4月に入社し、まだ仕事も覚えていない中での5月の引っ越し。戻りは未定、新型コロナが収まり、軽症患者さんがいなくなるまでだからだ。淡々とはしていても、新年度早々だから例年通りの行事がたちまち立ち行かなくなったりした。これぐらい、まだ世間並にも入らないのかな?とにかく目の前の事をこなし、いつの間にかリモートでの会議や打ち合わせが当たり前になり、結局、思ったよりも早く事務所は元の建物に戻ってきた。

 まぁ、戻ってきた当初は、建物自体がひっそりしすぎてびっくりした。そして、あちらこちらに残る「立ち入り禁止」の張り紙や、建物内の動線を制限する数々のコーン。それらは、たった数か月なのに建物内の状況が一転していることを物語っていて、なんともやるせない気持ちになった。
 しかし、最近やっと他階の事務所も貸し会議室も稼働してきたし、なによりお隣の事務所が、明日戻ってくるらしい。個人的にはコロナ前には戻らなくていいと思っているけど、それとこれとは別。人が行き来して、慌ただしく誰かが動き回り、喋り声と、足音と。そんな日常が早く戻ってきて欲しかった。
 事務所には大きな窓があって、目の前に湖が広がっている。コロナであってもなにも変わらない景色と、今日はコロナ患者何名でどうのこうのとすっかり変わってしまった世の中。
 おせおせの仕事は今日も片付かなかったけど、とにかく帰ろう。と、事務所の建物を出たら、目の前にお月様が。思わず「待っててくれたん?」と心の中で聞いてしまった。これで縁起の悪いことも起こらないだろう。


 
2020年10月30日(金)

 今日は14番目の月。
 やっと原稿が揃う。まだ初校でこれからだけど。なんて書くといっぱしのライターさんみたいだけど、単なる編集担当です。地元の財団法人で情報誌を制作していて、取材先は市民活動団体やNPO団体、福祉事業所など。配布先も同じようなところで1万部ほど発行している。4月からこの仕事についたが、市民活動とかNPOとか全く知らない世界なので、こんな活動があるんだ、と興味津々。知らないことは知りたい性格だ。
 今回の取材先は4件、地域づくり、社会福祉施設、子育て支援、インバウンドツアー。どこもコロナの影響を受けていて当初は困っておられたが、取材に伺った頃には工夫を凝らし、徐々に活動を再開されていた。逞しい。
 地域の活動って派手さもないし、注目されることもあまりない。何かのきっかけや、意識をしなければ関わることはまずないが、知れば本当に興味がわいてくる。例えば、今回伺った社会福祉事業所は、アール・ブリュットやアウトサイダー・アートといわれる自閉症や知的障害者の生み出すアートが有名で、初めてそれらの作品を見て圧倒された。また、なぜ、この様な創作活動が主になったかというストーリーを聞いて、いわゆる一般の学校教育ってなんだろう、障害者ってなに?と深く考えさせられた。もちろん綺麗事だけではすまされないけれど、こういう活動についてもっと知るべきだし、分断されちゃいけないと思う。我が筆力がおぼつかないが、少しでも伝わるように頑張ろうっと。
 このコロナ禍で行動を制限される生活を強いられ、自分自身、いつもどこか遠くを見ていたな、と思う。けれど、もっと足元に大事なものがあるかもしれない。住んでいる地域を見直してみるいいきっかけかもとも思う。折しも大阪市の住民投票がもうすぐだ。本気で自分たちの地域を考えねばならない選挙。大阪市がなくなっていいのかなぁ。あ、話がそれた。原稿に戻ろう。チェックはまだ、これからだ。


 
2020年10月31日(土)

 今夜は満月、ブルームーンらしい。
 朝から清々しい秋晴れ!これは前から気になっていた和菓子屋さんを目指そうと京都駅へ。
 つい先月までひっそりとしていたのにGo To トラベルの影響?かなり人が増えている。
 コロナ禍以前は、バスなんて日本人より断然外国人の方が多くて、こちらのほうの肩身が狭かったし、スーツケースが縦横無尽にゴロゴロ動く風景が異様だった。それが嘘のように外国人ばかりか、日本人までいなくなって、本当にここ京都?と、信じられない光景に唖然としたのを覚えている。

 私は昨年まで京都市内の百貨店で働いていた。その数年の間、インバウンドの影響で売り場の様子は激変した。最初は本当に爆買い。しかし、富裕層ばかりでなくなるとディスカウントを求められるわ、新しいものを出せと言われるわ。支払い方法もどれだけ彼らに合わせたものが導入されてきたか。いつしか向こうの連休まで知るようになった。それに合わせた商材を入れるからだ。
 百貨店だって複雑なところだ。けれど景気がいいのは彼らだ。POPには日本語以外の言葉が加えられ、館内アナウンスも3ケ国語ぐらい流れていた。そして、TAX FREEのカウンターはいつも超満員。そんな光景に、ちょっとうんざりしていた。販売員として相手は誰であってもお客さまだ。だけど、本当にこれでいいのかなって。それでもインバウンドはますます勢いを増していった。
 それが理由ではないけれど、昨年私はフルタイムとしての販売員を一旦辞め、フリーの単発契約という形でフロア内を手伝っていた。ちょうど今ぐらい?新型の感染症が出たらしいというニュースを聞くようになってもまだ他所事で、年末年始も例年通りに迎えたけれど、2月に出勤したときには世界が変わり始めていた。それからというもの、桜の季節もゴールデンウイークも大きなお祭りの季節も京都はひっそりとしていた。けれど、今までの異常なほどの賑わいのほうが、やっぱり不自然だったと思う。
 まだ日本人ばかりだが、これからあの同じようなサービス、やり方でインバウンドの客も呼び戻すのだろうか。長らく閉まっているレンタル着物店に建設中のホテル。実際はどこが経営しているのか怪しいもので、実は街はそういうもので溢れている。張りぼての古都。本気で目覚めないと。Go To トラベルがなんか物悲しい。


 
2020年11月1日(日)

 今日から欠けていく月。
 いよいよ11月。今日はちゃんと話さないと。仕事の帰り道、自分で自分に確認。
 明日は、母のかかりつけ医の診察の日。だけど、しんどいから行かないと、数日前に母に言われる。
 この夏の終わりに入院し退院した母は一向に体力が戻らない。明日、先生に相談しようと思っている。だけど、先ずは本人の希望だ。それを聞き出さねば。
 うちの母はもう80をとっくに過ぎていて、数年前からパーキンソン病を患い、お薬で症状をなんとか止めているけど、ほぼ歩行困難。調子が悪いと体全身も動かなくなったりする。けれど、頭は冴え冴えで、それがまた、自分自身、歯がゆく、辛いのだと思う。口も達者だ。ちょっとしたことでぶつかる、そんな喧嘩を繰り返し、もう何年きただろう。
 母は今日もあまり食べたがらない。いまの医療、口から食べられなくても胃瘻などの処置をすれば生きることはできる。この先、それを母は望んでいるかだ。
「これから、もっと食べられなくなったらどうする?」
 いまのところ、母の返事は、管など通してほしくないと。じゃあ、とにかく口からなんでもいいから入れようと、アイスクリームを渡すと頑張って食べていた。

 この夏の終わりの入院は、単なる盲腸だった。内視鏡での手術だし、一週間もすれば退院できそうだった。コロナ患者さんを受け入れている病院だから、面会も基本NG。すこしの間、私にも自由な時間ができると内心喜んでいたら、主治医から呼び出しがあった。てっきり退院の日を決めるもんだと思って病院に向かうと、案の定、盲腸の術後経過は良好、しかし、細胞検査で実は悪性、つまり癌だったと。おまけにCT検査でたまたまもうひとつ見つかり、こちらの方が厄介だと言われる。今すぐどうなるってことでもないけれど、あらゆることを説明され、今後のことを家族として考えていってほしいと言われる。はい、はい、と口は返事をしているが、頭の中は、ちょ、ちょっと待って!と混乱していた。母が癌に侵されているショックというよりは、もっと現実で、この先、どうしていったらいいんだろう?それだけで頭がいっぱいになった。母は以前より顔色もよく、元気なのに。
 それから数日後、退院したいと言い張るので退院させ、次の検診で主治医から直接、母に癌が告げられた。そして選択してほしいことが告げられ、母は「このまま」を選択し、現在に至るのだ。
 ここに至るまでもいろいろあったけど、とにかく明日はかかりつけ医に相談だ。そして、人は、ほぼ勝手には死ねない。


 
2020年11月2日(月)

 月はだんだん欠けていく。
 かかりつけ医のS先生は、まだ若い。顔はちょっとトータス松本さん似。明るいし、同じ結果としても、前向きな言葉をかけてくださるので、その部分でも母はかなり救われたと思う。ずっと診てもらいたかったな。
 先生に呼ばれると、母の意向について、だいたいはケアマネジャーさんから聞いているとのこと。母の癌の厄介さと持病を踏まえ、在宅医療に切り替えていいんじゃないかとアドバイスをもらう。
 その前に、先ずは最後をどうするかを決めておくように言われる。つまり、病院か施設か自宅か。そこで、どんな医療体制を組むかが変わってくるらしい。私の友人に在宅医療の医師がいて常々「自分の最後をどうするか決めておくこと」と言っているが、やはりここか。
 そうでなくても、病人を抱えているといつも選択を迫られる。父の時も、その場面に何度も出くわしたが、父は日記をつけていて最後、延命治療は一切いらないと書いていたため、悩むことなく(もちろん家族としては一瞬悩むけど)事を進められた。
 不慮の死ももちろんあるけど、自分の人生の終わりは自分で決めておく。これはもう必須だ。
 母にも確認しますが、自宅が希望だと思います、と先生に伝え、どういう手配をしていくかアドバイスをもらい、ケアマネジャーと段取りを決める。在宅医療や訪問看護がどんなものかわからずにいたが、なんとか一歩進めた。それでも、実際に事が動くまでにあれこれしないといけない。コロナ禍で絶対感染できないと思ってきたけど、それどころではない。
 これから始まる介護は、いったいどうなるのか。前向きが取り柄な私にだって悩みはあるのだ。かなり深刻に。


 
2020年11月3日(火)

 今夜は十六夜の月。
 母のこれからをなんとか決めたので、今日は解放されよう!と、京都にある古いアパートメントの一室でひっそり開催される中国茶のお茶会に遊びにいく。
 大正時代に建てられたアパートメントの前には枝垂桜の木が一本あり、桜の季節はお部屋がピンクに染まり、初夏は眩しい新緑、金木犀の香る季節もある。特に春の桜は美しく、それを見てほしくてお友達を誘うこともある。けれど今年はコロナで桜の時期のお茶会は中止となり、この秋が今年初のお茶会らしい。そうだよね、他にもいくつかワークショップに通っているけれど今年はどれも中止、延期になった。どこも少人数制だけど、集まることが憚られるもん。
 今年は買い付けに行けなかったからと、今日のお茶は、定番の茉莉花茶と高地より少し低い土地の烏龍茶。なんと甘いことか。味も香りも。嗅覚は脳にダイレクトに届くと聞いたことがある。質のいい、茉莉花茶と烏龍茶の香りは、本当に気持ちを落ち着かせてくれる。というか私にとっては、昨日までのごちゃごちゃを忘れさせてくれるひと時だ。
 そしてお茶を囲んでコロナ禍での近況報告。みなコロナを通して、家族との時間だったり、人間関係だったり、仕事だったり、それぞれが向き合い気づかされたことが多いと話していた。今年はやっぱり強烈だ。それでもこうして集まれるのは幸せな事でもある。
 帰りには、気になっていたスカートを買った。お気に入りの店でお気に入りを買う幸せ。私には珍しいプリーツのスカート、これを穿いて遊びに行きたいなと思いつつ、デパ地下へ急ぐ。母の晩ご飯を買わなくちゃ。あれこれ見たけど、ちょっと値段の張るお鮨に決めた。少しでいいんだし、たまにはね。遊びに行っても最後はいつもこう。母の晩ご飯、それは片時も消えない私の現実。


 
2020年11月14日(土)

 月はすっかり見えなくなっていた。明日は新月らしい。

 落ち着け、落ち着け。
 母の往診の件が止まっている。ケアマネジャーからは、往診をお願いしたクリニックへの催促は家族からしてもらわないと、と言われるが、家族は私ひとり。タイトなスケジュールだけど動くのは私しかいない。昨日は再度、主治医の外来に予約を入れて事情を説明しに行った。はっきり書くと、クリニックの先生は余命がどれぐらいか知りたがっているのだ。知りたがっているというより、私にも必要だと。
 主治医には、案の定、それは寿命だし、ドラマのようにはなりませんよ、と諭される。そりゃそうだよな。帰宅して、クリニックの先生に再度電話でその旨を話すが遠回しに、家で看取るのは無理だと言ってくる。私も絶対に家でとは思っていない。ただ、いまは母の希望を尊重したいだけなのだが、どうも伝わらないので渋々電話を切る。一歩前進!と思っていたから、なんだか途方に暮れてしまった。どうしよう、一晩悩む。
 そして今朝、ケアマネジャーの「変えましょうか」の一言でふんぎりがついた。
 先のクリニックは、お世話になったとしてもどこかでぶつかると判断し、違う病院に電話を入れた。事情説明し、受け入れてくださるなら、私がすべき準備を順番に指示して欲しいと伝える。無駄な一週間を過ごすのはもうごめんだ。すると、ざっと契約までの流れと私のやるべき事を説明してくださり、こちらの心細い気持ちまで察してくださった。今日は土曜日だから動くのは週が明けてからになるけれど、やっと何とかなりそうで、ここ数日の緊張感がほぐれていくのが自分でもわかる。まだこれからだけど。
 コロナも気づけば第3波がやってきているようだ。そんな中で関わってくださるヘルパーさん、訪問看護師さん、往診のドクターには本当に感謝しかない。いま、初めてプロに任せる、頼る、を私は学んでいる。コロナ同様、介護も先が見えない辛さがある。Withコロナじゃないけど、どう付き合うか。試行錯誤の日々はまだまだ続く。