コロナウィルスが存在する世界で暮らす一週間。
夜の空港と水色の防護服。
異国の隔離生活。単焦点プロジェクター。
映画をめぐるダイアローグ。
2020年10月2日(金)
羽田空港第3ターミナルへ出発時刻3時間前に到着。チェックインカウンター前には既に10名以上が並んで手続き開始を待っていた。皆、大きなスーツケースを複数持参している。渡航直後に待ち受ける14日間の隔離生活への備えだろうか。
約8ヶ月ぶりの空港、飛行機そして出国。今後数年間予定の海外生活に向けた渡航準備は、コロナ禍で異常続きだった。特に出国前後に受けるPCR検査に向け、感染の恐怖に常に神経を尖らせていた。でもいざ空港に来てみると大した変化は感じられず、旅路はどうやら「普通」に進みそうだ、と安堵する。確かに空港内を歩く人は少なく、店舗の多くは閉まっている。ただその様子は日付が変わってからの深夜便搭乗時とほぼ同じだ。唯一目を引いたのは、閉鎖されたトイレ入口に貼られた黄と黒の縞模様テープくらい。それもただの修理中に見えなくもない。
搭乗すると、エコノミー3席を独り占めだった。子連れを除き、殆どの乗客が同じ状態。単に乗客が少ないのか、感染防止対策で乗客数を絞っているのか、何れにしてもゆったり過ごせることは嬉しい。今日は満月だそうなので、窓側に座る。飛行開始後しばらく経ってから、微睡みの中で白く光る丸い姿を確認。地上から見上げるよりもずっと小さく感じられるのは何故だろう。
機内での過ごし方もコロナ前と大きく変わらず。渡航準備で気を張り詰めていた状態から肩透かしを食らった心地がする。各座席から冊子類が姿を消していたので、旅のエッセー類が読めなかったことは寂しかったけれど。
着陸はすっかり暗くなってから。空港内部はどこにでもあるようなデザインで、しかも空港職員は水色の防護服で頭のてっぺんから爪先まで包まれており、髪や肌、瞳の色が見えず異国の地に「着いた!」という実感が全く湧かない。イミグレーションのカウンターで何ヶ月もかけて用意した複数の書類を入念にチェックされ、且つ書類に不備があったらしい他の乗客が別室に案内される様子を見て、準備は無駄ではなかったことを痛感する。
ターンテーブルでスーツケースをピックアップ。防護服の人が大勢いると思ったら、送迎のドライバー達だった。名前を呼ばれ外へ出る。普通のタクシーを想定していたら、何と大型バスを1人で貸切だった。バスの内装が華やかで可愛らしく、初めて異国に来た実感がほんのり湧くも、数分で隔離先ホテルに到着。フロントへ近付こうとすると「STOP!!」と大声で言われ、その場に立ち尽くす。フロント係がどこかへ消え、戻ってくると防護服にフェイスシールドの出で立ち。自分が招かざれざる客であることを思い知る。
ホテル内は廊下、エレベーター、全てビニールシートで覆われている。まるで工事中のよう。部屋は世界どの都市にでもあるシティホテルの内装。入口と窓を両端にした縦長の部屋中央にベッドがあり、窓際にデスクがあり。入口近くのドアを開けると洗面台とトイレとシャワーが同じ空間にあり。この10畳ほどの空間でこの先14日間1人で過ごす。窓からの景色は真っ暗で分からない。近しい人たちに到着の連絡を入れ、就寝。
2020年10月3日(土)
部屋の電話が鳴り飛び起きる。受話器の向こうから英語が聴こえ、ホテルにいることを思い出す。電話は今日の朝・昼・夕食の注文受付だった。電話横に置かれた1週間の献立表を見ると毎食アジア風と洋風の2種類が用意されていた。昼・夕食は毎日献立が違う。寝惚け頭にアルファベットが全く入ってこないので、取り敢えず朝食は洋風、昼・夜食はアジア風をお願いする。
電話を切って時計を見ると7時過ぎ。カーテンを開けると、少し距離を置いた場所にビルがそびえ立ち、そのガラス窓と非常階段が私の視界を占領した。ビル上には青空が僅かな幅で広がり、下には自分のいるホテルとの間に中庭のようなスペースがあった。目前に隣の建物が迫っているのではないことに安堵するも、ガラスと金属とコンクリートしか見えない景色に、一体ここがどこなのか、ビルが建つところであればどこでもあり得るではないかと、自分が地図から消えたような錯覚を覚える。
8時過ぎ、ドアがノックされ「Room service」と声掛けがある。ドアを開けると誰もおらず廊下に顔を出すと、部屋前に置かれた椅子の上に紙容器と紙コップが入ったビニール袋が置かれている。朝食の配達だった。大きな紙容器にはオムレツ、ハム、チーズ、ベーコン、クロワッサン、バゲット、マフィン。小さな紙容器にはフルーツ3種類。そしてコーヒーとフルーツジュース。盛り沢山だ。これから14日間、部屋から1歩も出ず運動量が限定されることを考慮してパン、米、麺、芋類は食べないことにする。箸、ナイフ、フォーク、スプーンは部屋備え付けのものを使用。食べ終わったら直ぐに紙容器を部屋の外へ出し、カトラリーを洗面台で洗う。これが1日3食繰り返される。
10時過ぎ、ドアがノックされ、開けると防護服姿の人が。額に体温計を当てられた後、エレベーターホール前へ案内される。PCR検査だ。鼻と口それぞれから綿棒のようなもので採取、終了。部屋からエレベーターホール前までの数メートルが、隔離中最大限の外出。
一通り荷解きを終え、持参した短焦点プロジェクターをセットする。昨夏 moonbow cinema で開催した都電車両内での上映会で使ったもの。今年3月から映画館が一時閉館となって以降、自宅で映像を楽しむために欠かせない外出自粛生活の相棒となった。このプロジェクターにポータブルDVDプレーヤーあるいはスマートフォンを繋ぎ、音はBluetoothのワイヤレスヘッドホンで。ホテルのインターネットが不安定でも影響されない「隔離部屋映画館」の完成。
ツイッターを眺めていると、くまもと復興映画祭YouTubeライブ配信で行定勲監督による熊本で撮影された短編3本とティーチインが視聴できることを知りアクセス。ホテルのインターネットが弱く、スマートフォンを縦にした小さな画面で、且つ動画と音声が所々切れてしまったけれど『初恋 第二篇』『うつくしいひと』『うつくしいひと サバ?』を鑑賞。各作品の終盤、青々とした芝生、開けた草原、霧漂う山地など、印象的な場所で歩いたり踊ったりする場面が繰り広げられ、熊本という馴染みのない土地に憧れを抱く。そして『うつくしいひと サバ?』に収められた石橋静河さんの舞踊はいつか大スクリーンで、あるいはライブパフォーマンスで鑑賞してみたい。
全館禁煙のはずなのに、煙草の臭いが換気扇から伝わってきて気持ち悪い。しかも隣の部屋からスマートフォンの着信音とオンラインでの会話が丸聞こえ。何語なのか分からないけれど耳障り。廊下からも話し声。男性の声ばかり。性別でフロアを分けるという配慮はないようだ。安眠用に持参した香水 Diorissimo を部屋中に吹きかけ、イヤホンで音楽を聴きながら就寝。臭い、騒音、窓からの景色、隔離生活三大文句となりそうだ。
2020年10月4日(日)
深夜3時に目覚める。窓から空を見上げると月の姿。時差ボケであることを自覚する。
朝食前、前日に着用した衣服の洗濯を済ませる。感染防止対策の一環でランドリーサービスがないので、隔離中の洗濯は全て自分で手洗い。毎朝の日課にしようと思う。洗面台に水、次に石鹸水を溜め洗濯物を洗っていると、徐々に水の色が変わり汚れらしきものが浮いてくる。ただ部屋で座っているか寝転がっているかだけなのに。自分の体がなんとも面倒なものに思える。
昨日に引き続き、くまもと復興映画祭のライブ配信鑑賞。行定勲監督と高良健吾さん登壇のティーチインで、新作を天草で来年撮影と発表がある。すると公開は2022年だろうか。私は日本に戻っているだろうか。
2020年10月5日(月)
昨日まで朝食の卵料理をオムレツにしていたが、使われている油が自分の内臓と相性が悪いような気がして、今朝は茹で卵にしてみた。添えられた塩をかけて頂く。ところが程なくして胸やけ。油分が全くないのも問題か。あるいは付け合わせのベーコンの油がいけないのか。あるいは朝からの曇り空、低気圧が原因なのか。
夜、今泉力哉監督『his』鑑賞。主演の1人、言葉を多く発さず佇む宮沢氷魚さんのお芝居が、会話がない空間に馴染む。隔離中のリズム感として参考にしようと思う。同監督の未鑑賞作品『mellow』を準備してこなかったことを悔やむ。
2020年10月6日(火)
朝食の茹で卵を半分に切り、卵黄の上にパン用についてくるバターを塗り、持参したおろし生姜を乗せ、醤油をかけてみる。美味。以後、毎朝この味付けで食べよう。
インスタライブで映画『窮鼠はチーズの夢を見る』行定勲監督と成田凌さんのトークを一部視聴。日本出国前最後の映画館体験に選んだ作品。理由は、幕開けの瞬間から映画館に広がる、半野喜弘さんの音楽。環境音との境界線が曖昧な立体的な調べに心体が絡め取られ、一気に物語の世界に入り込める。2度目の鑑賞だった。
映画館が初夏に復活した時、新たに気付いた映画館の魅力が音響だった。閉館中、自宅での隣人に配慮したボリューム調整や、イヤホンでの鑑賞を経て、映画館だと音が空気の振動となって体を360度包んだ状態で映画を体験できることに気が付いた。行定監督と半野さんが以前組んだ『真夜中の五分前』『ピンクとグレー』、共に最初の一瞬一音から魅力的なので、最新作『窮鼠はチーズの夢を見る』も期待して劇場公開初日に足を運んだ。
その記憶がまだ新しい状態で、1人部屋でスマートフォンに映るインスタライブを眺めていると、自分が今どこにいるのか、分からない。手元の映像は本当に「ライブ」なのだろうか。外は明るくなったり暗くなったりを繰り返し、太陽光が差すと向かいのビルの陰影が動き、雲が出て光の動きがなくなると外の景色は完全に固定される。自分以外に感じる動きは太陽光だけ。場所の感覚が薄まって行く。
2020年10月7日(水)
初めての雨。雨粒が窓ガラスにぶつかり音を立てている。
目にした文章に江戸時代の船旅では東京から大阪まで約14日間かかった、とある。自分の隔離生活と同じ14日間だが、移動中であれば過ぎ行く景色を目に出来るのにと、1部屋に固定された自分の14日間が劣って感じる。
就寝前にシャワーを浴びようとしたら、いくら待っても水が温かくならない。フロントに電話をかけると、太陽光発電でお湯を沸かしているので、雨天の今日は湯沸しエネルギーが少なく次に蓄電されるまで水しか出ないと平謝りされる。仕方なく水シャワーを済ませる。冷たく濡れた髪が惨め。
2020年10月8日(木)
昨晩シャワーからお湯が出なくなった旨を電話会議のついでに同僚にこぼすと「ゴキブリやネズミが出るよりマシでしょう!」と笑い飛ばされる。咄嗟に冗談で返すことが出来ず沈黙してしまい、自分の心の余裕のなさに不安を覚える。改めて考えてみると、水シャワーでも平気な気温だし、お湯が出ないことは気にしなくて良いのだと頭を整理した。
インスタグラムを眺めていたらショーン・グラスという知人の投稿を発見。自身が監督した短編映画が今年のAFI Fest、米国映画協会映画祭(10/15〜22 オンライン開催)に選出されたという。「いいね」を押すと程なくDMで「送るから見てよ!」と連絡が来たので快諾。
届いた作品は『A 1984 Period Piece in Present Day』(米国、17分)。舞台はアメリカの田舎に立つモーテル。物語は夜更けに大きなスーツケースを抱えた男女がチェックインするところから始まる。2人が部屋でテレビをつけると古いドラマが映り、それは男性(監督が出演)が幼い頃に見て憧れ妄想を広げた作品だった。しかし改めて見ると男性の記憶と全く違う内容だったことが分かり、気不味い空気が漂う。
作品全体がホラー仕立て。昔は社会的に問題なかった映像描写が現在では許容されなくなったものの、時代の変化を素直に受け入れられない人物が不気味なキャラクラーとして描かれる設定が賢いと思い、監督に感想を送った。
すると監督から「いや、分かりにくいかもしれないけど、昔のドラマでも許容されない行動として描かれていたと思う。時代の変遷というよりは、個人が幼くて見過ごしてしまった『過ち』に気付く様子を描いたつもり」と返事が来た。見直してみると、どうやら私は1度目の鑑賞の際、最近見聞きした米国社会ニュースを色眼鏡としてかけてしまっていたようだ。映画は社会・時事問題を扱うと決まったものではないのに。自分が人と直接会話する機会が減り、言葉を素直に受け取る力が衰えているのではないかと危機感を抱く。監督とDMを何往復かして作品に関する個人Q&Aをしてもらう。
監督とは昨夏ロカルノ映画祭で『パラサイト 半地下の家族』鑑賞時に隣に座ったことから知り合った。終映後に作品の感想を述べ合うと、監督は私と全く違う視点から見ており、直ちに見返したくなった。1年以上経って、再び映画について会話が出来たことが純粋に嬉しい。そして異国の映画祭/映画館への旅路と、そこでの物語と人との出会いを恋しく思う。