RANDOM DIARY:COVID-19 カイオンザマイク

コロナウィルスが存在する世界で暮らす一週間。
失くした指輪と一匹の蜘蛛。
ターンテーブルの上のリモートワーク。
土曜日の馬事公苑。秋が始まる。

2020年9月27日(日)

失くしていた結婚指輪が見つかった。
僕は普段家では指輪をしない。外出時だけしているので、すぐ付けられるように玄関の棚の上に置いていた。
コロナで会社通勤がなくなった。家庭内で感染した場合のリスクが大きい事情を抱えているため、日々の対策も徹底している。なので買い出しくらいしか外に出る機会もない。そうなると指輪をすることはほとんどなく、大抵は所定の場所に置いていた。
それなのに1ヶ月ほど前のある日、気づいたら失くしてしまっていたのである。

この件があってから数日間、家の雰囲気がとても悪かった。家中の思い当たる場所を全て片付けて、家具や棚の裏や下、機材の周辺、衣服のポケット等を何度も探した。それでも出てくることはなかった。
もう忘れた頃にでも、例えば今後引越しすることがあればそのときにでも出てくるのではないか。それでも出てこなければ何かの拍子にゴミ箱にインしてそのまま廃棄してしまったか、または排水口に流れてしまったか…という最悪のパターンも覚悟していた。

それが今日昼食後にテレビを見ながらふと窓の方へ目をやると、見覚えのある金属の輪っかがキッチン家電用のラックの支柱てっぺんに引っかかっているのが視界に入った。
あれっ、と思ってよく見ると失くした指輪だった。
そのラックには電子レンジも炊飯器も電気ケトルも置かれている。要は毎日使うものが置かれている。それなのに1ヶ月もの間気付かず、指輪は支柱に引っかかりっぱなしになっていたのだ。おそらく先月友人とZoom飲みをしたときに、家の中でも付けていたのをそれとなく外して、うっかり支柱にひっかけてそのままにしてしまったんだろう。全て無意識のうちに。
思わず「おおおおお」と大きめの声が出てすぐ妻に報告して、思わず抱き合った。妻は泣いた。


 
2020年9月28日(月)

8時前に起きてすぐ始業。 ここ数日雨が続いたりどんよりしていた空が今日は雲ひとつない晴天。絶好の洗濯日和だ!と仕事の合間に二回洗濯機を回した。

僕の職場は2月後半から早々にリモートワークに切り替わって、もう7ヶ月以上経つ。その間一度も出社していない。webマーケ関連の仕事で今のところ大きな支障もなく毎日業務を淡々とこなしている。
我が家にはオフィスワーク用のイスがなく、リモートワーク開始当初は適当に家にあったイスに座って仕事をしていた。だけど長時間座っているとだんだん腰に来たので、今はターンテーブルの上にカバーを乗せて、その上にPCを置いて立ちながら仕事をしている。あまり設備が整ってないクラブでPCでDJするときみたいな感じだ。でも立っているだけでなんとなく運動不足が解消されている気がするし、昼食後も眠くならないのが良い。あと、まだ外で履けていない新品のスニーカーを履いて仕事するときもある。

今の働き方は、仕事をしながら家のことをできる点でとても便利だ。急な雨でも洗濯物を取り込めたり。バレなければ二度寝もできる。
あと通勤時間分(とは言っても片道30分くらいだけど)、睡眠時間も確保できた。ただその分通勤時に見ていたSNSを見る時間は減った。それに加えて、感染予防のために屋内のイベントや飲み会にも行かないようにしているので、友人との接点が今は本当に減っていると思う。

仕事の後は夕飯を食べてTOEICの勉強。
今の職場も転職して3年が経ち、そろそろ次を考えていた。でも今はコロナ影響で自分の条件に合った求人が減っていて、時期ではないと判断。それならばなるべく現職でのキャリアアップを、と考えて最近TOEICの勉強を始めた。
付属高上がりで大学受験を経験しなかった僕の英語力の低さには目を見張るものがある。特に語彙は目を背けたくなるものがある。
例えば、”ugly”と”agree”と”angry”の区別もつかなかった僕は、かの海外ドラマ『アグリーベティ』も「怒りのベティ」か「ベティに同意」だと思っていたくらいだ。他にも、”aware”を「哀れ」と読んでいたり、”クロージングパーティ”といえば「服屋のパーティー」だと思っていたり。語彙力のなさ故に新しく覚える英単語の多さよ。
ただ、学生の時にはあんなに苦痛だった勉強が今ではちょっと楽しい。理解力や探究心も多分今の方がある。だけど暗記力や処理能力だけは学生の時より明らかに衰えているのを感じる。

寝る前に杉田水脈議員の発言撤回・謝罪・辞職を求める運動に署名。性暴力被害者に外から石を投げるような行為を絶対許してはいけない。


 
2020年9月29日(火)

家の中で蜘蛛を何匹か放し飼いにしている。
僕の家はレコードと本と服の量が普通の人より多いので、もしかしたらそういう害虫がいるかもしれない。だとしたらそれを食べてくれる蜘蛛は我が家にとって益虫だ。実際に小さな虫を捕食しているところを偶然見られたときは興奮した。あと蜘蛛は人の食べ物や植物には手を出さない。人に攻撃することもない。完全に利害が一致している。
家にいる時間が増えたせいか季節柄か、蜘蛛を見かける機会も増えて、なんだか愛着が湧いてしまった。おそらく何度かの世代交代サイクルを経て今、数匹いる中でも全長1.5cmくらいの大きめの個体が三匹いて、適当に名前をつけて愛でている。
そのうちの一匹と今日は別れがあった。

今日は昼過ぎ少し寒かった。換気のために開けっ放していた窓を閉めようとした時、網戸の内側にその一匹がくっついていた。
このまま窓を締めたら、この蜘蛛は窓と網戸に挟まれて身動きが取れなくなってしまう。もしかしたら外に出たくて網戸にくっついている可能性もある。なので、すぐに窓を閉めず一度網戸を開けて、ウチに残るか外に出るかどっちかなと眺めていたら、あっさり外に出ていってしまった。
あれだけ大きかったからきっと我が家にいた害虫をたくさん食べてくれたに違いない。ベランダに出た蜘蛛を見届けて、「ありがとう。外の世界でもお元気で。」と最後に心の中で声をかけてから窓を閉めた。

夕飯は今季初めての秋刀魚だった。スーパーに行くと秋刀魚ってこんなに高かったっけ?!とびっくりする。ちょっと前まで目黒ではタダで配っていたというのに。
逆に昔は高級品だったのに今は安くなった魚もあるんだろうか。


 
2020年9月30日(水)

9月最終日は雲一つない爽やかな秋晴れ。
湿度も低く、夏場からずっと加湿タンクを空にしていた空気清浄機の湿度センサーが、タンクに給水しろと点灯するくらいには乾燥している。

昼休みと夕飯前の時間に『水は海に向かって流れる』3巻を読んだ。これ以上は考えられない爽やかな完結と読後感。
複雑な人間模様や登場人物一人一人の心の機微が、シンプルな絵と普遍的なセリフで細やかに描かれていて、読み進めるたびに身を預けた空のバスタブに適温の湯をなみなみに注がれているような、なんとも心地良い気持ちになった。

良し悪しではなく好みとして、不特定多数の感情の最大公約数的な部分へダイレクトに刺さるような所謂「エモい」表現とは真逆の、受け手に想像力の余白と感受性の自由を淡々と与えてくれるような表現が僕は好きだ。そこに一貫した強さが感じられたらなお好きだ。個人的に『あまちゃん』以降の朝ドラで最高傑作だった『スカーレット』が今思えばそれだった。
若い世代のSNS普及で「拡散」行為や「バズる」事象が一般的になって以降、音楽も映画もテレビもエモ表現を瞬間風速的にブーストする流れがメインストリームにあるように感じる。分かりやすいからか、みんなが同じような感想を共有しやすいし、一体感を手軽に得られるし、その場その場で日々消費しやすいのだろうけど、個人的には後に残るものが少ないし、消費スピードにも疲れてしまうし、それって無粋だなぁと感じてしまうことが多い。各々が違う感じ方の出来るものの方が面白いのになと思う。
トレンドや時代性、その刹那的な点では考察しがいがあるし興味深いところもあるなとも思うけれど。

そういえば世の中のいろんなブースト傾向やインスタント化に関連して、今やコンビニのお酒売り場の半分を占めている缶チューハイのストロング化にもちょっとした恐ろしさを感じている。手軽に酔える、つまり快楽を得られる安価な強アルコールで、持つものが持たざるものを搾取する構造というかなんというか。そこまで行くと考えすぎだろうか。

あとこれはもはや全然関係ないけど、カントリーマアムだけは年々どんどん小さくなっているのはなんなんだろうか。そのうちブルボンプチシリーズくらいのサイズになってしまうんじゃないか。


 
2020年10月1日(木)

昨日から仕事用PCの調子が悪かったので急遽出社。約7ヶ月ぶりに会社へ。
会社内は閑散としていて、コロナ前は毎朝人でごった返していたエレベーターホールもがらんとしていた。あのときは今みたいに仕事が家でも出来てしまうなんて思わなかったし、今思うとあんなエレベーター待ちの行列まで作ってみんな同じ時間に出勤する必要なんてなかったんだなと、パラダイムシフトのビフォーアフターを目の当たりにした。

コロナ以前はずっと毎日電車通勤だった。けど感染予防のために今は電車に乗ることもなんとなく憚られ、初めて自転車で行ってみた。降るかなと思っていた雨も降らなくてよかった。
電車だとやや遠回りルートで約30分かかっていたのに対して、自転車だとほぼ一本道で往路は下り坂が多く20分強しかかからなかった。復路も登り坂が多くても25分弱しかかからなかった。ただ、駐輪場が無料になるのが3時間までなのでコロナ明けはまた電車に戻るだろう。

家と会社の間を少し外れたところに実家がある。ベランダから見えるところまで少し顔を出そうかと思ったけど、所要時間を計りたかったので結局スルーしてしまった。
8月の末に兄夫婦に子供が生まれたことで、両親もついにじいさんばあさんになった。義姉が里帰り出産で今も遠方にいるのでまだ初孫には会えていないようだけど、誰かの祖父母になった両親をちょっと見てみたかったな。


 
2020年10月2日(金)

金曜日。
コロナ以前は金曜か土曜の夜にはクラブやバーへしばしば行っていた。それが4月の緊急事態宣言以降、そういったところには一切行かなくなってしまった。クラブやバーに限らず、ライブハウスや展示や居酒屋にも行っていない。とてもありがたいことにDJのオファーもいくつかいただいたけど、それも全て丁重にお断りした。
僕は生活のために音楽活動をしている立場ではない。音楽活動は趣味の範囲を超えたライフワークで生業ではないから、生活や家庭のことを考えると感染リスクを伴うものは今の自分には不要不急なものと判断せざるを得なかった。
それならこういう時こそ家でも出来る制作作業を、と思ってはみたものの実際なかなかそういう気分にもなれない。元々アウトプットが多い方ではないけどMixを一本録って出したのが限界だった。iPhoneアプリを使ったトラック作りにもすぐ飽きてしまった。
最近ではSNSで友人がクラブでDJしたり遊んでいるのをよく目にするようになった。楽しそうだし羨ましいと思う反面、自分にはちょっとまだ無理かなと引いてしまうところもある。もちろん遊びに行くひとはよく考えた上での判断で行動していると思うし、職業DJやお店の人は生活がかかっている。みな各々の事情がある。
人の事情なんて他者が知ったところでどうにもならないことがほとんどだ。でも人の事情を慮ろうともしないのは単純に思いやりがないと思う。「あなたは一人じゃない」とよくもまあ言うけど、人間は一人だ。それぞれの判断が尊重される寛容さがこの世の中にもっとあってほしい。

トランプ大統領がコロナ感染したというニュース。本人の意識の問題もあるのかもしれないけど、物理的にも立場的にもあれだけガッチリ守られている人でもかかってしまうんだなと思った。コロナはアメリカ社会より平等なんじゃないか。
個人的にトランプに対してはアンチでいるものの、次の大統領選で負ける姿を見たいので重症化しないといいなと思ったり。身を持ってコロナの危険性を知って、その経験が今後のアメリカの、そして世界の感染対策に良い影響を及ぼせたらそれが一番いいなと思ったり。まあでも期待は全くしてない。


 
2020年10月3日(土)

妻の誕生日。
久々に少し遠出したかったけど、近所に出かけることになり、ずっと工事中だった馬事公苑の一部開放を見に行った。
ここは実家からも近く、子供の頃から馴染みの場所だった。春は花見をしたり、夏は祭に行ったり。毎年恒例だったふるさと区民まつりで、2014年に小野リサさんの野外コンサートを観に行ったのが最後か。
その馬事公苑も4年前に大規模工事が始まって休苑してからは中に入れなくなり、今は工事が終わった一部だけを開放している。2022年再開なのでまだ工事途中なのが見て取れたけど、そんな途中の状態で今年は東京五輪の馬術競技を開催しようとしていたなんて、平和の祭典のグダグダっぷりに呆れる。
道すがら漂っていた匂いが金木犀の匂いだということを妻が教えてくれた。「金木犀の香る頃」と言われても正直ピンと来なかったけど、これが金木犀の香りだったのかと初めて香りと名前が一致した。

夜は久しぶりに外食をした。外食は7月の自分の誕生日以来だ。
我が家は家庭内でコロナ感染するリスクが大きい事情を抱えているため、感染対策には人一倍慎重になっていて、人が集まる屋内に入ることや公共交通機関の利用を最大限避けてきた。なので友人と飲むときも専らZoomを使わせてもらっている。
そんな中での外食はちょっとした不安とドキドキがあったけど、マッシュルームのガーリックオイルのアヒージョがとても美味しかった。(在宅勤務になってよかったことの一つに、翌日の仕事を気にせずにニンニク臭いものを食べまくれることがある。明日は日曜日だけど。)

毎年、妻の誕生日までは半袖を着られる時期が続いていて、その日を境に季節が変わる気がする。今年は梅雨明けも遅く残暑もあっけない短期集中型の猛暑だった。でもなんやかんや今日も少し暖かった。なので自分の中では今日がコロナの夏の終わりで明日からコロナの秋が始まる。秋はこれといったイベント事もないけど、暑くもなく寒くもなく花粉もなく、一年の中で一番快適で好きな季節だ。