RANDOM DIARY:COVID-19 井出武尊

コロナウィルスが存在する世界で暮らす一週間。
再開された幼稚園と午後の密会。
子どもの遊び。大人の遊び。
東京。飛騨高山。現代における体力とは。

2020年9月2日(水)

4歳になる娘は自分の通う幼稚園のことを「小学校」と呼んでいる。3歳になる年まで保育園に通っていたから、転園する際に進級したような誇らしさがあったらしく、保育園は赤ちゃんの通うところ、という風に誤認している。

その幼稚園は2月の後半から2週間の春休みがあったのだが、春休みは明けることなく、新型コロナウィルス感染症の拡大防止のため、臨時休園に入った。ほぼ臨時休園のまま7月には夏休みに突入。6月に数回の登園日があった程度だから、約半年の長い長いお休みとなってしまった。

そんなお休みが今日、やっと終わった。

長いお休みの最初のうちには、色々と心配をしたのを覚えている。子どもは集団の中で成長するものだと考えていたので、ほぼ家族のみで生活することに多少の不安があった。自分の言うことばかりを聞いてくれない、友人の存在がないことの不安は大きかった。

これは異例の事態だな、などと考えていたのだけど、よくよく考えてみたら、僕にとっては初めての子育てであり、異例の事態も何もない。子育て自体が僕にとっては例のない出来事なのだから、どんな状況であれ一人ひとりの子どもにとって、人生そのものが異例の事態だとも言える。不安になるのは直感的なものというよりも、経験に裏打ちされたものなのだろう。

久しぶりの登園はなかなか緊張感がある。意を決したように自ら率先して朝の支度をする4歳の姿にキュンとする(実子)。通園のバスに乗せるため、自転車で家を出る。くだらない話をしながらバス停に着くと、そこにはすでにたくさんの見慣れた、でも久しぶりな顔。

バスは定時に出発。車内から手を振る子どもを見送る親たちはバスが見えなくなったと同時に、歓声が上がる。「自由だ〜!」みたいな感じ。思っていることは皆一緒。

かと言って、一日の生活が大きく変わるものでもない。やることは一緒。自宅にて仕事に取り掛かる。この半年は子どもと過ごす時間と、仕事の時間のせめぎ合いが日常的になっていたが、それがなくなった。かと言って生産性が極端に上がるものでもないのは、いささか残念。

水曜日は娘の帰宅が早い。13時半には帰ってきてしまう。仕事を少しして、オンラインの打ち合わせを1件こなしたところで、昼食の時間がなくなり慌ててカップ焼きそばを食べる。そしてお迎えのために家を出るのだが、こうなるともう1日は終わったような感じ。

子どもを迎え、久々の幼稚園の様子を聞き、遊び(ここ結構長い)、夕食を食べ、風呂、歯磨き、寝る…。

で21時すぎからまた仕事。夜に仕事をする習慣はもともとあったけど、子どもがずっと家にいるこの半年でこれまで以上に、夜の仕事の比重が大きくなった。慢性的な寝不足でもある。


 
2020年9月3日(木)

娘は今日も幼稚園に行く。毎日通うのが当たり前のことではなくなったようだけど、元々は毎日通っていた。

この日は人に会う用事が3件。午前中は保育園の経営をしている知人と打ち合わせ。この人は経営者であると同時に、園長先生としてご自身も現場にいるから大忙しだろう。この保育園はアート教育に力を入れている。教育というのは継続している必要があり、イベントと異なるのはそこが大きい。

3年前に建物を新設した際、園内にアートギャラリーと、アーティストが滞在し制作をすることができるアトリエを設置している。これをもってして初めて教育としての継続がうまれるという話を伺う。保育園と言うフォーマットではないが、僕がいつかやりたいと考えていることの一つだ。だから、と言うわけでもないが話は大いに盛り上がり一緒に何かしましょうと言うことで合意。今は個人が発信できるプラットフォームがたくさん存在するから、この手の「何かやりましょう!」の実現可能性は極めて高い。

午後は東京芸術大学で講師をしている人と、臨床心理士と3人で雑談。会議といえば会議だが、ゴールを定めていないから雑談。今は奨励されない密会とも言える。改めて思うが、オンラインでは複数人の雑談は結構テクニックがいる。目的のない話をするには対面はやはり望ましい。

芸大の先生というのはそのほとんどの人が副業だ。アーティストやその周辺で活動する研究者などが先生をしているというケースが多い。アートをいかにして学ぶのかという問いを立ててみれば、先生という専門家が存在しえないことは明白だ。

話は変わるけど、飛騨高山で宿を営む知人と一緒に、新しい観光について考えている。3月以降、観光産業は悲惨だ。僕の場合は、観光といっても名物を見たいわけでもなく、日常を離れたその土地で生活をしたいという気持ちが強い。つまり観光を非日常ではなく日常の延長線上におきたい。

そんなこともあって、この日は田舎にアートは存在するのか?成果を求めないアーティストインレジデンスは可能か?精神疾患のコミュニティケアとアートプラクティスについて、そんなことをいろいろ話した。

そのまま新宿3丁目で食事をしたのだけど、多くの店が屋外にテーブルを並べていた。皆が外で飲み食いしている様は、暑さと湿度の高さも手伝って、どことなく東南アジアの夜を思わせる。


 
2020年9月4日(金)

娘は今日も幼稚園。僕も今日は事務所に。通勤とは何なのだろうか?会社でしかできない仕事であればもちろん必要なのだが、どこでもできる仕事も多い。

結局のところ、仕事とは時間の売買として捉えられているケースは少なくないのだろう。従業員は会社にいる「時間」を雇い主と売買しているのだ、と考えながら電車で移動した。

夕方、娘を迎えに行く。幼稚園が再開して3日目。毎日うまくいっているようで、帰宅時の顔が明るい。久しぶりの友人と遊び、おしゃべりをして、歌って踊って過ごしているのだろう。

娘の就寝後、改めて仕事を始める。自宅の方がはるかに捗る。自宅が仕事に向いている環境ということではない。カフェ含めいろんな場所で仕事ができることが僕には向いている。

集中の質って人によると思う。子どもを見ているとよくわかるが、じっくり一つのことを何時間もやる子どもがいれば、同じ時間の間に、いくつものことを速射砲のようにやっていく子どももいる。どちらが良いということではなく、タイプが異なるということ。

僕はどちらかと言えば後者の子どもに近いタイプなのだろう。だからじーっと椅子に座っているよりは、家の中でもいろんな場所で仕事をする。その方がいい。


 
2020年9月5日(土)

4月以降、毎週土曜日の夜はオンラインで対談企画の配信を行っている。

元は緊急事態宣言下、家で過ごす中で何か面白いことはないだろうか?と始めたもの。正確には担ぎ出された感じも強いのだけど。

4月から毎週やっているので、すでに20回を超えるくらいになってきている。

この日は、普段オープンにやっている配信を、一部の人向けにややクローズドで配信。通常はMC2人にゲストを招いてやっているので、MCの2人だけで振り返りやら、ちょっと言いづらい話、視聴されている方との質疑応答などを行う。

配信のためにスタジオがわりにホテルを1室借りた。ホテルもニーズを多様化させないといけない。友人が設計した新宿にあるホステルがノマドエンジニアたちのたまり場のようになって活性化しているという話も聞く。滞在が目的ではなく、いわば居場所とか集会場のようなものなのだろう。人の集まるところには情報も集まる。

僕がやっているオンライン対談の配信は、大人の遊びだと捉えている。ホステルに集うエンジニアたちも、遊んでいる感覚なのだろうなと想像している。

しかし自分がYoutubeの配信を行うなどとは4月以前には、考えていなかったこと。何が起こるかわからないものだ。


 
2020年9月6日(日)

近所に住む義母が地方移住を検討していて、家の目星もつけているというので、ドライブ感覚で家族みんなでついて行く。都内から車で2時間くらいの場所。

義母が身近にいてくれることはもちろんありがたい。でも田舎にいてくれるのならば、それはそれで遊びに行く場所ができて嬉しい。

どうでもいいのだけど、フランス語を学んでいるのだけど、フランス語で義母はbelle-mèreという。直訳すると美しき母。上手いこと言うフランス人。

美しき母が目星をつけていた家は、思ったより街区にあって、想像していた「地方」とは違う場所でした。山中の別荘地みたいなのを想像していた。

昼食には不動産屋に聞いた美味しい蕎麦屋に向かうも、長蛇の列で断念。代わりに入ったピッツェリアがとても美味しかったので満足。

昨年末に車が故障したのを機に手放し、今はカーシェアリングを利用しているのだけど、このところ車が欲しいと思うことが増えてきた。パッと思いついたらすぐに移動できるという、モビリティの高さはよかったなと思う。

子どもの遊び場といえば、室内の遊び場が主流になった今日に、公園が大変混み合っている状況にも似ている。ちょっとだけ復権主義的な感じ。


 
2020年9月7日(月)

娘は今日も幼稚園。週明けの月曜日。あまりにも久しぶりの登園からすぐに休日を挟んでしまったためだろうか、「行きたくない」とぐずぐずしている。約半年の長い期間をほぼ、家族と過ごしていたわけだから、仕方のないことだろう。同時に、先週の楽しそうな姿はなんだったのだろうかと疑問も感じなくはない。親に心配かけまいとしているのだとしたらどうしよう。

インターナショナルスクールなので、9月は進級シーズンにあたる。娘のクラスは異年齢学級だから3〜5歳が同じクラスで過ごしている。9月にはクラスの1/3が小学校に上がり、1/3が新たに入ってくる。新型コロナウィルス感染症の影響で、外国籍の先生たちは出入りが激しい。4歳児にとっては慣れたクラスというよりも、新しい環境と言った方がいいくらいの大きな変化だ。

そんなわけで朝からぐずぐず。毎年9月はこうなる。

よほどの理由がない限り、幼稚園は行った方がいいと考えている。幼稚園にいくことが大切なのではなくて、気分次第でサボるという習慣はよくないと思っているということ。

ただし、この場合の娘の行きたくない理由は、本人にとっては“よほど”の理由なのであって、その点では無理やり連れていくことには抵抗がある。

彼女は幼稚園が嫌いなわけではない。楽しく過ごしたいという気持ちはある。ただ、新しい環境に慣れるのには時間がかかる。その葛藤の中で気持ちは「行きたくない」に傾いてしまう。そんな4歳の小さな心の揺れに対して、親は何をしてあげられるだろうか。

できることなら、できるだけ叱るのではなく、本人の気持ちが前に向くのを手伝いたい。願わくばそれを通園バスが出発するまでのわずかな時間のうちに。

そんな願いも叶うことなく、ようやく前を向いて家を出られた時には、バスはとうに行ってしまった。車で行くという選択肢もあるが、本人の希望で電車で行くことに。

郊外に向かう電車だから朝とはいえ空いているので、幼稚園のある駅に着くまでの間、座ってゆっくり他愛もない話をした。楽しそうに過ごすものの、駅から幼稚園に歩く途中で再びぐずついた。

教室の前でちょうど外遊びから帰ってきた先生とクラスメイトに会う。この時点で娘は大泣きして僕の足にしがみついている。先生がひっぺがしてなんとか登園完了。少し心が痛む。

それでも帰ってくる時には笑顔で帰ってくる。幼稚園で過ごす時間が全て楽しかったわけではないだろうけれど、明日も幼稚園に行くことを受け入れている様子だから、子どもといえど色々考え、行動しているのだ、きっと。

小さな子どもの脳は、背が伸びるのと同じ様に日々成長している。大人の脳とは訳が違う。だから1日の体験の濃さも比べ物にならない。朝と夕方ではもう別の人になっているんじゃないかと思うことだってある。

食事が体をつくる様に、外的要因が心をつくるのだろうな。子どもの心は未熟なものだから、可能な限り寄り添っていたいと改めて思った。


 
2020年9月8日(火)

娘は今日も幼稚園。昨日同様に朝はぐずぐずしているが割愛。

この日は飛騨高山に移動。仕事と呼んでいいのか、遊びと言うべきなのか難しいのだけど、このところ定期的に訪ねている。ここに子どもはもちろん、大人も遊べる場所を作り出そうとしているのだ。ちなみに、飛騨高山は、飛騨市と高山市と言う異なる2つの自治体がある。

田舎に自分の居場所を作り、そこに地域の人も外の人も出入りができて、畑を耕し、そこで採れたものを自分たちで頂く。子どもは森で遊び、自分たちの遊び場を作る。大人にとっては畑を耕すことが遊びになる。そんなことがやりたい。

実現したいことのもう1つに、子どもが表現遊びを存分に、毎日でもできる場所をつくる。ということがあるのだけど、それを考えるうちに、特に都会で暮らす場合には、大人も遊びが足りないのではないかと思うようになった。

遊ぶということは、インプットとアウトプットの循環があって初めて成り立つものだと考えてる。例えば、パチンコなどは遊びの様でありながら、消費活動のみなので、ここでは遊びとは言わない。古い例えだけど、連句というものは人の句を聞き、自分の句を謳うということで、循環が生まれる。故に「遊び」だったのではないかと思っている。

畑を耕して、そこで採れたものを頂くということは、その象徴的な行為だと思っている。村づくりに挑戦!とも言える。

目下の悩みはいかにして事業化するかということ。本質的な悩み。何事も継続するためには体力を要する。現代においてはお金は体力だ。

ところで、高山は遠い。東京からだと電車、バス、車、どれで行っても4〜5時間かかる。知人と一緒の今回は車で向かう。松本で中央道を降りるはずが、行きすぎて伊那のあたりで降りる。朝9時に出て渋滞があったことも手伝って目的地に着いたのは夕方4時ごろ。のんびりにもほどがある。