『東京画』 ヴィム・ヴェンダース監督(1985年)

『東京画』 ヴィム・ヴェンダース監督(1985年)

 小津安二郎は多くの映画人にとって、特別な存在なんだろうと思う。映画に関してはまったくの素人だが、それくらいは感じ取れる。

 『東京画』は、ヴェンダースの小津を巡る旅である。それは同時に東京を巡る旅でもあった。おそらく小津安二郎、あるいは小津作品というものは東京という土壌なくして誕生しえなかったのだろうと思う。映画全編を通して、小津への探究心とともに、好奇心の対象、奇異なものとしての東京が映し出される。僕のこの映画への興味はどちらかと言えば、この奇異な眼差しが向けられ、映し出される東京という都市にある。

 この映画とほぼ同世代の僕にとっては、いわば古いアルバムを開くような、そんな知っているようで知らない東京の風景が面白い。

 家族に近いものかもしれなくて、いつの間にか母親は老人になっているのだが、子どもはそれに気づけない。緩やかに変化する中に身を置いていると気づけないことがたくさんある。都市の変化も似たようなものだ。東京にはカメラを向けられて恥ずかしそうに目をそらす人はもういない。暗闇も消えたし、パチンコ屋の喧騒もひっそりと影を潜め、ゴールデン街にいたっては随分と健全な雰囲気を漂わせている。

 そんなことを薄ぼんやりと考えながら、ふとした興味が湧いた。僕はmemorandomのデザインを担当しているのだが、このウェブマガジンの編集者二人は東京という都市との関わりにおいて、まるで対局にあるような二人だと思っている。そんな二人がこの映画をどう論ずるのか。今度聞いてみよう。

 ところで、ドキュメンタリーというのは、本物にはなりえない。冒頭でヴェンダースは曖昧な記憶の記述から、カメラを回していなければ、もっと覚えていたはずだと語る。記録することと記憶することは同時にできない。それならば、どうしてピナ・バウシュの活動の記録に、ここぞとばかりに3Dなんぞに手を出したのだろう?所詮すべてはスクリーンに投影されているにすぎないというのに。

tokyoga