開けても第一ボタンまで 第3回

第三回 ラルフローレンのBIG SHIRT

 先日、息子が一歳になった。記念に家族写真を撮った。普通にスタジオでかっちりしたものを撮影するのも悪くなかったけど、我が家の日常っぽくしたかったので近所の植物公園でフォトグラファーを生業とする先輩DJに撮ってもらった。
 さてシャツは何を着よう。大きな父親像を出せないかなと、手持ちのシャツの中でも一番デカいラルフローレンのBIG SHIRTを着た。

 このBIG SHIRT、通称ではなく、首裏のタグに書かれている正式な商品名で、その名に偽りのないビッグサイズ。特に身幅は、普通の人なら二人羽織が出来そうなくらいデカい。かといって袖は長すぎず、今時のオーバーサイズもののように着丈が短くもなく、肩も落ちすぎずダラっとした感じにならない。デカい人がデカく着るのにちょうどいい。
 手持ちのものは全て90年代の古着なのだけど、きっと当時アメリカで、ビッグマックや分厚いステーキを毎日ドカ食いするようなスーパーサイズガイでもおしゃれできるように作られたのだろう。

 あと、このシャツの好きなところは、ラルフローレンのプレーンなシャツには胸ポケの無いものが多い中、左胸にポケットが付いていること。
 非喫煙者なので常に収めるものがあるわけでもないけれど、あるとなんとなく収まりがいいなくらいに思っていたら、最近外食や散髪の時にはずしたマスクをサッとしまえる利点に気づいてしまった。これが本当に便利。
 ということもあって、胸ポケの無いシャツはもう買わなくていいやという気すらしている。

 加えてラルフならではのアメリカっぽいラフさと上品さのバランスが、肩肘張らず着るにはちょうどいい。なので着られるシチュエーションも幅広い。TPO的にはTシャツやスウェットでもいいんだけどなんとなくシャツを着たい時にも、そこまできちんとした格好でなくてもいい仕事の時にも。冬には部屋の中がちょっと肌寒い時に、コール天のものをスウェットやニットの上から羽織ったりもした。
 ちなみに先日の家族写真の撮影の時は、白無地のものにベンデイビスのゴリラカットというこれまた名前の通り、バカみたいにぶっとい土管ズボンの九部丈直ししたものを合わせた。

 この先、デカい(服を着る)父親像を出したい時にはきっとこのシャツを着るのだろう。
 だいたい大きな服を着ることが自分を大きく見せることになるのか、よくよく考えたら謎ではあるけれど、というかむしろ発想が安易だなと思う自分もいつつ、いつか息子が大きくなった時に「親父はやたら服がデカかった」と記憶に残ってくれてたら別にもうそれでいいやという気もしている。なぜ過去の人にされているのかはさておき。「大きいことはいいことだ」と昔の人もCMで歌ってたことだし。

 そういえば、デカい服好きなら多くが経験しているであろう、季節の変わり目に衣替えで半年ぶりに袖を通した服が「あれ?この服こんなに小さかったっけ…」となる現象。そしてその繰り返しで年々サイズアップしてしまうデカ服インフレ(今名付けた)。
 久々に着る服に感じるサイズの物足りなさ。あれは本当に何なのだろう。去年はあんなに大きいと思って着ていたのに。着ていない間に衣類って勝手に縮むのかな…と真剣に考えたことがあるくらい。
 だけどズボンが入らなくなったとき、ようやく人は真実に直面して、それを受け入れざるを得なくなる。当たり前だけど服は勝手には縮んでなんかいなくて、緩いサイズ感に気も緩んだ人間のほうが無自覚に膨らんでいるだけだったのだ。痩せよう。