開けても第一ボタンまで

第一回 コムデギャルソン

 歳を重ねるにつれて、シャツを着るということには何かしらの意味が付いてくるように思う。
 例えば「襟付きの服を着用で」なんて指定を受けることがあったり、指定とまでいかずともそういう局面だなと自己判断で着ることもあったり。
 TPOや礼儀というのもあるけれど、僕の場合は粛々と自分の心身を整えるため、というのが大きい。「襟を正す」という言葉のように。

 そんな風にシャツを着るとき、僕の中にはちょっとした決まりごとがある。
服なんて好きに着たらいい。けど少しくらいは自分の中でこだわりを持ったりルールを決めたりして着た方が楽しいし、そんなことでも続けていれば細やかな美意識だって身につくと思う。

 僕のルールは三つ。
 まず、サイズは思い切って大きいものを。
 こればっかりはバックボーンと体型に因るものか。ファッションに興味を持った当時は90年代末だったことや、海外のラッパーやDJの着こなしが手本だったこともあって、服は大きくてナンボだと思っていた。
 20歳を過ぎ運動もしなくなり筋肉も落ちて痩せていた頃には、当時の流行で細めの服も着たけど、年月を経て流行は廃れ、同時に身体はみるみる膨張していき、また着慣れた大きいサイズに落ち着いてしまった。あのときの細い服はもう一着も残っていない。

 二つ目、前ボタンは全て閉める。開けても第一ボタンまで。大きいシャツという時点でかっちりとは見えないので、せめてだらしなくならないように。暗い色の物や両胸にフラップポケットの付いた物であれば、それ以上開けるときは全部開けてジャケット代わりに羽織る。
 中学や高校でワイシャツのボタンを第二第三まで開けてるやつらがなんかイヤだったな。

 最後に、中には必ず丸首の白いインナーを。
 シャツのボタンを開けてちょいワルな素肌や体毛を覗かせるタイプの人がどうにも苦手だった。ボタンを開けても中に白い無地Tが少し覗いているととても安心する。

 そんな自分ルールの中で一番しっくり来るシャツが、コムデギャルソンのシャツラインの定番ワイドクラシック。
 大きくも小さくもない襟、ボタンの配置、ちょうどいい幅と絞りのカフス、大きいのに今風なオーバーサイズのわざとっぽさもだらしなさもない絶妙なパターン、何度洗ってもシワが少なくハリとツヤの変わらない超長綿の生地、空気を纏うような軽い着心地、フランスの工場のミシンによる精密なステッチの縫製。
 と、段々説明臭くなってしまったのも、実はコムデギャルソンには10年近く勤務していたことがあって、そのときからここのシャツに関しては全てが完璧だという自信があった。なので辞めた今でも(円満退社)、シャツだけは都度買い足している。

 それなりにちゃんとした服なので、人生の重要なシーンではいつもこのシャツが一張羅だった。友人の結婚パーティー、同棲を始める前のご両親への挨拶、結婚前の両家の顔合わせ、転職活動の面接、住宅ローンの契約などなど。
 たとえ二日酔いやオール明けであろうともこのシャツを着ているときは真人間でいられる気がする。そういう強さが、良いシャツ、良い洋服にはあると思う。

 もちろん、そんなに畏まらず何でもない日常の普段着にしたっていい。
 最終的には洗いざらしたこのシャツにディッキーズやレッドキャップのワークパンツを合わせるのが僕の究極だなーと、あるときからずっと思っていて、でもまだ今はもっと他の洋服も着たい年齢なので、実践するのは還暦くらいからでいいかなとも思っている。
 そんなときに備えて、新品をもう何枚か買い置きしておこうかと考えたりもするけど、そんなことをしなくても済むようにコムデギャルソンにはこの先何十年後も存続してほしいなと切に願う(ディッキーズやレッドキャップは心配しなくても多分大丈夫)。