美術館への行きかた。

第十五回 真似ることは学ぶこと

今年4月。世界中が stay home だった頃、ロサンゼルスにあるGetty MuseumがSNSを通じて、Getty museum challengeという挑戦を呼びかけた。

それは、自宅にある身近なものを用いてアート作品になりきろう、というものだった。

今や多くのアート作品がインターネットを通じて鑑賞することができる。この呼びかけは世界中の人々が自宅で過ごすことを強いられた時期に、ユニークな提案として受け入れられた。

Instagramで#gettymuseumchallengeを検索すると、およそ5万件近い投稿があり、思わず笑ってしまうような愉快なものから、本格的ななりきりまで、たくさんの挑戦を見ることができる。

当時は欧米を中心に、ステイホームの退屈しのぎのような、あるいは誰も訪れなくなった美術館が世界とのつながりを保つための手段のような、そんな様相を示していたが、一部の教育施設では、これを表現教育の自宅学習課題として採用していたのは興味深い。日本でも同様に、ごく少数ではありそうだが、幼稚園や小学校が採用していたのを見聞きした。

自宅での表現教育(いわゆる図工や美術の時間)というのは、設備や道具的な困難がつきまとう。学校にある特殊な道具や機材が使えないし、十分なスペースの確保が難しい場合もある。絵具などは学校に置いてあるという子どももいるだろう。そんな中でこのチャレンジは「容易に行える」という部分でも教育に向いていたと思う。

また、最終的には写真を撮影して提出するのだが、幼稚園等では、先生と保護者の連絡に、専用のアプリを使用するところがあり、そうした場合には子ども同士が提出作品を見合うこともできる。会うことのできないクラスメイトの、しかもコスプレめいた、おかしな姿を拝めるのだから、盛り上がったに違いないと想像する。

これはアートの教育における「鑑賞」の部分の学びの手法として、素晴らしいとさえ感じてしまった。

アート教育というと、表現することのテクニックの獲得と、情操教育的な部分に特化している傾向がある。事実、学校での図工や音楽の時間といえば、描く/作る/演奏する/歌うといった具合に、アウトプットばかりであり、しかもそれは「こうあるべき」という模範が常に示されている。しかし、アートを支える表現行為の根底にあるものは、表す(アウトプット)行為と、知る(インプット)行為の循環でだと僕は考えている。

知るというのは、よく観察するということ。Getty museum challenge にて、作品にそっくりにしようとすればするほど、その作品をよく観ることになる。さらに真似るという行為は様々な発見を与えてくれる。試しに僕もやってみた。僕がやったのはシュルレアリストの代表的な画家である、ルネ・マグリットの作品『人の子』と、光と影をドラマチックに操った画家、レンブラントの自画像だ。

マグリットの作品を真似ていて気づいたことは例えばこんなこと。
・ファッションは時代を反映しやすい。
・真っ赤なネクタイは描かれた人の内面を表しているのではないか?
(僕は真っ赤なネクタイは持っていないどころか買おうと思ったこともない)
・ボタンを全て閉めて直立する姿勢は、何かから自分を守ろうとしている様だ。
・りんごは鼻にくっつかない。シュルレアリスムってこういうこと?
・なぜ背景は曇天なのか。葛藤や苦悩を表しているのだろうか。

次にレンブラントの自画像を真似ても同様にいくつかのことに気づくのだが、特筆すべきはやはり照明効果だ。このはっきりとした明暗を演出するために、夜になるのを待った。自然光が入らない方が再現がしやすかった。考えてみれば、レンブラントの時代には電気はない。オイルランプによる照明だったはずだし、窓も現代に比べ小さかっただろうから、昼夜を問わず薄暗かったのではないだろうか。

そう言った時代背景があるのと同時に、レンブラントが描きたかったものはなんなのだろうか?と思いを馳せることになった。威厳だろうか、あるいは名声のようなものかもしれない。

というようなことは類推に過ぎないのだけど、そういった思考を巡らせることが「教育」という点では大切だと考えている。子どもと大人が一緒になって、気づいたこと、気になったことを、会話を通して共有し、自身の考えを相手に伝えるということが、将来の批評性に繋がるように思う。

批評性とは、否定することではない。批評とは「他者を知り、自身を見つめる」ような行為だと僕は考えている。そのためにはまずは「知る」能力は大切になる。

真似ることで学べることは何も芸術だけの話ではない。デザインも写真も料理やファッションも。真似ることは有効な学習方法だ。デザインを学んでいる時に、手元にあった雑誌の適当な見開きをMacとレイアウトソフトを使って真似してみたことがある。余白や文字の大きさを定規で測り再現するのだが、すぐに壁にぶつかる。書体が違うのだ。プロは無数の選択肢から一つを選んでいるのだということを初めて知った瞬間だった。

子どもは親の背を見て育つとは昔から言ったもの。親を真似て育つのだとしたら、背筋をいくら伸ばしても足りないものがある。

#gettymuseumchallengeの検索結果(Instagramのスクリーンショット)

やってみた結果。真似をすると最初に気づくことは真似できない部分が多いということ。レンブラントの帽子はどこに売っているのか?(筆者撮影)