美術館への行きかた。

第十三回 日本の表現の心

今から約150年前、明治と呼ばれる時代が始まった。日本が大きく西洋化と近代化を進めた時代であり、西洋からも多くの人が流入している。

西洋から訪れた人々は、日本人の不真面目さに一様に驚いたという。日本人ほど真面目で勤勉な民族は他にないだろうと思うのだが、当時はむしろ逆だったらしい。約束の時間になっても日本人は現れないのだ。

考えてみれば、近代においては産業革命、科学技術の進歩、医学の発展など、どれをとっても西洋で起きたものだ。これは西洋の人々の真面目さが成したものだともいえなくない。

明治にあっては絵画表現も西洋化が進む。当時は新しいものに傾倒するあまり、古来のものを軽視、あるいは破壊する時代でもあった。それまで日本人の生活になかったものが、沢山根付いたのもこの時代だ。

そんな時代において、日本にすでに存在していた文化に着目し、それを評価する動きもまた現れてくる。アメリカ人の哲学者・美術史家のアーネスト・フェロノサ(Ernest Francisco Fenollosa)は、日本の美術に強い関心を示し、保護する活動を行っている。フェロノサに師事していた岡倉覚三(のちの天心)は後年、東京美術学校を設立するのだが、これは東京藝術大学の前身だ。

フェロノサは日本の描画作品を西洋絵画と区別して、Japanese paintingと呼び、特徴を挙げて紹介した。これは国外はもとより、国内にも既存の文化の良さを見直す機会になっているというのだから、アメリカからやってきたこの人は、日本文化を救ったとも言えなくない。Japanese paintingの翻訳が現代の日本画というジャンルとして確立していく。フェロノサは日本画の特徴を以下のように述べている。

・写真のような写実を追わない。
・陰影が無い。
・鉤勒(こうろく、輪郭線)がある。
・色調が濃厚でない。
・表現が簡潔である。

要するに日本の絵画表現では写真のようなリアリティを追求していない。日本画の成立はこの時を境にしているので、比較的新しいものではあるが、それまでの大和絵と呼ばれるものも含めて、同様の特徴が当てはまる。浮世絵などは最たる例かもしれない。

当然のことながらこれは技術的な優劣を指すものではない。事実もっと古い時代に写実表現も存在する。つまり、日本人の考える美意識とでもいうのか、目指しているのもが西洋とは異なると考えた方がいい。

素材の違いもあっただろうか。薄く繊細な和紙に水彩で描くのと、キャンバスの上に油彩で描くのではまるで勝手が異なる。油彩は幾重にも塗り重ねることができるものだが、水彩は一筆が最後まで残る。重厚な立体表現が得意な素材ではない(できるけど)。

西洋の人々が驚いた、不真面目な国の民たちは見たものをそのままに描くこともしなかったと言うわけだ。ある種のデフォルメを加え、独特の絵画表現を生み出している。不真面目さは遊びがあるとも言える。

明治以前の日本人にとっては遊びは大切なものだった。華道、書道、茶道など、今でこそ型=スタイルの踏襲が主流となっているが、これらは元を辿れば遊びに満ちた行いだった。常に変革に溢れ、新規性を競っていた時代もあるのだから。

日本や東洋の美術品を扱う美術館も多数存在する。遊び心を忘れることなく日本古来の美術作品を見に行こうと思う。歌麿の美人画なんかも悪くない。画面の中から「ご覧遊ばせ」と微笑みかけているようだ。

葛飾応為『吉原格子先之図』江戸時代後期の浮世絵だが、陰影表現も取り入れている。やればできる。パブリック・ドメイン(wikipediaより)

平治物語絵巻(鎌倉時代)ボストン美術館蔵。フェロノサが収集したコレクションの一部。パブリック・ドメイン(wikipediaより)