美術館への行きかた。

メディアアートって何だっけ?

実際的な発生はもっと遡るが、90年代くらいから「メディアアート」という言葉をよく聞くようになってきた。最近では印象派、キュビズム、ポップアート、などと並んで当たり前のように耳にするようになった。というか、キュビズムなんかよりよっぽど知名度ありそう。

ところでメディアアートとは一体なんなのか。なんとなくイメージするのはデジタルツールやコンピュータ、あるいはインターネットなどを用いた芸術作品のこと。一時期流行ったプロジェクションマッピングなんかもメディアアートだろうか。壁に映像が投影されていて、自分がキャプチャされ、その中にアバターとして入り込んで動作に合わせてインタラクションが起きるもの。これもメディアアートだろうか。

そもそも「メディア=media」という言葉は媒体とか素材という意味を持っている。つまり表現するための媒体がメディアである。油彩の絵画なら油絵の具がメディアだし、彫刻作品なら石や粘土がメディアである。表現する上でメディアは欠かせない。この連載だって言葉あるいは文字をメディアとして成立している。 ナム・ジュン・パイクという、主に60~90年代にかけて活躍したアーティストがいる。「メディアアート」を語る上では欠かせない偉人である。パイクは様々なメディアを扱った作品を発表してきた。極めて実験的な映像作品も多く存在する。あるいは衛星中継の技術を用いた作品なんかもある。パイクに関しては、2016年に行われた回顧展の感想をrandom museumに投稿したものがあるので、よろしければどうぞ。(random museum 003 没後10年 ナムジュン・パイク展 2020年笑っているのは誰 ?+?=??

さて、パイクは映画の文脈から映像そのものを用いた作品へと派生させている。フィルム、カメラ、テレビ(モニタ)などはそれまでの美術作品のメディアとしては存在し得なかったものだ。つまり新しいメディアだった。とするならば「メディアアート」は、既存のメディア(油絵の具や粘土、石など)に依存しない新しいメディアを用いた作品を指す。掘り下げると「新しい」とは何か?という議論もありそうだけれどここでは割愛。現在の「メディアアート」の中心がコンピュータを用いたもの、インターネットを用いたものなのは、この「新しさ」に起因するものだと考える。最近ではドローンを用いたものなども登場している。

ところで、チームラボの大規模なインスタレーションは「メディアアート」なのだろうか、と考えるとはてさて意見の分かれるところなんじゃないかと思う。そのクオリティを疑うものではないが、メディアアート黎明期に多くの作家たちが試行錯誤を伴って発表した「インタラクション」を伴うデジタル表現との違いを僕は見出せないでいる。新しい技術が登場したときに、その本質的な部分をむき出しに提示してくれたのがメディアアートの作家たちだとすると、チームラボのやっていることは、技術が大衆化してきたタイミングで、適切なエンタテイメントを構築しているとも思える。もっともこれは勝手なもの言いで、彼らは美術でも娯楽でもどちらでも良い。とか言いそうでもある。

「メディアアート」の登場は、ある部分だけを見ると味の濃いスナック菓子のようでもある。わかりやすいインタラクションと光と音による刺激は、人々をあっというまに虜にしてしまった。それは美術につきまとう不可解さを鉄砲水のように流し去っていったようにも思うが、はて、これは美術作品だろうか?と思わせるものが増えたのも事実である。美術館は遊園地ではないはずだから。

そして「メディアアート」が新しいメディアを媒体にした表現である以上、作品の保存や売買という点での課題を抱えている。作品に用いられた技術が古くなり、なくなってしまえば作品を再現することも修理することも困難になる。メディアアート作品の「死」をテーマにした展覧会(YCAM「メディアアートの輪廻転生」)も開催されているが、この先が気になるところでもある。

新宿のNTTICC、山口のYCAMなどメディアアートのミュージアムもいくつかある。(YCAM ウェブサイトより)

ケージの森/森の啓示/1993/植物、モニター20台、映像3チャンネル、再生機3台、ステレオ1組/554×465×800cm(random museumより)