私のかけら 01  長谷部千彩

――これはかけら。季節のかけら。東京のかけら。私のかけら。

5月×日 関係

夕方、窓の外をふと見やると、薄桃色に空が染まってとても綺麗だった。以前なら、カメラを出して、すぐさま写真を撮ったのに、何もせず、ただ暮れゆく様子を眺め続けた。
あんなに写真を撮るのが好きだったのに、近頃は、カメラを構えることが随分と減ってしまった。なぜだろう。むしろ、記録しない贅沢、消えゆくものを消えゆくままにしておく贅沢もあるのではないか――そんなことさえ考える。
感激を(誰かと)共有したい、という気持ちが、私の中で薄れているのかもしれない。 これだけ多くの人が写真を撮るようになったのだから、私ぐらいは撮らなくてもいいのでは、とか。
その一方で、ゆっくり写真を撮ってみたいという気持ちもある。撮った端からSNSにアップするのではなく、撮ったものの中からじっくり選んで、機会があれば誰かに見せる(もしくは自分だけで楽しむ)。
そういう気の長い、写真との付き合い方をしてみたい。
写真と私の関係が変わり始めている。

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5月×日 急がない人生

ドキュメンタリー映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』を観る。ソール・ライターが、たくさんの荷物であふれかえった居室で、「人生は何を得るかではなく、何を捨てるかだ」と言っているのが面白かった。

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5月×日 五月が終わる

コーヒーを飲みに表へ出ると、地面が湿っていた。昨夜も雨が降っていたらしい。生垣の葉にも水滴がついている。喫茶店までの道すがら、スマートフォンで写真を撮る。紅色のつつじ。枯れかけたジャスミン。
お店に入り、コーヒーを頼み終えると、約束の時間通り、事務所スタッフYが現れた。私宛ての郵便物を受け取る。どれも開封後、確認したら捨てるもの。その数の多さにため息をつく。捗らない原稿についてYに相談する。
帰宅すると、ポストに荷物が。編集者Mさんから、読み終えた本のプレゼント。『刺繍 イラン女性が語る恋愛と結婚』。フランスのコミックエッセイ。嬉しい。

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5月×日 ブログのゆくえ

快晴。午後、ハニカム編集部Iさんに会う。 サイトリニューアルに伴い、ブログのほうもメンバーの入れ替えがあると聞いていたのだけれど、結論から書くと、私は継続することに。足掛け8年も続けているし、そろそろお役目御免かな、と思い、他の場所(memorandom)に日記を移すことも考え始めていたので予想外の展開に戸惑う。

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5月×日 ボールのゆくえ

昨日の打ち合わせでは、フェイスブック、インスタグラム、ツイッターを各々が使いこなす時代にブログサイトを利用する意味はあるのか、という話になった。私は、フェイスブックは使っていない。ツイッターはリツイートばかりだし、インスタグラムは熱が冷めてしまった。それでも、(断続的ではあるにせよ)ブログを使って日記は書き続けているのだから、テキストを打つという行為が性に合っているのだと思う。PCに向かい、書いたり消したりしながら時間をかけてテキストを打ち、完成したらようやく公開する。スマートフォンで多くのことが済ませられる時代に、自分でも古風なことをやっているなあ、と思う。
昨日は、Iさんから、私のブログのページヴュー数を教えてもらった。私が想像するよりもずっと多い数だった。毎日、それだけのひとに読んでもらえているのなら、書く意味は十分過ぎるほどある、と思える数。
でも、本音を言えば、私にとって閲覧数の多少は、それほど重要なことではない。少なかったとしても、それはそれで構わない。
いいね!のつくSNSと違って、ブログは誰が読んでいるのか、わからない。その人数も調べない限りはわからない。ブログはそこが面白い。どこかにいるであろう、顔の見えない、私の文章を楽しみにしてくれるひと。彼らに向けて日々を綴る。そして、ぽーんとボールを投げるみたいにサイトにアップする。そのぽーんと投げる感じが面白い。誰かに読まれているかもしれない。読まれていないかもしれない。それぐらいの気持ちで書くほうが私には気楽でいい。

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5月×日 スランプ

今夜は、めずらしく夜更かしをしている。
音楽を小さな音でかけている。
氷の入った水を飲んでいる。
原稿の目途が立たない。
スランプ。

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5月×日 あがり症

夜、編集者Wさんからメールが届く。六月のトークイヴェントの告知文のチェック。タイトルを、「香水、目に見えないものを書くということ」に変更してもらうよう、お願いする(最初の案があまりに抽象的だったので)。
それにしても、私にとって初めてのトークイヴェント、いったいお客さんは集まるのだろうか。会場の下北沢B&Bは、とても小さなスペースだと聞いているけれど。人前で喋るのも苦手だし、不安でいっぱい。
夜は、ほうれん草とベーコンのパスタを作って食べた。最近、ようやく食欲が湧いてきた。この調子で三食食べられるようになりたい。

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6月×日 抜け出す鍵

午前中は晴れていたのに、お昼過ぎ、いきなり強い雨が降る。バケツをひっくり返したような、という表現がふさわしい集中豪雨。今日は打ち合わせが二件ある。
小雨になったタイミングで外に出る。私が履くと、必ず靴擦れしてしまう、雨の日用のブルーのパンプス。それからフルトンの折り畳み傘。タクシーに冷房が入っていて冷える。でも悪いことばかりではない。今日は、植木に水を遣らなくてもいい日。
夕方、編集者Sさんと喫茶店にて、とりとめのない話を二時間。最近私が興味を抱いていることや、この先やってみたいことなど(鳥が飛ぶ高度の話や、作品の朗読など)。話を聞いてもらっているうちに、リラックスしてきて、書けずにいる原稿にも抜け出す鍵があるような気がしてくる。Sさんに感謝。

 

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6月×日 再会

東京は三十度近くまで気温があがったものの、風が吹いていたため、過ごしやすかった。気持ちのいい六月の午後。通りに紫陽花が咲いている。
昨日Sさんと会った喫茶店で、今日はMさんとお茶を飲む。会うのはおよそ10年ぶり。ずっと会いたいと思っていたから、ゆっくり話せて嬉しかった。
Mさんに会うといつも、才能にあふれたひとはいいな、とうらやましく思う。人間的にも大人だと思うし、年相応の貫禄がある。それに比べ、私はまだまだ線が細い。存在が弱い。

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6月×日 ダヤニータ・シン

memorandomの打ち合わせの後、東京都写真美術館へ。ダヤニータ・シンの個展『インドの大きな家の美術館』を観る。ダヤニータ・シンがどういう写真を撮るひとなのか、深く知らずに訪れたけれど、非常に感動した――と、同時に、寂しく、悲しい気持ちにもなった。美しいものを観た後、高揚することもあれば、深く沈むこともある。
美術館のサイトでは、人物の写真ばかりが紹介されていたけれど、実際は、ひとが写っていない写真のほうが多く、それが私には好ましかった。ひとが写っていないけれど、ひとの気配は写っている写真、静謐さを湛えた写真が私は好きだ。
帰りにショップで、ポストカード二枚と、ダヤニータ・シンが序文を書き、写真を提供した本(『インド 第三の性を生きる 素顔のモナ・アハメド』)を一冊買う。『刺繍 イラン女性が語る恋愛と結婚』を、一昨日、読み終えたので、今日からこちらを読もうと思う。