私のかけら 56 長谷部千彩

――これはかけら。季節のかけら。東京のかけら。私のかけら。

ゴールデンウィーク・その1

先月は細々(こまごま)とした仕事が多く、精神的にも疲弊したので、ゴールデンウィークは休みに充てた。
連休前半は雨が多く、後半は晴天の続いた東京。買ったばかりの車に慣れるべくドライヴしたり、冷蔵庫やバスルームといった普段手のまわらないところを掃除したり、毎年恒例の朝顔とひまわりの種蒔き、そしてゆっくり部屋で本を読んだ。
そのうちの一冊は、ECD(以下、石田さん)の『他人の始まり 因果の終わり』。遺作となったエッセイ集である。出版されたのは2017年。もちろん当時、石田さんの新刊が出たことは知っていた。ただ、私自身の体調が優れず、手に取ることができなかったのだ。絶対にいい本に違いないと確信してはいたけれど(彼の単行本一作目『ECDIARY』を私の会社で出版したほど、石田さんの書くものが好きなので)、軽い読み物とはいかないので気弱なときにはどうしても敬遠してしまう。今年は2022年。あれから四年以上の月日が経ったとは。長いような、短いような。

久しぶりに読む石田さんの文章は相変わらず洗練されていて、つくづく知的なひとだなあと感じ入る。この本で彼の著作はすべて読んだことになる。もっと書いて欲しかった。もっと読みたかった。惜しいひとを亡くしたというのはこういうひとのことを言うのだと思う。
読了後、私は言った。
「石田さんの本を読んだ後って、世の中の男のひとたちが書いているもののほとんどがくだらない、という気持ちになっちゃうんだよね。そっちに頭がいっちゃう、石田さんの本がいいとかそういうことじゃなく」
『他人の始まり 因果の終わり』の中で、石田さんは、過去の自分の女性観について、”結構なゲスである”と書いている。さらに自分がモテなかったのは、”ゲスな本性が見透かされたからだろう”と重ねる。ゲスとまで書く女性観は、男性にありがちなそれでしかないのだが、さすが石田さん、自己への言及も容赦ない。
「自分のことをゲスと書ける男って少ないよ」
私がそうつぶやくと、耳を傾けていたSさんは、なるほどね、と相槌を打った。実際、「その発想、あなた、結構なゲスですよ」と指摘したくなるひとに、私もかつて何度か出会ったことがあるけれど、たぶん彼らにその自覚はない。 男だから、女だから、とは考えたくないし、考えないようにしているけれど、センスだとか仕事だとか稼ぎだとか、引いて見ればさほどの差もないのに、どっちが上だとか下だとか、そんなことばかり気にしている男性のいかに多いことか。

そう嘆きたくなるのは、冒頭に書いた、先月私を大いに疲弊させたのが、いずれも男性だったから(約二名)。そんなところで自己顕示欲を発露してどうするの?何か良いことがあるの?と問い正してみたいところだけど、関わるのも時間の無駄。違う理屈で生きているひとだと割り切るしかない。
それにしても、自分のプライドにはどこまでも固執するくせに、相手のプライドなど叩き潰してもいいと思っている彼らが、叩き潰していい相手と判断するのは大抵女性なのが本当に困る。若いひとたちと仕事する機会も多いので、男性たちの意識もだいぶ変わってきていると感じることも多いけど。

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ゴールデンウィーク・その2

連休中に映画は五本、六回観た。本数と回数が一致しないのは、一本の映画を二回鑑賞したからだ。ほとんどが動画配信で、劇場に足を運んだのは幾原邦彦監督の劇場アニメ『RE:cycle of the PENGUINDRUM(前編)』のみ。
いずれの作品もそこそこ楽しんだが、市川準監督の『トキワ荘の青春』だけが退屈だった(私感です)。市川準監督の長編作品は『BU・SU』から、わりと観ているほうだと思うけど、『大阪物語』のように、面白い!と思えるものと、『トニー滝谷』のように、ぼんやりしているなあと感じるものがあって、『トキワ荘の青春』は後者。キャスティングでコケているというか、主役にあたる寺田ヒロオを本木雅弘が演じるというのが、そもそもどうなんだろう、と。容姿端麗すぎるでしょ。トキワ荘の漫画家たちが集合写真を撮るシーンも、”トキワ荘の漫画家さんたちを、モッくんが取材に来ました!”といったようにしか見えず、完全にひとり浮いていた。

この作品をどうして観ようと思ったかというと、たまたま島田虎之介氏のTwitterでタイトルを目にしたのと、たまたま配信サイトのお勧めにデジタルリマスター版が表示されたからで、ものすごく観たかったというわけではない。
この頃、思うことがある。動画配信サイトを利用するようになってから、そこまで観たいわけではないけれど、タダなら観てみようかなと視聴した作品が、かなりの数に上っている(月額料金を払っているからタダではないが)。その一方で、自分が本当に観たいと思っていた作品は、リストに残ったままになっているのだ。
これは、一本ずつお金を払ってレンタルしていたときには起こらなかったことだ。どんどんサイト側からのお勧めが提示される。自分の興味に関係なく、私は何が話題作なのか、何が人気作なのか知ってしまう。
みんな『愛の不時着』を観ているらしい――そうと知っても以前ならお金を払ってまでチェックしようとは思わなかった。でも、いまはサブスクで観られるなら観てみようかと思う。そして、また自分が観たいものが後回しになる。
思い返せば、Apple Musicを使い始めたときにも似たようなことを感じた。お金を出して買いたいとまでは思わないCD。でも、流行っているらしいからちょっと聴いてみようかな、タダだし(タダじゃないけど)。そうやって特別聴きたいわけでもない音楽を聴く時間が増えていく。それってどうなんだろう。一日二十四時間という限られた時間を削り取られていると言えないだろうか。限られた時間なのだから、チラチラよそ見せずに自分の「好き」の探求に使ったほうがいいんじゃないか。動画配信サイトの利用について、考え直す必要があるかもしれない。あ、ちなみに『愛の不時着』は未見です。

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ゴールデンウィーク・その3

連休最終日、ピンク色のバラが咲いた。私が育てているバラの株は四鉢。今年は香りの強いイングリッシュローズが開花一番のりだった。
去年の秋、ベランダの鉢植えの土を新しいものと入れ替えた。寒風の中の作業はつらかったけど、その努力が功を奏して、今年の春は花がたくさん咲いている。クレマチス、ブルーデイジー、ゼラニウム、ナスタチウム、オステオスペルマム、マーガレット、時計草。ラズベリーとブルーベリー、苺も花を咲かせているから、ベリー類の収穫も期待できそうだ。頑張った甲斐があったなあ。快晴の午後、ひとりほくそ笑む。
とは言え、そろそろ夏の準備もしなければならない。ゴーヤとシシトウは花が好きで毎年育てている。去年の夏に育てていた紫蘇は、冬に処分し損ね、そのまま水を遣り続けていたら、若葉が出てきて、既にワサワサと繁っている。どうやら今年も紫蘇は買わずに済みそう。バジルもミントも冬越しさせることができたし、枯れたと思われた紫式部も復活した。私のベランダは順調、順調。東京の五月は最高の季節。