私のかけら 52  長谷部千彩

――これはかけら。季節のかけら。東京のかけら。私のかけら。

12月×日 誰得本

昨日から飯岡順一著『私の「ルパン三世」奮闘記 アニメ脚本物語』を読み始めた。はっきり言って野次馬根性。『ルパン三世』2ndシリーズには宮崎駿の演出担当回が二回あるが、その打ち合わせの際、2nd シリーズの監修をつとめていた鈴木清順と宮崎駿が対立する局面があったらしく、そこが読みたくて取り寄せてみたのだ。
著者の飯岡順一さんは、1stシリーズから35年以上に亘り、アニメ『ルパン三世』に関わってきたひと。アニメーション(動画のほう)の制作ではなく、脚本のほうの制作を担当していたらしい。
この本、購入前に、読んだひとの感想を、ネットで探してざっと目を通したのだけれど、あまりいい評価はされていなかった。でも、読んでみると、とっても面白い。めちゃめちゃいい本じゃないの、これ!
アニメーション(動画)の部分に興味があるひとにはつまらないかもしれない。キャラクターのファンにも退屈な内容だと思う。だけど、私のように、その作品の持つ世界観みたいなところに興味があるひとや、ストーリー/キャラクター/台詞の絡み合うところに面白さを見ているひとにとっては、読み応えのある本。

『ルパン三世』は長寿コンテンツなので、当然のことながら複数の脚本家が参加しているわけだけれど、この本には、それぞれの脚本家の作品の傾向が分析されていたり、各エピソードのアイディアソースとなった映画作品が紹介されていたり、完成した作品に対して足りないと感じるところがあればそういったことも書かれている(ここをもっとこうすればいい作品になった、というように)。その指摘が、さすがプロ、的確なのだ。

例えば、2ndシリーズ58話「国境は別れの顔」という、腕を怪我をした次元大介が、亡命を望むソ連のバレリーナと逃避行する回がある(旅の間にロマンスが芽生えるが、悲恋に終わる)。次元ファンの間では人気が高い作品。でも、私は感心しなかった。だって、要するにメロドラマなんだもの。ハードボイルドをこなせるドライなキャラクターを、こんな風に使うのはもったいない。そう思った。でも、女性の次元ファンは、好きなキャラクターが恋をするところが観たいのかも。自分がヒロインになった気分で観ているのかも、とも。

で、このエピソードについて、飯岡さんはバッサリ斬る。
《次元の乾いた感じが出ていません。どうしても濡れた感じが浮きでてきます。心情ドラマでの次元は特に気を付けないといけないと思っております。金子さんの資質なのでしょう。》(金子さん=担当脚本家)
そうそう、その通り、と膝を打つ。

他にも、鈴木清順がどのようにアニメ『ルパン三世』に関わったか、大和屋竺ハードボイルドと他の脚本家のハードボイルドではどう違うか、宮崎駿作品に対して感じたこと(←これは私はとても納得がいった)など、興味深い話がたくさん。まあ、でも、ニッチな本であることは確か。『ルパン三世』を1stシリーズからコツコツ観続けていて、かつ、映画が好きで、しかも、脚本に興味があるひと以外には、それほど面白くない本だと思う。私には大ヒット。買って良かった!

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12月×日 良いお年を

午後、Hさんに会う。仕事の打ち合わせを済ませ、軽く雑談。
母の家の解体の準備、高齢の母と過ごす時間、それにまつわる私の思いなど、ここ数か月の間に経験した心の揺れについて話すと、Hさんも、ご両親が家を手放されたときに感じた気持ちを聞かせてくれた。新しい土地の所有者がそこに新しい家が建て、それを目にしたとき、幼い頃の思い出がつぶされてしまったような気がして、とてもつらかった、と。
Hさんは私より10歳ほど年上なのではないかと思う。お母様はご健在の様子。それでもHさんはつぶやく。「帰省するたびに母の体が小さくなっていくんですよ」
それから、カップのコーヒーが空になるまで、年老いていく親を見ている寂しさについて語り合った。それは、いま私が一番身近に感じている問題でもある。

「いやあ、打ち合わせに来て、涙が出そうになるとは思わなかったな、ははは」とHさんは笑っていた。
私も話している間、本当は何度か目がうるんだ。
次にHさんに会うのは年が明けてからなので、別れ際、少し早いけれど、良いお年をお迎えください、と挨拶した。

帰り道、大きなクリスマスツリーの前を通った。歩きながら、来年のことを考えた。いろいろと書きたいことが浮かんでいる。

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12月×日 本を選ぶ

朝、無性にナット・キング・コールが聴きたくなり、彼(とジョージ・シアリング)のアルバム『Nat King Cole Sings, George Shearing Plays』をかける。明日から休みを取るので、今日はデスクワーク。黙々と仕事を片付ける。

夕方、母がやって来る。明日の飛行機が早いので、今夜は私の部屋に泊まり、一緒に空港へ向かうのだ。
母に夕食の支度を代わってもらう。あおさのお味噌汁が美味しい。
食後、荷造り。持っていく本を選ぶ。私は、アラン・シリトーの『長距離走者の孤独』、シェイクスピアの『リア王』、ジェイムズ・ボールドウィンの『ジョヴァンニの部屋』。いずれも再読。
母も私の本置き場から、三冊選ぶ。張愛玲の『中国が愛を知ったころ――張愛玲短篇選』と『傾城の恋/封鎖』、遠藤比呂通先生の『人権という幻:対話と尊厳の憲法学』。
母は、私の部屋に来ると、必ず張愛玲の本を手に取る。ページをめくりながら、このひとの文章はうまい、文章が美しい、と言う。

S社編集者Sさんからメールが届く。
一緒にお仕事できたらいいですね、という会話から、随分と間が空いてしまい、なんとなく連絡しづらくなっていたから、突然のメールに驚き、また、嬉しくなった。
去年、『私が好きなあなたの匂い』というショートストーリー集を出版した後、執筆に対する興味が急に萎み(特に理由はない)、スリープモードに入っていた私。一時は、アニメを観ているだけのひとになるんじゃないか、と自分でも不安になったけれど(なったらなったでそれもいいか、とも思っていたが)、ショートムービーのシナリオの仕事あたりから、また何か書こうかなあ、と気になっている。今月はK社の編集者Wさんとも会うことになっている。Sさんからの連絡にもタイミングを感じる。

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12月×日 練習

朝、羽田空港から沖縄へ向かう。母は、機中、iPadで映画『ムーンライト』を観ている。疲れているのか、一時間ほどで寝落ち。私は、アラン・シリトーの『長距離走者の孤独』を読んでいた。

那覇空港で沖縄そばを食べる。あまり美味しく感じられず。母も私も半分残してしまった。
タクシーでホテルへ。今回は、リゾートホテルでのんびりするのが目的の旅。観光はしない。
チェックイン後も、部屋から海を眺め、お茶とお菓子で寛ぐ。
母と『ムーンライト』の続きを観る。

夕食は、ホテルのレストランで琉球料理。優しい味。美しい器。口にも目にも楽しいひととき。

食後、部屋で、母のiPadの使い方練習につきあう。
どういうことができるのか知ってもらいたかったので、例えば、と言って、『私はあなたのニグロではない』の公式サイトにあるブックガイドまでナビゲートし、こういうところから私は情報を得て本を買っている、と話す。すると、母は、このサイトで紹介されている本はどれも面白そうだ、と真剣に解説を読み始めた。そして、その中の一冊、コルソン・ホワイトヘッドの小説『地下鉄道』を選び、これを読んでみたいと言い出した。そこで、アマゾンでの買い物の仕方を説明。
無事、本の注文を終え、その後、一緒に『私はあなたのニグロではない』をレンタル配信で観る。

『私はあなたのニグロではない』公式サイト/ブックガイド
http://www.magichour.co.jp/iamnotyournegro/book/

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12月×日 あさがくるまえに

生憎の曇り空。レストランのテーブルに着き、母が入口で受け取った琉球新報を広げる。基地問題に関する見出しが並んでいて、ギョッとする。あ、私、沖縄にいるんだ、と思う。同時に、この一年ほどぼんやりと過ごしていて、社会の動きに疎くなっていた自分が恥ずかしくなる。もっとしっかりしなきゃ、と気を引き締める。

琉球料理の朝食。
のんびりコーヒーを飲んだ後、折角なので、プライベートビーチへ。波打ち際で足を水につける。それほど水温は低くない。デッキチェアに腰掛け、私は読書。母は、貝殻を拾っていた。

肌寒くなってきたので、ラウンジに移動。ケーキとコーヒーでお喋り。話題はもっぱら八つになる姪(母にとっては孫)のこと。私に似たところがあるらしい。

夕食は広東料理のコース。午後にケーキを食べたので、入るかどうか心配だったけど、完食できた。

食後は部屋で読書。私は、アラン・シリトーの続き。母は、私の部屋から持ってきた憲法学者・遠藤比呂通先生の『人権という幻::対話と尊厳の憲法学』を読んでいた。沖縄滞在中に読み終わらないだろうし、この本を自分も持っていたいから買いたい、と言うので、練習も兼ね、再び、アマゾンで注文。私は隣りに座ってサポートする。

真夜中、眠っていると、突然音がしたので、驚いて起きる。目が冴えて眠れなかった母が、iPadで自力で映画(『あさがくるまえに』)を観てみようと挑戦したらしい。イヤホンを渡し、ジャックを差す場所を教える。「起こしちゃってごめんね」と言われたけれど、そんなことより、やってみようと思ってくれることが娘としては嬉しい。

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12月×日 四周年

朝食の和定食が運ばれるまでの間、母が琉球新報を読んでいる。私は向かいの席からのぞき込む。
辺野古新基地建設に向け、政府は一部区域への埋め立て土砂の投入を開始。玉城デニー知事は工事の中止を求めるも、政府(菅官房長官、岩屋防衛相)は応じず。
沖縄で読む米軍基地関連の記事、東京で読むのと違って、ぐーっとこちらに迫ってくる。昨日と今日、一日の間に刻々と状況が変化している。緊張する。決して気にかけていないわけではないのだけれど、東京で暮らしていると、東京以外の場所でのことが、ガラスの向こうにある問題のように感じてしまう。こんなことじゃいけないな、と思う。東京に住んでいると鈍感な人間になるのかもしれない。いや、私が怠惰なだけか。

部屋に戻り、パッキングを終え、チェックアウトの時間まで、海を眺めながらコーヒーを飲む。昨日までは曇っていたけれど、今日は晴天。沖縄らしい青い空。沖縄らしい青い海。短い滞在だったけど、来て良かった。夏の終わりから続いていた日々に一区切りついた感じ。

空港までの一時間。タクシーの運転手さんが、道すがら、細やかに基地の説明をしてくれた。ここは補給基地、ここは諜報活動を行っている施設、この辺りにいるのは海兵隊、基地内のマーケットの価格、思いやり予算、日米地位協定・・・聞いていると、頭の中で点になって分散している知識がつながっていく。いままで沖縄のひとたちから基地問題の話を聞く機会は何度かあったけれど、今日の運転手さんの説明が、一番わかり易かったように思う。
空港に着き、いろいろと丁寧に教えてくださってありがとうございました、と運転手さんに頭を下げる母と私。濃密な時間だった。

東京までフライトは二時間。飛行機の中で、母は、iPadでドキュメンタリー『サイン・シャネル カール・ラガーフェルドのアトリエ』を観ていた。私も久しぶりに一緒に観た(母は初見)。このムービー、私はDVDを持っている。発売当時、大好きで何度も観たけれど、いま観直してもやっぱり面白い。モノづくりの苦しさと楽しさをユーモラスに描いた名作だと思う。

羽田空港で母と別れ、タクシーで帰宅。ぼんやりと窓から街を眺める。淡いグレイの空に、金色の夕陽。冬の東京は綺麗だな、と思う。スマートフォンで空の写真を撮る。

今日でmemorandomは四周年。
サイトにはYさん直筆の挨拶文が掲載されている。
五年目は少し歩みを緩めようと思っています。