私のかけら 51  長谷部千彩

――これはかけら。季節のかけら。東京のかけら。私のかけら。

11月×日 母のかけら

母と妹と私の三人でT社オフィスへ。母の家の解体の打ち合わせ。担当者Iさんに会う。
思い出の詰まった場所だけど、みんなで考え抜いた末に決めたこと。それでも心はぐらぐら揺れる。
けれど、Iさんの明るいキャラクターに救われている部分もある。こちらの寂しさも汲んだ上で、気持ちが軽くなるよう、話を進めてくれる。その気遣いに、プロだなあ、と感心。
高齢の母の足を運ばせずとも、手続きなどは、すべて妹と私が担えばいいのでは、と思っていたけれど、Iさんと話して笑ったりしている母を見て、思い出の場所だからこそ、打ち合わせには家族みんなで出席して、惜別のステップを一緒に踏んでいくほうがいいのかもしれない、と考えを改める。

帰りに三人で台湾料理へ。食事をしながら、スマートフォンで画像検索をし、この間、ママと一緒に観た映画に出ていたのがこのひとよ、と、妹にジェラール・フィリップの写真を見せる。母と一緒に映画を観ていたのはもっぱら私。妹はほとんどその経験がないと言う。その代わり、園芸と洋裁という趣味を妹は母から引き継いだ。本が好きなのは私、絵が好きなのは妹。それぞれの中に、違う母のかけらがある。

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11月×日 危険な関係

朝、目覚めて時計を見ると、8時44分。いま行けば間に合う。服を着替え、歯磨き、洗顔、化粧水とクリームだけ塗って、家を出る。9時のバスに乗り、池袋へ。
ジェラール・フィリップ特集上映最終日@新文芸坐。朝食代わりに、売店でクリームパンを買う。9時45分からの『危険な関係』を鑑賞。休日ということもあり、お客さんが多い。

監督はロジェ・バディム。ラクロの原作は、18世紀後半を舞台にしているけれども、映画では1960年代の上流階級の物語へと脚色。冒頭に、監督(ロジェ・バディム)自身が登場し、前説をするシーンが。ユニーク。

『危険な関係』と言えば、アート・ブレイキーの音楽でしょ、と思っていたら(サウンドトラック盤を持っている)、半分以上がセロニアス・モンクの曲。アート・ブレイキーの演奏は、ハイライトのパーティシーンだけ。音楽のクレジットも、セロニアス・モンクがトップだった。

特筆すべきはジャンヌ・モローの衣装。シャネルを次々と着こなし、観応えがあった。やはりジャンヌ・モローあたりが着ると、シャネルの良さが出る。私みたいに、たまに引っ張り出して着る、ではダメですね。家にいるときもシャネルのスーツ、そこまでいかないと。
ちなみに、ジェラール・フィリップが使っていた手帳はエルメスでした。
ドーヴィルの海で、ジェラール・フィリップとアネット・ヴァディムが戯れているシーンも、ブルジョワ感たっぷりで良かったなあ(褒めている)。ドーヴィル、また行きたい。

作風は、完全にヌーヴェル・ヴァーグ。ジェラール・フィリップって、ヌーヴェル・ヴァーグ以前の俳優というイメージだったから、こんな映画にも出ていたのか、と新鮮な印象を受けた(本作の翌年亡くなっているけれども)。そして、ジェラール・フィリップは、36歳で夭折してしまったけれど、このひとがヌーヴェル・ヴァーグの時代を生きていたら、さらに深みのあるフィルモグラフィーを作っただろうに、と残念に思った。

帰宅後、原作について調べてみると、書簡体で書かれた小説らしい。面白そう。読んでみたい。

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11月×日 生活感

昨日は、映画の帰り、外で昼食を取り、その後、カフェでお茶しながら、モンキー・パンチ先生の『どらきゅらクン』を読んだ。国会図書館で一度読んだけど、手元に置きたくて、古本屋から取り寄せたもの。送料込みで2,600円。高いなあ。ふー・・・(ため息)。
モンキー・パンチ先生の作品全集、どこの出版社でもいいから、出してくれないかしら。『ルパン三世』以外は絶版だなんて、本当にもったいない。単行本化されていない作品も多いし・・・。そういう作品は、国会図書館に行って掲載誌(漫画アクション)を読むしかアクセスする方法がない。実質的には死蔵だよね。寂しいね。

そういえば、二日前、ニコニコ動画でアニメ『ルパン三世 PART5』の一挙上映をやっていて、書類の整理をしながら後半(12話~24話)を観たのだけれど、やっぱり『ルパン三世』は原作コミックが一番好きだなあ、と再認識。原作を読んじゃうと、アニメの『ルパン三世』が、原作の二次創作に見えてしまうんだよね・・・。まあ、それはそれで楽しむこともできるけど、かっこよさにおいては原作に及ばない、というか(私見です)。それと、原作では、ルパンはフィアット500にもベンツSSKにも乗っていないし、次元の拳銃もコンバットマグナムってわけじゃない(原作ではワルサーも使っているし、デリンジャーを使っている回もある)。ルパンや次元が愛飲している煙草の銘柄も決まっていない。銭形警部もICPOに所属していない。五ェ門が和食しか食べないなんてこともない(というか、そもそも原作には食事シーンがない!)。そういった設定は、みんなアニメの制作者が考えたアニメのための設定。原作ではそこまでガチガチにディテールを決め込んでいない。ふわっと曖昧にしていて、そこが大人のファンタジーという感じで私は好き。生活感が徹底して排除されている。

『ルパン三世 PART5』では、次元が自分でシャツにアイロンかけていたり、ルパンが中華鍋ふるってお料理してたり、五ェ門がそばを打っていたり、観たくなかったな・・・と思うシーンがたくさんあった。みんな生活感溢れているのが好きなのかな。私とは好みが違うね。

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11月×日 舞茸とセリのお味噌汁

昼過ぎ、母がやって来る。
母のノートPCが壊れてしまったので、私の部屋にある使っていないiPad miniを譲ることにして、その設定を。
作業している間、母が舞茸とセリのお味噌汁を作ってくれた。おにぎりとお味噌汁で昼ご飯(おにぎりと舞茸、セリは母が持参)。美味しかった。
食事を済ませ、お茶を飲んでいると、母に、(私がひとりで観に行った)『危険な関係』、どうだった?と訊かれる。「面白かったよ、すぐ観られるけど、観る?」と尋ね返すと、「観る」と言うので、作業を中断、配信レンタルで、『危険な関係』を鑑賞。
ジェラール・フィリップがうまい、いやらしさがよく出ている(劇中、演じているのがそういう役)、ジャンヌ・モローはこういう悪い女をやらせるとぶっちぎりだね、と感想を言い合う。

それから再び、iPadの設定を。何に使いたいのか訊くと、映画を観られるようにして欲しい、というので、アマゾンプライムへの加入、それから、面白そうな映画を一緒に探し、ウォッチリストへの登録を手伝う。
最後に、お金を払ってもいいから、私のお勧めの映画を観たい、と言われ、『ムーンライト』と『あさがくるまえに』をレンタル(配信)。折角、いまの時代に生きているのだから、新しい映画も楽しんで欲しいという気持ちもあり、近年の作品を選んだ。
iPad miniを手に「年寄りのおもちゃ箱だわ」と嬉しそうな母。まだ気丈に暮らしているけれど、この先、足なども弱っていくだろうし、いまからタブレットに慣れて、楽しみを確保して欲しいと思う。

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11月×日 バラとピストル

眠る前に『ルパン三世』2ndシリーズ第26話「バラとピストル」を観る。大和屋竺の書く次元大介の台詞のあまりのかっこよさに、思わず「おおっ!」と声をあげてしまった。

例えば。

〇さらわれた女を助けに敵のアジトへ向かったときの会話
次元「何だってかわいこちゃんをさらいやがったんだ?」
敵「リンダのことか?」
次元「リンダ?いい名前だ・・・」
敵「リンダは俺の部下だ。俺の組織を抜けて逃げたから捕まえたまでのことさ」
次元「連れてきな」
敵「どうするつもりだ?」
次元「デートするんだよ」

〇救い出した女(リンダ)を助手席に車を運転するシーン
次元「こいつは本当に俺にくれたのか?」(こいつ=女が次元に投げた薔薇)
女「ええ、本当よ」
次元「なぜだ」
女「男らしくて、ハンサムで、強そうだから」
次元「見かけだけじゃないんだ。中身もその通りさ」

次元を演じる小林清志さんの声がいい。というか、この台詞を、このひとが読むと、こういうニュアンスが加わるのか・・・と、ちょっと感動してしまった(今更ですが)。小林清志さんは、声質がいいだけじゃなくて、本当に上手いひとなのね・・・!子どもだったから、声優の演技力なんて気にしないで観ていたけど、大人になると気づくことも増えて面白い。

ちなみに、物語が進むと、その女(リンダ)が実は次元をはめていた、ということがわかる。それを知った次元、女の乗った車のタイヤを一発で撃ち抜き、車は崖から転落して海へ。相手が女でも容赦しない!裏切りには報復を!やるなあ。でも、いい。ハードボイルドはこうでなくちゃ。
2ndシリーズ、少しずつ観ているけど、つくづく思う。脚本家は次元大介の台詞書くのは楽しいだろうね!遊びのある会話が書けるもんね!

大和屋竺脚本回、1stシリーズを含め、いまのところだいたい好きだな。「魔術師と呼ばれた男」とか「狼は狼を呼ぶ」とか。
日活の映画、縁がなくて私は全然観たことがないけれど、これを機会に、『ルパン三世』がらみの監督や脚本家(鈴木清順、大和屋竺、山崎忠昭あたり)の作品を少しずつ観ていきたいと思っている。とりあえず『殺しの烙印』からかな。

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11月×日 殺しのブルース

午後、Kさんとお茶。鈴木清順と大和屋竺の作品でお勧めのものを教えてもらう。計8本。『ルパン三世』を観ているなら、いまこそ観るべき、と言われる。

Kさんと入れ違いで、N誌(女性ファッション誌)編集者Iさん到着。初めてお会いしたのに、私は、アニメとマンガの話ばかりしていた。香水の話や洋服の話を期待されていたなら、申し訳ないことをしてしまった。お勧めのアニメは何ですか、と尋ねられ、『サムライチャンプルー』が好きです、と答える。

帰宅後、早速、大和屋竺が歌う『殺しのブルース』(『殺しの烙印』のテーマソング)をYoutubeで聴いてみる。わあ、『ルパン三世』1stシリーズ(の前半)、そのままだ・・・、っていうか、こういう雰囲気の歌、『ルパン三世』1stシリーズの中で、峰不二子が歌ってる!と心が震えた。
今日はやることがあって無理だけど、『殺しの烙印』、早く観たい!

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12月×日 ムーンライト

午後、原稿執筆のための読書。高校生に向け、一冊本を選び、推薦文を書く予定。しかし、途中まで読み、取り上げようとしている本が紹介に適しているか、迷い始めた。大人が高校生に勧めたい本と、高校生が読んで面白い本は別なのではないか、と、モヤモヤ。

夜、来週、公開する「私のかけら」の原稿をまとめていると、母から電話が。iPadで映画(配信)を観てみようとしたけれど、手順がわからなくなったから教えて欲しい、とのこと。説明すると、無事、ウォッチリストまで辿りつけたようで、ひと安心。『ムーンライト』と『あさがくるまえに』、どっちを先に観るのがいいかしら、と訊かれ、深い理由もなく、『ムーンライト』じゃない?と答える。じゃ、そうするわ、と母。
使い方がわからなくなっても諦めずに電話をくれたのは嬉しい。早く慣れてくれることを願う。

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12月×日 オフビート次元

原稿の準備のほうで時間が取られて、なかなか映画『殺しの烙印』までたどり着けずにいる。早く観たいのに。
それでも、寝る前の時間を使って、『ルパン三世』(2ndシリーズ)は少しずつ観ている。
大和屋竺脚本回、第29話「電撃ハトポッポ作戦」。タイトルからして、あまり期待できないな、と思いつつ、観始めたのだけれど、トップシーン、次元とルパンの会話に笑った。

〇助手席で銃を磨く次元、運転席にルパン。車は浜辺を走っている。
ルパン「なあ、次元、俺がいま何考えているかわかるか」
次元「わからんな」
ルパン「それでも相棒かねえ、俺の。ツーって言えば、カーって、それが相棒っていうもんじゃねえのかしらねえ。・・・ツー」
次元「カー、か?」
ルパン「そうだよ、その調子だよ。それじゃ、俺が何を考えているかわかってるんだろう?」
次元「うん、わかんね」

大和屋竺脚本、こういうオフビート次元をちょいちょいかませてくる。
第32話「ルパンは二度死ぬ」でも、以下のような会話が。

〇アジトにいるルパンと次元。次元は窓の外を眺めている。
ルパン「お前がピューマだったらどっから俺を狙う?」
次元「だって俺はピューマじゃないもん」
ルパン「もしもの話だよ」
次元「入り江の船の上か岬の灯台からだろうな」

次元の台詞書くのは、本当に楽しそう。
そして、(繰り返すが)小林清志はうまい。

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12月×日 来年の準備

午後、memorandomの打ち合わせ。年末年始の掲載用作品のこと、来年の更新ペースのことなど。

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12月×日 五年ぶり

打ち合わせ二本。

午後の打ち合わせで、五年ぶりにC社Wさんに会う。あまり変わっていなかった。私が20代のときからのつきあいだから、歳月は十分に流れているのだけれど、いつ会っても、Wさんは、会話の調子が初めて会った頃と同じ。見た目が多少変容しても、会話の感じに変わりがなければ、年を取ったという印象は受けないものだな、と思った。結局のところ、年齢って、そのひとの発する言葉が決めているのではないかしら。

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12月×日 殺しの烙印

掃除と洗濯を終え、楽しみにしていた映画『殺しの烙印』(鈴木清順監督)を観る。

銃声。日活のマーク。タイトルバック。大和屋竺の歌う「殺しのブルース」・・・・。
「でっかい指輪をはめているな」
「安かねえんだ」
「安心しろ そいつには当てねえよ」
曲中、挿入される台詞。再び銃声。そしてブルースは続く。

ル、ルパンだ・・・(アニメ『ルパン三世』の1stシリーズ前半)。
銃声。飛行機の飛行音。ガラスの割れる音。殺し屋ランキング。日本なのに日本じゃないような世界。狙撃。宝石の運び屋。ミステリアスな女。男たちの口跡。
もう、最後まで、ずーっと頭の中に、ルパンだ・・・、という言葉が浮かび、心が震えた(特に映画の前半!)。
そもそも『殺しの烙印』(1967年)のほうが先で、この作品の脚本制作に関わった大和屋竺が、『ルパン三世』の1stシーズン(1971年)のメインライターだったのだから、類似点が多いのは当たり前。先に『殺しの烙印』を観ていたひとたちは、『ルパン三世』1stシリーズが始まったとき、ああ、あのひとたちが関わっているならこうなるね、という感じだったと思う。
でも、私は、『殺しの烙印』が公開されたときにまだ生まれていないし、『ルパン三世』との出会いの方が先。だから、どうしても『ルパン三世』越しにこの映画を観てしまう。映画そのものも面白かったけれど、私が幼い頃、観ていたアニメのルーツを知った感動もそこに加わる。本当に観て良かった!
軽妙なタッチの原作『ルパン三世』に比べ、アニメの1stシリーズ(前半)はどうして暗さが漂っているんだろう?とか、どうして1stシリーズ(前半)は泥棒っぽい話より殺し屋っぽい話が多いんだろう?といった積年の疑問も、『殺しの烙印』を観ることで一気に氷解。できるものなら、いますぐタイムマシンに乗り、小学生だった私に会いに行って教えてあげたい。その疑問は40年後に解けるよ!って。原作『ルパン三世』を『殺しの烙印』テイストに引っ張ると、『ルパン三世』1stシリーズ(前半)になるんだね!
(ちなみに、なぜ、いちいち1stシリーズ(前半)と書き添えているかと言うと、1stシリーズの途中で演出家が交代させられ、後半は子供向けになってしまったからです)

次は、山崎忠昭(『ルパン三世』1stシリーズの第1話「ルパンは燃えているか・・・・?!」、第5話「十三代五ヱ門登場」の脚本を担当)の手がけた実写作品を観てみたい。岡本喜八監督『殺人狂時代』、鈴木清順監督『野獣の青春』、中平康監督『危いことなら銭になる』のどれか。