――これはかけら。季節のかけら。東京のかけら。私のかけら。
10月×日 灰とダイヤモンド
朝、電車に乗り、母の住む家の最寄りの駅へ向かう(母を迎えに行く)。改札で母と落ち合い、新宿に移動。TOHOシネマズ新宿で《午前十時の映画祭》、アンジェイ・ワイダ監督の『灰とダイヤモンド』をふたりで観る。 『灰とダイヤモンド』を観たのは、中学生の頃。当時、母に、『灰とダイヤモンド』を観た、と話したら、母から、ああ、昔、観たわよ、シーツの間を逃げ回るやつね、という答えが返ってきて(銃弾を受けた主人公が、白いシーツが干された空き地に逃げ込むシーンがある)、感想を語り合った記憶がある。そんな映画を改めていま、劇場で共に観る幸せ。映画好きの母と、その影響を受けて映画好きになった娘。母は既に高齢だけど、体が元気なうちに、一本でも多くの映画を一緒に観ることができたら、と思う。残された時間、思い出をたくさん作りたい。 さて、肝心の映画のこと。『灰とダイヤモンド』は一度観たきり。それから数十年が経っている。だから、記憶から抜けてしまったシーンも多い。でも、中学生の私の目に、ズビグニエフ・チブルスキー演じる主人公マチェクが魅力的に映ったこと、そして、どこかスタイリッシュな雰囲気を持った映画だったということはずっとずっと覚えていた。
もちろん、強烈に印象に残っているシーンもいくつかある。有名な、マチェクがはためく白いシーツの海を逃げ回るシーン(白いシーツを掻き抱き、そのシーツに血が滲む)。それから、何より私が心掴まれたのは、ホテルのバーカウンターで働く娘に一目惚れしたマチェクが、彼女の気を引くためにウォッカを注文するシーン。マチェクは、彼女がウォッカを注ごうとする度にグラスを動かして注がせないようにする。娘はそんな風に自分をからかうマチェクを気にかけ始める。今回、観直してみても、とてもチャーミングで、アンジェイ・ワイダ、こんな演出を考えつくなんて、やっぱり洒落ている!と感嘆した。と同時に、私は、ショートストーリーの何がと問われれば、惹かれあう男女のちょっとしたやりとりを描くのが好きなのだけれど、中学生の時にはもう、マチェクと娘のささやかな駆け引きのシーンに反応していたわけで、今更ながら、私が書くもののほとんどがその興味の延長線上にあることに気づかされ、驚いた。センスのすべてが、とまでは言わないにせよ、核になる部分は、子供の頃に出来上がっているのかも。 以下、感想メモ(内容詳細に書いています); ・『灰とダイヤモンド』は、第二次世界大戦が終わる頃のポーランドが舞台。ドイツが敗北・撤退したものの、今度はソ連に支配されることになるというポーランドの悲劇が物語の背景にある。そのため、『灰とダイヤモンド』は、ストーリーの政治的/歴史的な部分について語られることが多い。でも、この作品、ボーイ・ミーツ・ガールとしても秀逸で、(私はこの言葉を使うのはあまり好きではないのだけれど)観ていると、本当に胸がキュンキュンする。そして、今回は二度目の鑑賞で結末を知っているから、あまりのせつなさに、途中何度か涙ぐんでしまった。 ・恋に落ちた青年が実に生き生きと描かれていて(相手と一緒に歩くだけで嬉しい、みたいな感じ、とてもリアリティがある)、こういう感覚を掬いあげることができるのは、監督自身も若かったのかな?と思い、調べてみると、公開は1958年、アンジェイ・ワイダ監督が32歳の時だった。32歳でこの名画!凄すぎる・・・!! ・ラストシーン、中学生の頃、マチェクが、ゴミの山の上で倒れ、ヒクヒクと体を動かす様子が、虫けらのように、という表現があるけど、本当に虫みたいだ・・・と呆然としたことを思い出した。 ・マチェクが、撃たれたお腹を抱えながら、走って逃げるところ、中島貞夫監督の『鉄砲玉の美学』を連想した。帰宅し、町山智浩さんが『灰とダイヤモンド』を解説している動画を観たら、『鉄砲玉の美学』はこの映画の影響を受けていると思う、と話していて、やっぱりそうか、と。
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10月×日 幕末ヤンキー
昨日の夜は、ジャズのアルバムを聴き始めたら、目がさえてしまって、ほとんど眠れなかった。ふらふらしながら、喫茶店へ行き、モーニングセットを食べる。広東語のレッスンの時間まで、モンキー・パンチ先生のマンガ『幕末ヤンキー』を読む。アニメ版がとてもかっこよかったので(アクションシーンのセンス、素晴らしい!)、古本屋から原作コミックを取り寄せてみたのだけれど、期待を裏切らぬ面白さ。時代は幕末。日本に流れ着いたヤンキー(アメリカ人)を、新選組の沖田総司が連れ帰り、ヤンキーは新選組の壬生屯所に居候することに。剣の達人・沖田総司と凄腕のガンマン・ヤンキー(日本語が喋れないので、彼はほとんど口を利かない、名前も不明)、ふたりは行動を共にし、奇妙な友情を深めていく。一方、ヤンキーの存在を知った坂本龍馬、桂小五郎、西郷隆盛の三人は、彼を倒幕派に引き込もうと画策するが・・・というストーリー。本当に、画がいいし、設定もいいし、アクションあり、お色気あり、スタイリッシュで、もう、モンキー・パンチワールド、最高です。続きが読みたい!!――と興奮するも、単行本は一巻のみ。というか、単行本に収められているのは六話のみ(他に『ミスター侍』『あっかんベ兵衛』が収録されて一冊になっている)。「メディア芸術データベース」で調べてみたけど、この作品、どうやら、六話までしか描かれなかった様子。未完だなんてすごく残念。『どらきゅらクン』もそうだったけど、モンキー・パンチ先生の作品は、未完のものが多いのね。
話は戻る。『幕末ヤンキー』、アニメには、原作にないエピソードが結構加えられていた。ヤンキーが三味線をギターみたいにかき鳴らすところ、池田屋騒動のソードアクションなど、私のお気に入りのシーンがアニメオリジナルだと知り、脚色が上手いなあ、と感心。でも、アニメも原作もどちらも良い。それぞれの良さがある。 広東語は、睡眠不足であることを先生に正直に言って、会話を中心にレッスンしてもらう。 夕方から執筆作業。
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10月×日 パンドラ
9日ほど、日記を書いていなかった。原稿書きの日々。でも、リフレッシュする時間はしっかり取っていた。映画『灰とダイヤモンド』をもう一度、劇場へ観に行ったり、ミュージシャンのIさん、Iさんのマネージャー、Kさん、S君と五人でランチしたり、クシシュトフ・コメダの音楽が聴きたくて、彼が関わった映画、ヤヌーシュ・モルゲンスターン監督『さよなら、また明日』のDVDを購入、鑑賞したりも。 今日は、朝、病院へ。診察まで一時間半待ちと言われたので、薬だけもらうことに。帰りに喫茶店に寄り、モーニングセットを。食後、コーヒー片手に、昨日、入手したマンガ、モンキー・パンチ先生の『パンドラ』を読む。1976年初版(現在絶版)。裏表紙には350円と記載されているが、入手価格は1500円。モンキー・パンチ先生の単行本の価格としては、普通かな。安くはないけど、高くもない。高いのだと5000円ぐらいするから。 内容は、パンドラという秘密組織に属するカメラマン絞三九郎が主人公。黒いシャツに黒いパンツ、背中に悪魔のタトゥー。ルパン三世と(原作の)石川五ェ門を足して二で割ったようなルックス。組織から指令を受けた三九郎が、敵を欺き、敵と闘い(敵がどんどん刺客を送ってくる)、次々とスクープをものにしていくというストーリー。と言っても、そこはモンキー・パンチ作品、三九郎は悪を憎んでスクープを狙うわけじゃない。敵のスクープが撮れたら勝ちのゲームみたいな感じ。いつも思うけど、モンキー・パンチ先生の作品って、主人公の行動のモチベーションを説明しないところが好き。生活感がないところも。そして、『ルパン三世』同様、『パンドラ』もお色気あり、アクションあり。アクションシーンは、『ルパン三世』よりもハードかも。面白いから続きを読みたいけど、これも六話までしか単行本化されていない。調べてみると、未収録分の掲載誌(週刊漫画アクション)は国会図書館に保存されているらしい。また読みに行こうかしら。