私のかけら 40  長谷部千彩

――これはかけら。季節のかけら。東京のかけら。私のかけら。

8月×日 ルパン三世

一昨日から、『ルパン三世』の原作コミックを読み始めた。先週、(今期放映中の)アニメ『ルパン三世 PART5』を観ているとき、面白くないわけじゃないけど、やっぱり私の中には、何か違う、という気持ちがあるなあ、と感じ、ならば、久々に原作に立ち返ってみようと思った次第。いま、二巻目。先は長い。
私は別に原作至上主義ではないし、アニメ化における改変も、面白ければいいんじゃない?という考え。でも、『ルパン三世』については、少し特別。というのも、モンキー・パンチ先生の原作コミックを、小学生のときに読んでいて、その際、ものすごい衝撃を受け、幼心に、これが本当のルパンなんだ・・・と思い込んでしまったという経緯があるから。

私は、テレビアニメ版の『ルパン三世』は、1stシーズンも2ndシーズンもテレビで観ているし、映画版は『ルパン三世 ルパンVS複製人間』、『カリオストロの城』、どちらも公開時に劇場で観ている(小学生だったけど、親に頼んだら、観に行かせてくれた)。テイストの違いはあれど、それぞれ楽しんで観ていたことを覚えている。その反面、心の隅にいつも、「でも、本当のルパンは、あれ(原作コミックのルパン)なんでしょ?」という気持ちがあったのも事実。子供の思い込みって本当に強いから、一度、思い込んでしまうと、簡単には覆せない。私が、他のアニメに関しては、原作コミックとアニメは別物と割り切れるのに、『ルパン三世』だけはそれができず、原作と比べながら鑑賞してしまうのは、きっとその思い込みを引きずっているのだろう。原作コミックを読んだのは、もう何十年も前のことなのに。

ちなみに、初めて原作コミックを読んだとき、どこに衝撃を受けたかというと、その画。モンキー・パンチ先生の『ルパン三世』は、アメリカンコミックの影響の下に描かれていて、日本のマンガと画のタッチが全然違う。まず、そこにびっくりした。
それから、話の展開がスピーディなところ、ルパンも悪漢、登場するキャラクターも悪漢、彼らが互いに出し抜きあう、というストーリーが多いのも新鮮だった。子供が読む物語には、いいこと/悪いことという価値基準が存在している。だけど、『ルパン三世』の原作コミックにはそれがない。小学生には、まさに異世界、という感じ。
それから、原作コミックには、殺し合いのシーンがたくさん出てくる。銃を構えたルパンがいて、次のコマでは、相手がもうハチの巣にされて倒れている。でも、描写が徹底してドライだから、残酷だ!とは思わなかった。当時の私は10歳ぐらいだったけど、作品の持つ痛快さみたいなものは感じていたし、狙っているかっこよさもなんとなく理解していた。子供なりに『ルパン三世』(の原作コミック)からセンスみたいなものを吸収していたのだと思う。

いま、原作コミックを読み返していると、これを10歳で、というのは、さすがに早いんじゃないの?と思うけど、その一方で、早いうちに自分の趣味を形づくるきっかけに出会っておいたのは良かったことかも、とも思う。いや、影響を受けたのは『ルパン三世』だけではないけどね。

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8月×日 8月

週末、少し涼しくなったのに、今週に入り、また暑さが戻っている。
9月になっても、気温は下がらないのだろうか。
今日は広東語レッスンの日。
新しい文法を習う。

帰宅後、仕事を少し。後は、読書をして過ごす。
8月はずっとこんな調子。冷房の効いた部屋にこもっている。
ジムもサボっている。

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8月×日 桔梗

打ち合わせに向かう途中、民家の庭に桔梗が咲いているのを見た。気温はちっとも下がらないが、それでも秋が近づいている。

夜、眠れなかったので、劇場用アニメ『LUPIN THE IIIRD 次元大介の墓標』と『LUPIN THE IIIRD 血煙の石川五ェ門』を観る。何回観ているんだ、と自分でも思うけど、小池健監督の『LUPIN THE IIIRD』シリーズは、何回観ても面白い。キャラクターデザインが、いままでのアニメシリーズの中で一番原作コミックに近いし、ダークな雰囲気も原作を踏襲していていい。

『次元大介の墓標』と『血煙の石川五ェ門』、続けて二本観て、どちらも面白いけど、面白さの度合いは、『血煙の石川五ェ門』のほうが上かな、と改めて思う。主要キャラクターが全員しっかり登場するところもいいし(『次元大介の墓標』では、石川五ェ門が出てこない。銭形警部も最後にほんの少し登場するだけ)、1970年前後の日本が舞台、ヤクザの用心棒をしている石川五ェ門が物語の中心になっていて、剣劇好き、ヤクザ映画好きの私にはたまらない設定。しかもそれをアニメーションで観ることができるのだから、楽しさも二重、三重だ。

『血煙の石川五ェ門』、物語は賭場からスタートするのだけれど、手本引き(賭博ゲームのひとつ)のシーンのかっこよさ、最初にイカサマするヤクザの顔が、いきなり成田三樹夫似でつかまれる。そこから、始まるバイオレンスアクション。グイグイくる東映テイストにワクワク。ヤクザたちの顔が、ひとりひとり昭和の顔で描かれているのも良い。

私が一番好きなのは、後半の見せ場、棚田の五十人斬りのシーン。ヤクザたちが一斉に黒い傘を空に放り上げ(映画的!)、それをきっかけに、石川五ェ門が、文字通り、ひとりで五十人のヤクザを流し斬っていく。血しぶきはあがり、斬られた腕はポンポン飛ぶ。こういうのって、映画ならではの快感だと思う(『椿三十郎』的快感)。

それと細かいことになるけど、石川五ェ門って、逆手で刀を持つというイメージがあるけど、棚田のシーンでは、ヤクザを次々と斬りながら、刀を逆手、順手、逆手、順手・・・と持ち替えさせていて、その演出に感心(かっこいい演出!)。まあ、現実には、片手でパッパッと持ち替えながら斬っていくなんてことできないのだろうけど、できないことを見せてくれるところが、アニメーション!って感じで面白いなあ、と。

あと、この作品、ヤクザが出てくるシーン、任侠ものと実録もの、それぞれの雰囲気がミックスされているところが好き。戦うシーンにも、迫力と美しさの両方を与えていて、バランスがいい。
監督のインタビューを読んだら、『仁義なき戦い』や黒澤映画の剣劇のタイトルを挙げて話をしていたけれど、それも納得。昭和の邦画好きなら、ニヤニヤする部分の多いアニメーションだと思う。

作品を観終え、満足感に浸りつつ、しばらくヤクザ映画からも剣劇からも離れていたけど、また観てみようかなあ、と考える。とりあえず『県警対組織暴力』あたりから始めようか。この頃、昔、好きだったものに興味が戻っているような気がする。

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8月×日 新しいモニター

注文しておいたPCモニターが届く。いままで使っていたものと同じ、フレームがホワイトで、サイズ24.1インチのもの。予算オーバーしたけれど、満足いくものが手に入って良かった(デスクがホワイトなので、ホワイトフレームが絶対条件)。
早速、古いモニターと交換。PCに接続し、起動して驚く。画面の綺麗さがまるで違う!いままでのモニターは、10年以上使い続けたものだから、きっと進化しているのだろうなあ、と想像はしていたものの、ここまでとは。

午後、ベッドに寝転んで、ジェイムズ・ボールドウィンの『ビールストリートに口あらば』の続きを読む。この小説、バリー・ジェンキンス監督が映画化すると聞き、先に原作を読んでおきたくて取り寄せたのだけれど、購入したのは、集英社から出ている文学全集のうちの一冊(アメリカ編)。単行本が出版されていないから、それを買うしかなかったのだけれど、他の作家の作品も収められていて、とにかく本が分厚く、持つ手がすぐに痺れてくる。重さに耐えられず、数分おきにページを閉じ、休憩を取る始末。読んでいても集中できない。この調子だと、読破するには、もう少し時間がかかりそう。
ボールドウィンの小説は、いま、ほとんどが絶版になっていて、手に入れるとすると古書になる。私が持っているボールドウィンの本も、古書店への注文や、オークションでの落札を繰り返しながら、少しずつ買い集めたもの。アメリカを代表する作家なのに、そうまでしないと読めないなんて、とても残念な状況だ。あとの時代のひとたちも読めるよう、電子書籍化して残したらいいのに、と思う。出版社には頑張って欲しい。