私のかけら 38  長谷部千彩

――これはかけら。季節のかけら。東京のかけら。私のかけら。

8月×日 深夜の買い物

午後、アマゾンから荷物が届く。段ボールの中には、本が七冊。久しぶりに本のまとめ買いをした。
この一年、本を読みたいという気があまり起こらず、従って買った本も少なかった。子供の頃からずっと本が好きだったのに、このまま私は本を読まないひとになるのかなあ・・・。そう考えていたのだけれど、昨夜、ドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない』の公式サイトを閲覧していたら、ブックガイドのページがあり、目を通すと面白そうな本がずらり。久々に読書欲が刺激され、そこから、深夜のネットショッピングへ(書籍のみ)。選んだ中に五千円の本が一冊あり、合計二万円も散財してしまった。

夜、早速、購入した書籍の中から、岸政彦著『はじめての沖縄』を読む。

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8月×日 私はあなたのニグロではない

池袋・新文芸坐でドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない』を観る。アメリカを代表する黒人作家ジェイムズ・ボールドウィンの未完の遺稿『Remember This House』をベースに制作された本作は、ボールドウィンとも交流のあった、公民権運動を牽引した指導者たち、メドガー・エヴァース、マルコムX、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアの人生(いずれも30代で凶弾に倒れている)を、ボールドウィンの回想を通して紹介しつつ、アメリカににおける人種差別の歴史を辿っていく。映画はボールドウィンの残した原稿、スピーチ、インタビューなどから構成され、彼の鋭い考察、指摘に深く考えさせられるとともに、ボールドウィンという人物と彼の作品に魅せられた私のような人間には、彼の言葉を浴びるように耳にできる感動の90分だった。テクストを朗読するのは、サミュエル・L・ジャクソン。ボールドウィン自身が喋る姿(映像)がふんだんに盛り込まれているのも嬉しい。いつも思う。印象的な黒い瞳。ボールドウィンの佇まいは美しい。エレガント、という言葉がぴったりだ。

監督はラウル・ペック。日本では、今年、公開された映画『マルクス・エンゲルス』の監督として知られているらしいが、私にとってラウル・ペックと言えば、コンゴ民主共和国初代首相パトリス・ルムンバの半生を映画化した『ルムンバの叫び』。観応えのある作品だったので、強く記憶に残っている。

閑話休題。『私はあなたのニグロではない』では、劇中、ところどころに現代の映像が挟み込まれ、そこにボールドウィンの言葉が重ねられる。そのことによって、観客は、いまなお人種差別がアメリカに横たわる問題であること、また、ボールドウィンの言葉が現代にも通用するものであることに気づかされる。ボールドウィンはこう語る。“歴史は過去ではない。現在だ。我々は歴史とともにある。我々が歴史なのだ”――。ラストに流れるのはケンドリック・ラマー。まさしく「いま」の映画、「いま」観られるべき映画だと思った。

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8月×日 パンフレット

昨日、『私はあなたのニグロではない』を観に行ったとき、劇場で、めったに買わない映画のパンフレットを何の気なしに買った。パンフレットを買って「良かった」と思うことが私にはあまりないのだけれど、家に帰ってページをめくってみたら、今回は違った。文字がぎっしり、読み応えのある原稿がいくつも掲載され、巻末にはシナリオが採録されている。
午後、数時間かけて、そのパンフレットを隅から隅までじっくりと読んだ。越智道雄氏(明治大学名誉教授)の「『私はあなたのニグロではない』が作られた背景」という解説が、トランプ政権の誕生と黒人差別問題の現在とがどのように関係しているかを解き明かしていて、特に興味深かった。私のまわりで『私はあなたのニグロではない』を観に行くひとがいるかどうかわからないけれど、「もし観に行くなら、絶対パンフレット買ったほうがいいよ!」と声をかけたい気分。

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8月×日 ムーンライト

夜、バリー・ジェンキンス監督『ムーンライト』を観る。公開時、それほど観たいとも思わず、スルーしてしまったのだけれど、ジェンキンス監督の次回作の原作が、ジェイムズ・ボールドウィンの小説『ビールストリートに口あらば』だと知り、俄然どんな作品を撮る監督なのか興味が湧いたため。結論から言えば、この監督ならボールドウィン作品の映画化を期待していいかもと思える、繊細で美しい映画だった。
『ムーンライト』と言えば、アカデミー賞(作品賞)の授与式でのハプニングが思い出されるけれど(手違いで受賞は『ラ・ラ・ランド』と発表され、『ラ・ラ・ランド』キャスト&スタッフのスピーチ中に、正しくは『ムーンライト』と訂正された)、私は『ラ・ラ・ランド』よりも、『ムーンライト』のほうが好き。映像処理、音楽の使い方、テーマなど、様々な面において今日的だと思う。

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8月×日 はじめての沖縄

台風が来ると聞いて、昨日のうちにすべての予定変更を済ませておいたので、今日は一日部屋で過ごした。
夕方から、読書。読みかけなっていた岸政彦著『はじめての沖縄』の続き(読了)。20代で訪れた沖縄に魅せられ、沖縄を研究テーマとする社会学者となった著書が綴る、沖縄についての思索集。島津藩による武力制圧、太平洋戦争における本土決戦、米国統治と本土復帰、解決に至らぬ米軍基地問題・・・。あらゆる面において複雑さを抱え持つ沖縄という存在に、ナイチャー(本土出身者)としてどのように向き合うのか、真摯に考えを巡らせ、筆を進める著者に好感を抱く。読みながら、複雑さをそのまま受け入れ、その複雑さにつきあい続けていくことが重要なのかも、と思ってみたり、また、筆者の姿勢を通して、考えるとは、考え続けることなのではないか、と思ってみたり。勝手に、日本における沖縄と中国における香港の類似点を考えたりもした。

最後の二章を読んでいると、スマートフォンに続々と速報が。翁長沖縄県知事辞任のニュース、次に辞任否定のニュース、副知事が職務代行するというニュース、最後に翁長知事の訃報。目まぐるしい展開。ちょうど本文中に翁長知事の名前が出てきたところだったので、その偶然にも驚く。

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8月×日 MARCH

午後、『MARCH 1 非暴力の闘い』を読む。米国の黒人下院議員ジョン・ルイスの自伝的コミック。この作品、公民権運動の闘士である彼の半生を辿ることで、公民権運動の経緯がわかるようになっている。
ジョン・ルイスというひと、私はこの本で初めて知ったのだけれど、キング牧師が名スピーチ(「私には夢がある」)を行ったワシントン大行進で、同じ演説台に上がっているのだとか。
第一巻は、南部で暮らした少年時代から、学生となったジョン・ルイスが非暴力による抵抗運動シット・インを始めたところまで。少年時代のエピソードにページが多く割かれていて、まだ闘いは始まったばかりという感じ。第二巻に期待。

夜、映画『ムーンライト』をもう一度観直す。劇中流れるカエターノ・ヴェローゾが心に沁みる。

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8月×日 コルトレーンを追いかけて

昨日、今日と二日かけて、『MARCH 2 ワシントン大行進』を読んだ。人種差別を行っているレストランに対する抗議、シット・インを成功させ、活動は次なる段階、公共交通機関の人種差別撤廃を目指したフリーダム・ライドへ(フリーダム・ライドとは、南部における長距離バスのバス・ターミナルでの人種隔離を撤廃させるため、白人と黒人で構成したグループが長距離バスに乗り込み、―当時は白人と黒人の席が分けられていた―、人種による座席の区別を破ってみせ、かつ、そのまま南部各地のバス・ターミナルを回るという抗議活動)。そこからワシントン大行進に続き、ラストの3ページで、アラバマ州バーミングハムの教会爆破事件(1963年9月15日)が起こり、第三巻へ。

粘り強い抗議活動によって成果も少しずつ得られていったが、抗議参加者・支持者が増えていく一方、白人優位主義者たちの妨害・暴行も激しさを増していく。南部の警察も人種隔離を支持している側だから、暴徒化した白人たちが抗議活動をする人々に襲い掛かっても止めることなく、むしろ、警察も放水したり、警察犬をけしかけたり、暴力も振るう。映画や音楽、書籍などを通して、歴史の中で黒人たちがどれだけ凄まじい暴力にさらされてきたかは知っていたけれども、コミックを読み、改めて、自由と平等を獲得することは、文字通り命がけの闘いだったのだと知らされる。また、非暴力不服従という抗議方法が、どれだけハードなものであるかということも、この本を読むとよくわかる。マルコムXに比べ、キング牧師のほうがソフトなイメージがあるけれど、実践していることは決してソフトではないなあ、と。

『MRARCH』第二巻を読み終え、ひと休みしたくなったので、第三巻は明日以降に読むことにして、夜は映画を。Netflixにドキュメンタリー映画『コルトレーンを追いかけて』があったので、早速鑑賞。というのも、ジョン・コルトレーンが来日時(1966年)、公演先の長崎に着くや、真っ先に平和公園を訪れ、祈念像に献花したというエピソードを数日前に知り、「コルトレーン 長崎」でネット検索したら、その際、同行した日本人がコルトレーンのドキュメンタリー映画の取材を受けているということを紹介した動画がYoutubeにあがっていて、ならば、ぜひ、そのドキュメンタリー映画を観てみたい、と思っていたのだ(日本で観ることができるのかしら、と思っていたら、あっさりNetflixで見つかって拍子抜けした)。
内容は、コルトレーンに詳しくないひとにも理解できる、彼の人生を偏りなく追ったもの。コルトレーンの音楽は聴いているけど、人物については、さほど知識がなかったので、生い立ちなど知ることができて、なかなか面白かった。
ソニー・ロリンズ、マッコイ・タイナー、カルロス・サンタナ、ウェイン・ショーターなど、多数のアーティストが取材に答えている中(ビル・クリントンも出演)、個人的に興味を引いたのは、ベニー・ゴルゾン(サックス奏者)のインタビュー(ベニー・ゴルゾン、一時期、よく聴いていたので)。コルトレーンとは子供の頃(十代)からのつきあいらしい。初めて会ったとき、コルトレーンは田舎くさい少年だったと言っていた(実際、田舎から出てきたばかりだった)。
それと、映画の中盤、『MARCH』第二巻の最後に出てきた、アラバマ州バーミングハムの教会爆破事件(公民権運動の拠点でもあったアラバマ州バーミングハムの16番通りバプティスト教会に20本のダイナマイトがKKKメンバーによって仕掛けられ、日曜学校に来ていた4人の少女が犠牲になった)に関する映像が流され、事件に胸を痛めたコルトレーンが鎮魂歌として『アラバマ』という曲を作ったというエピソードが語られた。昼にコミックで読んだばかりのことが、この映画の中にも現れ、びっくりした。
長崎でのエピソードは、結構時間を割いて取り上げていた。映画の中では触れられていなかったけれど、コルトレーンは、来日の際、長崎だけでなく、広島でも公演を行っている。