私のかけら 13  長谷部千彩

――これはかけら。季節のかけら。東京のかけら。私のかけら。

11月×日 春の準備

夜までかかると思っていたのに、早起きして動いていたら、今日のスケジュール、お昼過ぎにはすべて片付いてしまった。突然空いた秋晴れの午後。こんなこともめずらしい。嬉しい誤算にほくそ笑む。
早速、汚れてもいい服に着替え、手袋をはめてベランダに出る。今日のミッションは、球根の植え付け。先月のうちにチューリップのそれを富山から取り寄せ、一か月冷蔵庫で寒さにあてておいたのだ。
綺麗な花が咲きますように、と願いを込め、丸々と太った球根を植木鉢に並べていく。花が咲くのは五か月後。たった数日の開花のために、それまで水を遣り続けるのだから、気の長い趣味だなあと思うけれども。大体、お花屋さんで買えば、こんな泥臭い作業しなくても済むのにね。
でも、五か月後の自分に驚きと喜びをプレゼントをすると思えば、この作業だって悪くはない。花が咲く頃、私は、どんな日々を送っているのだろう。そんなことを考えながら、植え付けの終わった鉢に水を遣る。いくつになっても未来は見えない。
時計を見ると、日没まであと少し。風が冷たくなってきた。

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11月×日 短い旅行

北陸新幹線に乗って、富山の宇奈月温泉に行ってきた。紅葉を楽しむには出遅れた感が否めなかったけれど、露天風呂から望む、油絵のような山の彩りに癒され、大満足。お料理もしっかり堪能しました(氷見牛が特に美味しかった)。
それに、今日は黒部峡谷のトロッコ列車に乗ったのだけれど、場所によっては、落葉が始まっていないところもあって、ブルーグリーンの川の流れに、黄色に染まった木々のコントラストが美しく、紅葉もいいけど、黄葉も綺麗だなあ、としみじみ。本当に行って良かった。
それにしても――。若い頃は、一泊二日の温泉旅行なんて慌ただしくて嫌、と敬遠していたのに、いまでは、短い旅行も気楽でいいな、と思うようになったのだから、人間って変わるものですね。大人になればなるほど、変わらなくなっていくのだろうと思っていたのに、実際は、そうでもないみたい。大人も大人なりに成長するってことかしら。

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11月×日 神様は待っている

10代の頃は20代になれば、20代の頃は30代になれば、30代の頃は40代になれば――そう、大人になりさえすれば、取り組むべき課題なんてものはなくなるのだろう、と思っていたのに、いくつになっても神様は課題を用意して待っている。そして、それはいつも少しだけ難しい。

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11月×日 昨日

事務所に向かう道の途中、この秋初めて山茶花の花が咲いているのを見かけた。ピンク色の大きな花だった。また一年が巡って来たのだなあ、と考えながら、坂道を下る。
午後は仕事を抜けて眼科で検査。結果はあまり良くなくて、でも、それほどがっかりもしなかった。自覚症状があったから、やっぱりな、という感じ。目の病気にかかったばかりの頃は、検査結果に一喜一憂していたけれど、人間って良くも悪くも状況に慣れる生き物なのだと思う。いまでは先生の話を淡々と聞いている。
夜は、この頃ずっとモヤモヤと考えていたことを、Aさんに聞いてもらった。話す前はまとめられずにいたことが、拙いながらも口に出しているうちにまとまってきて、自分がやりたいことはこういうことだったのか、と私自身が納得したり。何事も言葉にしてみることだ、と実感する。春以降にならないと動くのは難しいけれど、とりあえず次に編集者Yさんに会った時に相談してみようと思う。新しいアイディア。理解してもらえるといいいのだけれど。

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11月×日 リニューアル

広東語。その足で、memorandomのミーティングへ。コーヒーを飲みながら、編集者Yさんに近頃考えていることを話す。

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11月×日 星占い

今日は祝日。勤労感謝の日。起きたときには激しい雨が降っていたのに、午後から綺麗に晴れて、陽の光が眩しいくらいだった。
私は朝から部屋の掃除。お昼過ぎにはRさんが、郷里から届いた果物を、おすそ分けに持ってきてくれた。紅いりんごに橙色の柿。ずしりと重い紙袋の中には紺色の小さな包みも入っている。「これは?」と尋ねると、石井ゆかりさんの星占いの本(『3年の星占い 乙女座』)だという。11月ももうすぐ終わり。来年が気になる時期になったのね。
お礼を言って別れ、部屋に戻って、りんごを剥き、早速、食べながら、読み始める。2018年の乙女座は――。期待しつつページをめくるも、文章が抽象的でよく理解できない。思い当たる節も、あるような、ないような。でも、悪いことは書かれていないような気がした。なんとなくこのまま進んでいってもいい、と書かれているように感じた。そうだといいな、と思う。いまはまだ霧の中だけど、まっすぐ進んだこの先に春があるといいな、と思う。
そういえば、今日、冷蔵庫からヒヤシンスの鉢を取り出した(水耕栽培)。根が伸びているのがふた鉢。根があまり伸びていないのがふた鉢。ここからは室温で育てていく。

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11月×日 Wives and Lovers

11月中に済ませてしまいたかったことを、今日、無事にすべて終わらせた。精神的に綱渡り状態だったので(心配性のせい)、心の底からほっとした。
家に帰り、お茶を淹れ、こういう日はビッグバンドが聴きたいなあ、と思い、フランク・シナトラのアルバム『It Might As Well Be Swing』をかけた(カウント・ベイシー、クインシー・ジョーンズと一緒にやっているやつ)。私の大好きなアレンジの「Wives and Lovers」が聴きたかった。私はシナトラのファンではないけれど、久しぶりに聴くシナトラはやっぱりゴージャスで、まるでキラキラ光るクリスマスツリーみたいで、私は、12月が来るんだなあ、と考え、少しだけウキウキした。そして、このウキウキした気分を誰かに伝えたくなった。
この頃、その時感じている気分だとか、自分が好きだと思っているものを、私のブログ(ハニカム)を読み続けてくださっている方に、もっと直接的な形で伝えたい、とよく思う。どうしたらうまく伝えられるだろうか、と考えている。

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11月×日 土曜日の楽しみ

晴天。風はひんやりしているけれど、青空に秋の日差しが気持ちいい。
午後、ベランダにて園芸作業。チューリップとクロッカスの球根を植え付ける。

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11月×日 春のゴール

青い空に薄い雲。東京は今日、17度まで気温があがった。ここまで暖かい日は、この先、当分ないだろう。そう思うとじっとしていられず、私は、午前中から、残っていた球根の植え付け作業に取り組んだ。チューリップとクロッカスとフリージア。秋の始めには、何を育てるか迷っていたのに、結局、その三種を選び、大量に球根を買い込んでしまった。
園芸の規模は縮小しようと思っている。なのに、咲いた姿を想像すると、ふらふらと手を出してしまう。心が弱い、と自分でも思う。
でも、これがすべて芽を出したら、どれほど華やかな春になるだろう。
いま取り掛かっている仕事は、冬の間、ずっと続く。
ならば、花が迎えてくれたらいいのに、とふと思う。
春のゴールで花が迎えてくれたらいいのに、と――。

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11月×日 絵葉書

Tさんに、絵葉書を出したいな、と時々思う。伝えたいことなどこれといってないけれど、Tさんの笑顔を思い浮かべるとき、時候の挨拶に近況を添えて、ポストから絵葉書を送りたい、と思う。でも、インスタグラムのタイムラインに流れてくるTさんの賑やかな日常を眺めていると、気持ちが変わる。「私も元気よ」という意味もこめて、いいね!をつけるのが、いまのTさんにはふさわしいのだろうなあ、と思う。もしくは、LINEで軽く声をかけるとか。
私はポストを開けたときに、手紙や葉書が届いていると、まだ嬉しい。だけど、もしかしたら、郵便で運ばれてくる想いは、もう重い時代になってしまったのかもしれない。
買い集めた絵葉書。買い集めた切手。それらを使わなくなる日が、私にも来るのだろうか。Tさんの字は、彼女の人柄を表すような、形の良い読み易い字だった。Tさんの字を私は好ましく思っていた。でも、そんなことも、そう遠くない未来、きっと忘れてしまうのだろう。そして、私は、タイムラインには表れない、Tさんの魅力のひとつを忘れてしまう。残念なことである。

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11月×日 通院日

通院日。近況を訊かれ、生活を変えるよう試みている、と答える。そう考えたきっかけは?と先生。身軽になりたいと思って、と私。体調が安定しているため、診察時間は短め。薬も変わらず。
夕方、母、妹、姪と落ち合い、食事。会うなり、妹に「痩せたんじゃない?」と言われる。自分では実感がないけれど、会うひと会うひと、そう言うのだから、痩せたのだと思う。ジム通いのおかげだろうか。嬉しい。

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11月×日 小春日和

数日前、当分は暖かくなることはないだろう、と書いたのに、今日はなんと気温が19度まであがった。陽の出ているうちに帰宅できたので、急いでベランダに出て園芸作業。ほんの二時間だったけど、土を触ることができて、いい気分転換になった。夕日がとても綺麗だった。

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11月×日 いままでとは違う道

今日で11月もお終い。昨日とは打って変わって晩秋の気候。
帰りにスタッフYとお茶。この頃、お互い慌ただしい日々を送っていたので、ゆっくり話すのは久しぶり。今年もいろいろあったね、と、気が早いけれど、一年を振り返る。
2017年、私にとっては決断することの多い年だった。先送りにしていたことを片付ける年でもあった。そういう意味では、エイッと気合を入れなければ乗り越えられない場面も何度かあった。乗り越えて、いままでとは違う道を選び取ったという感じ。だから、2018年は少し楽しみ。違う道を選んだ結果として、新しい経験ができるかもしれないから。そのとき、どんな気持ちになるのか、いまはまだ予想もつかないけれど、嬉しかったり、楽しかったりするといいなあ。そう願っている。